【勝田班月報・編集後記】
6001:この月報は毎月1回発行します。毎月10日に原稿〆、15日に発行します。来月からは催促しませんから、これを一つの義務と考えて自発的にどんどん送ってよこして下さい。よこさない方は催促もしませんし、そのまま載せずに発行します。3回欠けた場合には研究に熱意のないものとして、来年度以后の研究費の申請には責任をもたないことにします。
内容はどんなことでもかまいません。来月からはもっと質疑応答をさかんにしましょう。生の材料をぶつけて、討議しあうのです。今月の阪大・伊藤君の報告は少しお粗末でした。来月はもっと頑張って下さい。
6002:暑くなってきましたね。雑菌の入り易い梅雨時が終ってやれやれと云っても、次は酷熱の無菌室で、いつまで経っても組織培養屋に苦労はたえませんね。
研究費の入ってくる日がちかづいてきました。前号にかいた注意をもう一回見なおして判らないことがありましたら、いまの内に御問合せ下さい。
伝研の組織培養室に変り種があらわれました。印度のBaroda大学の理学部生化学教室の大学院学生(Ph.D.コース)のMr.H.P.Chokshiという人で、1年間滞在し、前半の半年は例のTissue
cultureのteckniqueのtraining courseをやり、后半で何か骨の組織培養に関した仕事を1〜2やることになっています。いまDouble
coverslip methodをはじめたところですが、割に器用で高岡君に手製のハンドバックをおみやげに持ってきたりしたほどです。皆さん友達になってやって下さい。非常になまりのある英語で、YesをYefと発音したり、threeがtreeになったりしますから、用心が必要ですが、人格はきわめて善良で、私より背が低く、顔もあまり黒くありません。おかげで大学院学生の梅田君まで“Yef"などといって川口嬢にいやがられています。
今号では奥村君が第1回の“欠席”をしました。あと2回しか休めませんから御注意下さい。伊藤君のは少し長くなりましたね。しかし長いといえば遠藤君のは実に長くて、そういっては悪いけど、書く方はいささか閉口しました。あまり毎日遠藤君のばかり書いているので高岡君があきれたほどです。彼の文の途中で何回も大分かき損じがありますが、猛烈にねむい最中にかいたのでかんべんして下さい。一ぺんに沢山かかないで、この紙に2頁分位宛にして頂けるとこちらは助かります。そんなわけで若干今月は印刷発行がおくれました。御諒承下さい。
伝研組織培養室で第1号の培養をはじめた日が、ちょうど10年前の8月4日ですので、その日を期して今年は記念会を目黒の香港園でひらきます。このグループの皆さんにも全部御招待状を出したわけですが、高木君は何しろ遠方なのでおいでになれないのは、当然とはいえ、大変残念です。なお来年からは同日を期して毎年恒例的に“無菌祭”を取りおこない、徹底的なアルコール消毒をいたすことにきめましたから、同志諸君の御参加をおまちします。
6003:◇今月はどうも大変発行がおくれてしまって申訳ない次第です。レポートをかくのに追われていたものですから、ついあと廻しになってしまいました。今年は台風が多いというので、停電、およびそれによるフラン器のstop、冷蔵庫の温度上昇などを恐れていたのですが、今までのところは東京ではその被害もありません。◇いよいよ研究費がお手許に届いたことと思います。若し未だの方があったら至急釜洞先生の方へ問合わせてみて下さい。あと半月か1月我慢すれば仕事に最適の気温となります。まあじっとがまんしましょう。◇今月は伊藤君欠席。
6004:班会議号で後記なし
6005:10月〆切15日発行がようやく軌道に乗ってきました。今月から各人に原稿を一定の紙にかいて頂くことにしたので編集者は全く楽です。今月号で遂に3回欠席者が現れてしまいました。次にその星取表を発表します。
これまでの成績ではいちばんきちんと期日前から送ってくるのは九大の高木君です。
組織培養学会(11月19日・土)の演題申込が終り、大体の見当がつきました。1)伝研と東大薬学との共同で「ホルモン」。2)川原春幸(金属のつづき)。3)大山(日本脳炎ウィルス)。4)林(東大教養学部)(植物細胞の浮遊培養)。5)小川(京大解剖)(組織化学)。
6)増田(京府大)(白血病)。7)新島(顆粒の運動)。8)堀川(L細胞の変異性と蛋白・核酸合成)。9)藤尾(TCによるしょうじょうばえの研究)。8)と9)とは同一時間内にやりますので、8人となり略良いところに落着いた由です。
《巻頭言》
国際対癌連合会議(UICC)が東京で開かれましたが、御承知のようにこれはclosed
systemで我々は完全にshut outされたわけです。もっともやっていた内容が我々の興味をひくようなものは余りありませんでしたが、とにかくボス連が自分てちで理解できる範囲の分野について会合をひらいた、という感じで、それによって日本の明日を担う人たちに裨益させようという気持は全く無いようでした。将来我々がこのような会合をもつときには大いに考えてみなくてはならぬ問題であると思います。
この会で我々としての拾い物は、Finlandのtissue
culturistであるProf.Erkki Saxen(Dept.of Pathology.University
of Helsinki,Helsinki,Finland)に逢えたことで、あの辺のtissue
cultureの現況をきくことができました。Finlandは全人口が東京の1/2位で、湖と森の国。大学はHelsinkiとTurkuに各1つ宛あるだけの由です。欧州各国と全く同じようにtissue
cultureはきわめて程度低く、彼自身もserumについて幾つかの仕事は出していますが、はじめprimary
cultureでやろうとして旨く行かぬので、HeLaその他の株数種を使ったのだそうです。人間の血清を非働化さずに約1,000種位培養に加えてしらべ、或人の血清は増殖に良いが、ある人のは細胞が凝集したり、或はこわれたりする。しかし非働化するとそのようなことはなくなる。そして人に従って、その差別は何年も保持されるとのことです(Nature,184,1570-71,1959)。彼曰く「おれの血清を君のところの培養に入れて見たまえ。きっとこわれるよ。」
この凝集の問題は伝研の組織培養室での最近の仕事である「LP・1細胞を馬血清培地に入れると凝集をおこす、Lはおこさない」という知見と密接な関係があり、彼自身も非常に興味を示しました。彼によればそのFactorはlipoprotein
分劃にある(unpublished)そうです。そしてHeLaの染色体をしらべ、どんな人血清でも非働化すれば染色体数分布に及ぼす影響がないが、生のままだと分布が変るものと変らぬものとあると云います。そしてこれらの人血清の差は、血液型その他、これまでの各種の分類の何れとも一致しないと云うことです。この点は伝研での「非働化した人血清でHeLaの増殖を抑えるものと抑えぬものとがあり、それは血液型とは一致しない」という所見とよく一致しました。彼曰く「私は組織培養は趣味でやっている」。日本のtissue
cultureのレベルの高いのに驚いていました。そのほかペルーのDr.O.Miro-Quesade,Jr.(Director
of)Instituto Nacional de Salud,Apertado 451,Lima,Peru.もこれから大いに所員にTCを奨励するといい、UICCの今回の会長(Dr.Khanolka)も同様で、何れも伝研TC-Lab.を訪問しました。
6006:◇今月は全員の報告が集まったのは何よりのことでした。もっと早く発行できたのですが、組織培養学会の報告を入れるために、わざとおくらせました。来月号が癌がすんでから発行の予定です。しかし年末ですから速達で送りましょう。
◇前報におかきしたように、秋の国際癌連合の集会で、会長をつとめた印度のDr.Khanolkaが当研究室を会期中に訪問されましたが、最近手紙をよこして、日本の組織培養学会はよくOrganizeされているので印度のTC研究者のactiveな者を会員にしてくれ、と云ってきました。今回の研究会で検討の結果、これを認めることにしました。つまり我々はアジアのセンターとして後進諸国の世話をして行こうという訳です。Bibliographyにも印度の部、タイの部・・・として入れて行けば良いわけです。そして数年先にはアジア綜合のTC学会をひらきましょう。それと、米国からはできない、中共での業績集を知ることにも一役買いましょう。
《巻頭言》
組織培養研究界の将来
組織培養が生物系の科学研究界にとって重要な役割と意義を持ってきたことは、今日ほどのことは未だなかったし、今后はますます必須の研究法としてその重要性を増して行くと思われるが、我々はどのような方向にむかい、どのような態度で進んで行ったら良いであろうか。
他の領域と全く同様に、組織培養研究界で最も大事なのは“研究者の育成”であると考えられる。立派な器具や施設は金さえ出せば即座にととのえることが出来る。しかし研究者、ことに組織培養の研究者は、大ぜいのなかから、特に素質の適したものが、長い間かかってきたえられなくては一人前にならない−というところに最大の特徴があろう。その意味で我々は自分自身の研究を遂行するのと同時に、時代に立つべき若い研究者の教育ということも、たえず念頭から離してはならない。
幸にして日本の組織培養学界の現況は、かなり広汎に各分野に浸透し、研究者の数もアメリカに次ぐ多数が得られて居る。高い塔をきずくには、ピラミッドのように広い底面が必要である。しかし同時に、皆どんぐりの背くらべでは仕方がないのであって、この班に加入しているようなメムバーに期待されるのは、より高い塔の尖端をきずく役であろう。なかでも、どこの国へ出して見せても恥かしくないような、つまり国際的にも一流の代表選手を、せめて10人生み出すことであると思う。10人といえば少なすぎるように思われる。しかし本当にしっかりした研究者がせめて10人居れば、これは相当なものであり、それにひきずられて一般の水準もぐんと高くなること疑がない。そして、そのなかの1/3位は
ノーベル賞級の仕事をどんどん出さなくてはならぬ。日本に於ては、私はこれは可能であると思う。それにはどうしたら良いかというと、やはりお互同士よく連絡をとりあって研究すると共に、見込のありそうな若い研究者を、伸びれるだけ伸ばしてやることだと思う。それにはたえずその目であたりを見廻していなくてはならないし、必要なときには自分を犠牲にしても便宜をはかってやらなくてはならない。しかし若い人たちがぐんぐん育ってくれれば、こんなうれしいことはあるまい。
編集後記に記すように、日本の組織培養学会もいよいよ外国の世話をしてやらなくてはならぬような状態に立到ってきた。そしてアジア・ブロックを代表して国際的な役割を果して行かなくてはならないのである。ぼやぼやして居てはならない。そうした責任を果すためには、何といっても我々自分がしっかりした研究を次々と生み出して行くことが最大の途なのである。大いに頑張ろうではないか。
6007:今号はだいぶおくれてしまいました。御承知のように学会がずっとつづき、しかもその後始末やら何やらでこんなになってしまいましたが、来月から少し宛回復したいと思いますので、至急“年頭所感”でも何でも送って下さい。
研究費の予算をそろそろ使い切るころと思います。使ってしまったら、3月迄待たないで適宜に銀行口座をしめ、釜洞班長からの通知のような書式をととのえて(証拠書類を添え)班長宛に直接送って下さい。
2月27日に班の合同報告会がありますが、その前日に釜洞班の会合があります。必ず出席して下さい。26日には各人の1年間の仕事を20分位でしゃべれるようにスライドを用意し、且ガリ版か何かで約20枚宛位のプリント(何頁でもかまいません。最初に分担課題をかくこと)を作ってきて出席者に配って下さい。別刷もウィルス関係の方にどうぞ。文部省への報告には一般に別刷はつけないようです。
6101:今号は本年度年頭所感ということで書いて頂きましたが、色々のが集まって、たまにはこういうのも面白いですね。ところで小生この間から少し不眠症にかかりかけ、いささか神経衰弱の気味です。と申しますのは、Chokshi君の親玉Prof.C.V.Ramakrishnarが1月20日横浜着の船でやってきまして(7月間Australiaに滞在しての帰途に寄ったのです)、4月中旬迄当研究室にたむろし、共同の研究をするのと共に、あちこちの研究室を訪問して歩こうという訳ですが、これがまた逢ってびっくり、大変な先生なのです。見かけはやせぎすの黒っぽい人ですが、英語は標準型のをきれいにしゃべります。しかし、そのしゃべる、というのが一旦しゃべり出したら、もうとどまるところをしらない有様で、他人のいうことなど殆んど耳にも入れません。昨夜もついに小生は“お前はいまに舌癌になるぞ"といってやりました。とにかく他人の気持などおよそ察しようともしないので、小生は朝から晩までとっつかまり、自分の仕事が一寸も能率があがらず、従って上記のような状態になったわけです。Enzymologistで、DPNの代謝などやって来ました。2月4日(土)午后2時から伝研の会議室でその話と、もう一人、頂度ぴったりの相手として、京大の解剖の小川君にしゃべることをたのみました。好相手でしょう。その場の有様を想像してお楽しみ下さい。勿論おいでになれる方はどうぞ。
研究費を使い終った方は適時どうぞその後始末を早目にして下さい。こちらに送って下されば点検した上で釜洞班長の方へ送ります。では2月末にお目にかかるのを楽しみに。
6102:◇東京は乾燥し切った日が続き、消防車がかけ廻っています。寒冷前線の吹き出しも未だありますが間遠くなり、例の悲しくなるような冷たさはもはや減っています。これと一緒に1月末に申請した来年度の綜合研究班の申請書のコピーをお届けします。報告書をかくとき必要になりますから保存しておいて下さい。今月はどうも集まりが悪かったですね。1月号を出したばかりだから安心したのでしょう。それからこれは訂正ですが、前号の号数をうっかり6104とかいてしまいました。今すぐ引張り出してNo.6101と訂正しておいて下さい。
◇例のチョクシ君がこのごろ少しホームシックにかかったらしく、しょげています。それでも7月上旬の船の切符を買ったので少しは落着いたようですが。一つには例の教授が来て、たえず命令されてかけまわり、疲れ果てたのかも知れません。
◇風邪がはやっていますね。皆さんも気をつけて下さい。小生も昨日の朝やられまけましたが、充分にアルコール消毒をして、今日はもうすっかり元気になりました。では26日にまた。
6103:◇また少し原稿の集まり方が悪くなってきたので編集者は困っています。毎月10日〆切を何卒お忘れなきよう、おねがい申し上げます。
◇今月号は今后の参考のために次頁に文部省の綜合研究班の予算の使い方についての注意書が手に入りましたので、そのコピーをつけておきました。それから先月の報告会での報告書が各人に1冊宛分残りましたので同封いたします。何かに御利用なさりたいことも今に出るかも知れぬと思いまして。
◇東京はすっかり春めいて参りました。日ましに暖かくなり、小雨が降りつづいています。桜も早く咲き出すかも知れません。
◇昭和35年度の決算報告の済んでない方は至急に済ませて釜洞先生のところへ速達で送って下さい。証拠書類に順序に番号をつけ、一覧表の備考欄にその番号を附記しておくと良いです。
6104:◇愈々良い季節になってきましたから、皆さんも大いに頑張って居られることと思います。今月から堀川君にも登場してもらうことになりました。誌面も大分活気付きます。しかし今月の欠席の多いのにはおどろきましたね。次号からはきちんと10日〆切で、たとえ1頁でも良いですから何か送って下さい。サボル癖がつくと、もうとまらなくなってしまいますから。
◇本日を以て、彼のうるさい奴、Prof.Ramakrishnarが横浜から出航、帰国の途につきました。昨日は集談会で話す筈だったのをすっぽかし、小生にも挨拶もせずに帰って、それきりです。印度人というのが大体そういうもので、Chokshi君みたいのは例外なのだそうです。どうも小生が助手の癖に、教授たる彼にむかって“Sir"もつけないで話すということも気に喰わぬ一つであったようです。他の人の例をひいてほのめかしていました。
◇英国のロンドンの或化学会社の研究室にいる男が、自分のところではいくら
fibroblastsの株を作ろうとしても皆Collagenを作る能力を失ってしまうが、お前のところはどうしているかときいてきましたから、ついでに高木君の株のことを附記してやったら、ぜひそれを分けてくれとの註文です。高木君の承諾をえましたので近い内に送り出す予定です。国産株の輸出第1号になるわけです。
◇臨時ニュースを申上げます。高岡君が急性虫垂炎になって昨日27日夜伝研に入院しました。あの体質ですから、なるべく手術をしないようにと、クロマイを1日2グラム宛のみ、冷やしていますが経過は良い様です。自発痛消え圧痛も軽少になりました。ご心配なく。 《巻頭言》
研究と研究班
今年度は文部省の大研究班制が解散になり、癌という特別の枠でなく一般と同様に取扱われ、且各班の規模も小さくする−ということは皆さん既に御承知のことである。そして我々もその線に沿って我々だけで申請したわけであるが、案外今度は通る可能性が強いと思われる。しかしここで呉々も注意しておきたいのは“我々自身が何とかして癌の問題に突破口を開きたい、だから研究費が欲しい”のであって、間々見受けるように“申請が通ってしまった、だから何かやることはないか、何かやらなくちゃならん”などという輩と一緒にされてはたまらんということである。我々は、我々の力を買って、そこに国民の税金の一部を投入してくれた、その信頼に少しでも余計に応えられるように、本気で努力しなくてはならないと思う。これまでは上にあげた例の様な連中が多すぎた。だから今日まで癌の研究は禄に進歩しなかった、とも云えるし、他の分野でも同様である。我々は自分から、そこに突破口を開かねばならぬという責任感を強く持たなくてはならない。事実、国内を見廻してみて、若し我々がやらなかったら誰ができるであろうか。我々がのろのろしていれば、その分だけ日本の研究の進行は停滞するのである。
研究費をもらえようが、もらえまいが、とにかく我々の場合には研究をどんどん進めなくてはならない。勿論もらえればそれだけ進捗は早められるが、あくまでこれは副次的な問題である。従って今年度の研究計画と各自の分担を決めるため、次のように今年度第一回の研究連絡会を開き、早急に今年の新計画に全員が突入する態勢を取ることにした。頂度関西で開かれる組織培養学会が土曜日(5月13日)なので、その翌日の午前をつかって、阪大伊藤君の御世話で、同大学医学部の癌研で開きます。全員の出席を期待します。
6105:◇愈々共同研究が号報1発スタートを切った訳です。考えてみれば過去1年間釜洞班に大半の班員が入れてもらって、共同研究の下地をよその班で作らせてもらったような結果です。やはりこうしてまとまるには、どうしても1年位の基礎期間が必要のようですね。
◇仕事は大体この夏までにできるだけのピッチを上げることにしましょう。研究班の最后的決定にはあと数週かかるという噂をききましたが、いわば確定申告のようなものを出す関係上、各班員仮に15万円として購入予定の物品名、数量、単価、合計価を至急に表を作って班長のところへ送って下さい。大体全部消耗品がよく、硝子器具類、薬品類、動物類と三大別して下さい。
◇皆さま、何卒来月の10月〆切をお忘れなく。
◇高岡君の虫垂炎が再発。とうとう明19日午前に切ることに決まりました。いまクロマイと氷嚢で保たせています。これであとは安心して飲めるということでしょう。まるで組織培養学会のためにその準備と出席期間だけ退院していたようなものです。
6106:◇愈々夏がやってきましたね。つまり癌学会の〆切も近づいた訳です。皆さんも大いに張切ってやって居られることと存じますが、本当に今度は班が承認されてよかったですね。癌関係の班は合計19通ったそうですが。これまでのように合同の報告会や報告書を出そうとして、吉田さんが班長になり、各班長が班員となった綜合班をもう一つ作って100万円もらい、この金をその費用にあてようとしています。
◇高木君の株は6月6日北極廻りの欧州行日航機第1便に島津夫妻と一緒に乗ってロンドンに無事行きました。TD-40瓶2本をふんぱつし、Bagの中で冷やされて行きました。
◇Chokshi君が6月17日夕、浜発のVet-Nam号で無事帰国の途につきました。我々も皆で送りに行き、最后にシルクホテルの屋上から船の真白な姿が岬の蔭に消えるまで望遠鏡で見送りました。何とか病気らしい病気もなしに送り返すことができて、全くほっとしました。
◇阪大久留外科から内地留学の高井新一郎君も6月上旬に半年振りで帰阪されました。伊藤君の研究室も一段と活気が上がることと思います。気を合わせて大いに頑張って下さい。
◇九大第一内科の高木良三郎班員はこんど講師になられたそうです。どうもこの班での最初の“汚点”ですね。今月号の巻頭の辞をかき直さなくてはならなくなりました。
◇東大小児科から留学中の古川利温君は無事に練習コースを終了されましたが、当分こちらに残って一緒に白血病の研究をつづけています。高井君の居なくなったあとの、最高の頑張り屋になりました。
6107:◇第1頁にお知らせしたように愈々第2回の研究連絡会をひらきます。文部省からは正式の通知は先般参りましたが、金の方はまだです。中旬には、と思っていたのですが、この発行にはとうとう間に合いませんでした。しかし近い内には届くと思います。連絡会の日は皆さんの御都合が仲々マッチせず段々変ってしまって申訳ございませんでした。 ◇来週の7月20日には癌関係19班の班長会議があります。若し重要なことが決まりましたら臨時号を出してお知らせします。月報の8月号は連絡会での報告をのせますから原稿は要りません。但し走りがきでも結構ですから、そのとき要旨を1部持参して下さい。月報にかくとき間違のないように参考にしますから。
◇Chokshi君は無事印度についたそうです。皆さんによろしくとのことです。こんどはマラヤからきたいというのがありますが未だ決定しません。
◇今月号は原稿を寄せて下さる人が少くてがっかりしました。しかしまあ半分のメンバーでも発癌に手をつけて下さっていれば、かなり所期の目的は達せられるかも知れません。研究の進展について来年度以降は漸次メンバーの入れかえを実施したいと思いますから頑張って下さい。
◇東京はかなり暑くなって皆うだっています。東大の医学部の学生がいま6人きています。Max.のときは7人でした。この混雑ぶりを御想像下さい。梅田君は7月一杯で横浜に帰る予定です。市立大の病理に組織培養室が作られたそうですので。内川君は悠々とやっています。高岡君も元気です。
《巻頭言》
発癌の次は−
Personal communicationの項に報告したように、正常細胞をin
vitroで癌化させることは案外近いところまで来ているかも知れない。各人が色々の方法でやって夫々その結果を他の人が自分の方法の改良に応用し、能率を上げて行くと、1年間には相当幅広い発癌研究が展開されるかも知れない。このようなことは、これまでの研究結果にも研究態勢にもかって無かったことで、世界的にも俄然注目されるようになるであろう。大いにこの1年間を頑張り通すことにしよう。
ところで若し動物に復元接種して癌化していることが証明されたとしたら、次に何をするかを考えておかなくてはならない。大別すると、癌化した細胞がもとの細胞とどこがどんな風にちがうか、をしらべることと、次に癌化して行く過程で、どんな風に変って行くかを追跡すること、さらにできれば(時間的に、という意味ですよ)癌化の機構は何であるか、を解明すること、この三つに分けられるのではあるまいか。
まず第1の、正常細胞と癌細胞の比較であるが、これまでの癌研究の多くはこれに費やされて居り、その方法が参考にはなるが、しかし主に形態学的研究ばかりで、肝腎の生化学的研究では未だこれが癌の特性だ、ということがはっきり把握されていない。これはこれまでの生化学的検索法があまりにgrobeで、fineな差違をつかみ得ないことが最大原因であると思っているが・・・。例のmalignolipinにしても、ドイツの研究者の手によってではあるが、予想していた通り追試されて、相当激烈な表現で反証されている。しかし我々のように同一sourceの正常細胞と、それから癌化したものとを比較する場合には、案外特異的なものを早く拾えるかも知れない、という気もする。そうした基礎に立って第2の問題も追跡されることになろう。第3は相当な難問であるが、これもまた我々の特異的
teckniqueで案外面白いことになるのではないかと秘かにほくそえんでいる次第である。とにかくこういう問題も発癌の次に待っているのだ、ということを承知していろいろと考えておいて頂き、その内話し合いたいと思っている。
6108:◇暑いさなかに皆さんお集りを頂いて本当にありがとう御座いました。着々と大きな歯車のまわり出す準備がととのえられて行くのを、皆さんの御業績から感じました。 ◇次の報告会は秋の組織培養学会の翌日と決まりました。御承知おき下さい。
◇高野班員が予研を去って今秋、米国Pfeizer製薬会社のLab.に行かれる由。同君なら米国永住も平気でしょうが、研究者がどんどん外国へ流れ去るのは、日本の医学会にとって誠に残念なことです。班の方は入れちがいに帰国される山田君に入って頂きたいと思いますが、皆さん如何ですか。
◇前号で、高木班員がこの班最初の汚点で講師になられた、とかきましたが、実はこんどは小生が第2の汚点になってしまいました。まだ正式発表にはなりませんが、8月1日附で助教授になりました。どうぞよろしく。
6109:◇この夏は暑さも稀に見るきびしさだったが、何と今月の原稿の集まらないこと、情ない思いです。Neuesがなければ何か面白そうな文献の紹介でも何でも出来そうなものです。月1回、こんな紙ぴら1枚もかけないでは自ら、班員たる義務をつくせないから辞める、と告白しているようなものです。
◇阪大の台風禍はまことにお気の毒です。あっという10分もたたぬ間に天井まで泥水が来て、データを持出すだけがやっと、培養瓶は水にプカプカ浮いていたそうです。しかし高井君の株は何とか助かったようです。水が引いたあとも雑菌が多くて困ることでしょう。気を落さないでしっかりやって下さい。人間の真価は逆境のときに発揮されるものですから。
◇九大第一内科では11月25日、26日が開講記念日なので、第3回連絡会を11月末か12月初めにしてくれ、との高木君の申出ですが、どうしましょうか。殊に阪大の方は如何。
《巻頭言》
研究班の在り方
最近色々な文部省科学研究班に出席してみて、つくづく感じることであるが、班とは名ばかりで、実体は各個研究の似たようなテーマの者をかり集めたのに過ぎないといった類が多い。いや、殆んどがそれかも知れない。甚しいのは1年間にたった1回、それも癌の合同報告会の前日にはじめて全班員が集まった、なんて班があるのだから誠に恐れ入る他はない。数カ月前も癌関係の班長会議に出席したが、この連中は果して本気で癌をやっつけようと思っているのだろうか、とすら考えざるを得なかった。
癌はこれまでの多くの病気に比較して、数オーダーも上の厄介な病気で、研究費欲しさにちょいとやっつけ仕事で片附くような、そんな生っちょろいものではない。
我々はすでに現在癌学界でのボス連の研究能力と将来の研究成果には見限りをつけた。あの連中には絶対に癌を征伐できない。我々第二線が頑張らなければ、と云っていたら、何時の間にか、我々が第一線に押出されてしまった。まことに情けない第一線であるが、そうなったらしかし我々にも大きな義務が生じる。何も今迄なまけて居た訳ではないが、ここで心をぐっと引きしめて“俺は一体、癌をやっつける気があるのか、無いのか”本気で自問自答してみることにしよう。
癌は大物である。しかし我々が真剣に生命をこめて研究したならば、決して手に負えないものではあるまい。何とか、次の代まで持越して災らわせないで、我々の代に片附けたいものである。
他人の班を笑うけれど、我々の班にも最近中だるみが見えてきた。(新しい班の班長としての責任から一言しておきますが、真剣に癌と面をつき合わせて勝負しようとしない、その日限りのやっつけ仕事ばかりやっている人は、来年度はお世話しません。)少くとも我々の班だけは、日本刀を抜合わせた真剣勝負の気魄を持ち続けたい、と切願する。
10月の癌学会、11月の組織培養学会を控えて忙しい日々ではあるが、それらの題目の奥に、我々が一生向って行くべき大きな相手のあることを片時も忘れる訳にはいかない。
今年度もいまや半ばをすぎようとしている。その間どれだけの仕事ができたか。今年度の終りになって忸怩たるもののないよう、残りの后半には一層の努力をつくして、当初の目的に邁進しよう。
6110:◇相不変月報報告の集まりが悪く、しかもおくれてくるので困っています。来号からは必ず10日〆切を守って下さい。◇高野君は10月30日午前10時の日航機で米国に“帰られ”ます。人には色々な考の人もあるので仕方ないでしょう。
6111:◇今月の原稿の少いのにはおどろきました。はじめて以来でしょう。伊藤班員のは先月号に間に合わなかったのをくり入れただけですから、本当に送ってきたのは高木班員だけ、という次第です。そんなもの書かなくったって、仕事をしていれば良いんだ、という考もあるかも知れませんが、一つの班としてまとまって仕事をしようとする以上、毎月きちんと報告書(それもこんな紙ぴら一枚の)を送るのは班員として当然の義務だと思います。しかも今月号は夢みたいなことをかいてくれ、という号で、何も結果が出ていなくても、夢位はかけるでしょう。また考えてもいないんなら癌の研究でござい、なんて研究費をとる資格もない訳です。
◇その内来年度の研究班の申請をする季節がやってきますが、来年度は少し趣を変えて、全部同格の分け方をせず、A、B、C、の三つのランキングを作ったらと考えて居ります。A班員は、この班の目的に応じた培養実験をやる人、Bはそれに関連のある仕事をしている班員、Cは班員とは呼べませんが、研究の進展に応じて臨時に共同研究に参加する人です。如何ですか。
《巻頭言》
欧州組織培養学会との学会演者交換
御承知のように現在世界中で大きな組織培養の学会といえば、American
Tissue CultureAssociation(最近発展的解消をしてCellular
Biologyの学会になったと云われるが)と、
European Tissue Cultur Clubと日本組織培養学会の三つであるが、最近フランス・パリにある癌研の組織培養ウィルス研究部部長のDr.Georges
Barskiが塩野義製薬研究所の開所式に招かれて来日し、伝研にも数回来訪した。そのとき“日本組織培養学会からのAnnualBibliographyを受取っているか"と聞いたところ、“やあ、実はそれなんだ"と話がはずみ初め、“日本の組織培養界が一丸となって実に活発によくやっているので、刺戟されて我々も大いにやろうということになり、目下オランダのLeidenにいるDr.Gaya(このスペルは不確か)が中心になって新体制の準備をととのえている。我々の方は毎年春学会を開いているが、ついては日本の組織培養学会と毎年1人宛演者の交換をしようではないか。君が一つ正式に私宛にその旨の手紙をかいて呉れれば、国際的財団に私がかけ合って、その位の旅費は工面させることにしよう"という話になった。勿論結構な話であるから早速手紙の方は書いたが、同時に米国のNIHのDr.Eagleの処へもその旨を知らせ、米国と日本の間でもやらないか、と申込んだ。うまく行けば欧州の方は1962年の春からでも可能になろうが、日本へ招く時機はやはり東京で開いている秋の方が良いのではないかと私考する。なお、数年前Glasgowで開かれたのは彼の話によれば、Internationalではなく、米国と欧州との合同の学会にすぎなかった由で、次回は1963年に米国のどこか小さな町で開かれる筈だとのことである。日本としては、そのときには是非代表選手を送りたいが、何と云っても一番問題なのは旅費であろう。旅費の工面に走りまわらなくてはならぬ、という点では日本は未だ未開国に入れられるかも知れない。私の意見としては、毎年ちがった人を送りたいが、野球の選手のように後位打者になるほど打撃が弱いのでは困りものであるから、後続者に困らないように、しっかりした研究者を育てることが、この点でも必要になってきた。皆さん御覚悟は如何ですか。
6112:◇第3回連絡会号をかき終ってやれやれです。ちょうど右手をいためていましたので、気をつけたのですが、ずい分変な字になってしまったところもあると思います。不悪。 ◇予研の高野班員が米国へ行ってしまいましたが、入れ代って山田正篤君が帰ってこられました。仕事の計画にもよりましょうが、来年度には班に入ってくれると思います。まともなtissue
culturistとして渡米したのは彼が最初でしょうから、彼の見聞記でもかいてもらって、我々の見たいと思っていたところ、知りたいと思っていたところを、ずばりと聞かせてもらいましょう。
◇当室のMemberが大分ふえていますので御紹介しておきましょう。Basal
mediumとして、小生、高岡、鬼沢、ですが、あと半月位で放医研の関口豊三君(Biochemist)が助手として正式に加わる予定です。核酸の酸可溶性分劃などの仕事をやってきた人です。そのほか、大学院学生の内川君の他に、東大放射線科の菱沢君が入ってきました。2年間居ますから当室の大学院生みたいなものです。あと実習生として3月迄が、京都府立医大・微生物の谷野輝雄君(講師)、5月迄が東邦大森田内科の田口譲二君です。東大小児科の古川君は多分3月迄居られると思います。相不変白血病の基礎的データをあつめています。
◇では皆さん良いお年をお迎え下さい。
6112終
6201:◇そろそろ1年のしめくくりの時期が近附いて参りました。さきに別送しましたように、報告書を1月末日に当方に届くように送って下さい。こちらでそれを括めて2月
15日に持参しなければなりませんので、この期限を必らず守って下さい。なお、会計の報告はもう少しあとになります。書式などはいずれ御通知します。◇
◇山田君が帰国なさいましたので、今后は高野班員に代ってやってくれることになりました。今月が初登場です。高野君のときより一段と活躍されることと思います。
◇第4回連絡会は急に決まりましたので、遠方の方は切符の入手に苦しまれたことと存じます。今后はなるべう早くお知らせするように致します。
◇日本組織培養学会の次の研究会は京大解剖の岡本教授が担当されますが、5月19日(土)の予定です。“神経組織の培養”のシンポジウムもやるそうです。演題の数によって第2日午前まで使うかも知れぬ由ですが、それの決まり次第、前の日か後の日かに37年度の
第1回の連絡会をひらきたいと思います。こんどはうまく操作してこのときの旅費も出したいと思います。そして来年度は5月、8月、10〜11月、2月の4回位にしては如何でしょうか。なお5月京大でやるときは会場を堀川君にお世話んがいたいと存じますので、よろしくおねがい申上げます。
◇放医研の関口豊三君が助手として当研究室のメンバーに加わることが正式にきまりました。今后とも何卒よろしくおねがい申上げます。
6202:◇第4回連絡会がすんでから、DABでやっている実験が少し有望らしいことが判りました。第5回のとき詳しく報告しますが、問題は動物に復元接種できるだけにふやせるかどうかです。
◇3月号の月報は2月の連絡会の記事を用いますから特に要りません。但し上にかいたように報告要旨はかいてきて頂きます。従って次のpersonal
communicationを提出するのは4月15日迄です。
◇会計報告を必要とするのは高木班員、伊藤班員、遠藤班員と私ですが、できるだけ早く片附けた方が気が楽ですので、帳尻のカラになった方は、昨年と同様の方法で整理して送って下さい。かき方の注意もこの間コピーでお送りしました。受取にNo.をふって、そのNo.を収支簿の備考欄にかくわけですが、このNo.のつけ方は、各自イニシャルをつけて下さい。例えば高木班員のときはNo.T-1,T-2・・・という具合に。
◇研究の報告書を1月一杯に出して頂くことになって居ります。若し未だの方が、萬一、おありでしたら至急おねがいします。これは全班員です。400字たった2枚〜3枚のものですから、未だの方があったら、すぐこの場でかいてしまって下さい。
6203:◇遂に当班の最大目標である“in vitroの発癌"に大きなメドがついたことは、全くうれしい限りです。これから夏までに一段落するように、各班員とも全力をあげて頑張りましょう。5月には立派な成果をもち寄り合いたいものです。
◇来4月は久振りに各班員のPersonal Communicationをのせるわけですが、〆切は4月5日にしたいと思います。月が変ったらすぐ送るつもりになっていて下さい。
◇当研究室も一人また一人と流感にやられ、高岡君はごく軽くすませ、最后の一人の小生はアルコール消毒完全をほこっていたのですが、岡山から帰ってきて遂に咳が出はじめ、ふうふう云いながら、この号を仕上げました。
◇岡山といえば、つまりこの3月3日に、岡山大・癌研に招かれて“癌と組織培養"という話を2時間ばかりさせて頂きました。大ぜい集まったのには感心しましたし、ナイターの部でも大歓待されたのには感激しました。あらためて佐藤兄、喜多村兄、松岡兄などに深謝させて頂きます。
6204:◇今月から新班員として岡山大の佐藤二郎君が登場しました。本班目標の“発癌"を第一歩からすでにはじめてくれている、まことにたのもしい仲間です。どうぞよろしく。 ◇奥村君は今年からRegular
memberではなく(名はつらねてありますが)、必要な仕事の出来たとき手伝ってもらい、それに対しては臨時に研究費を出すように変えました。月報の義務なし。
◇第6回研究連絡会は前号でお知らせした通り、5月2日(日)午前9:30より堀川君の御世話で京大で開きます。旅費は夏に金がきてからその分を支給しますから、正式な出張の届をしておいて下さい。また旅費は大学の方からもらわないでおいて下さい。文部省関係以外は別。このとき7月の月報用に、連絡会でしゃべる報告の内容をこの前のように月報用紙に抄録して御持参なさることをお忘れなく。5月用の月報原稿はそれとは別に5月1日になったらきちんと書き始めて、5月5日迄に当方に届くようにして下さい。
◇後知らせした方もありますが下記の論文は故Syvertonの一門で30種以上の株のorigin(species)を明快にきめ、HeLaとLのcontamiが多いとしている大変面白い論文です。
1.Clausen,J.J. & Syverton,J.T.:Comparative
chromosomal study of 31 cultured
mammalian cell lines. J.Nat.Canc.Inst.,28(1)117-145,1962.
2.Brand,K.G. & Syverton,J.T.:Results
of species-specific hemagglutination testson
“transformed," nontransformed,and primary
cell cultures. ibid,p.147-157.
◇いまアメリカのpremedical courseを卒業して、培養をしているお嬢さんが大変日本へきたがって、金の出所をこれから探してやるところです。2年以上居たいらしいです。来るのは今秋から来春になると思いますが、その節はどうぞ仲良くしてやって下さい。
◇北里研究所の技術養成所を今春卒業したお嬢さん2人、田中君と山口君が当室にこんど入りました。将来TCのLaborantinとしてやって行きたい気で入ってきたのですから、大変熱心です。どうぞ今后ともよろしく。
◇堀川君はいよいよ4月下旬に京大に移るそうです。以后の連絡はそちらへ。
《巻頭言》
発癌実験の成功近し?
in vitroの発癌は我班最大の目標である。そして同時に、培養領域における癌研究にとって緊要の命題でもある。過去1年間我々はこの問題と取組み、色々の貴重な体験を得てきた。こうした体験は実際に手がけてみなければ決して体得することのできない、極めて大切なものである。しかも前月号に報告(班会議)したように、成功する可能性のある兆しが見えてきたのである。頂度、暗夜の山の中を大体この方向とは思いながらも五里霧中で歩いていたのが、東の空がほのかに白みはじめ、山なみの輪郭もあらわれ、進むべき方向もはっきり確認されたという感じである。ただ本当には日がまだ出ないので足許の石ころの一つ一つ迄よく見えず、時々石をけとばしたり、つまずいたりするのは致方のないところである。したがって、大体の方角が判った以上、あとは足許によく気をつけて歩くのが第一であろう。
本報の各班員の報告でもよく判るように、目下の足許の問題の一つは、用いる動物の日齢であり、次が培地の問題であろう。実験ごとに仲々成績が一定しない。余り若い動物を使うとcontrolも生えてくるし、余り年老ったのを使うと実験群も生えない。それから頂度AH-130を腹水から培養に移したときのように、実験群の細胞もはじめは勢良く生え出すが、復元に使うために増やそうと思って継代していると次第に勢いが悪くなってくる例が多い。この辺に培地の問題がからんでくる。この辺が当面している困難の一つであろう。 復元法については、前号にも記したように、我々はきわめて優秀な方法を見出した。
“本人に帰す"法であるから最も理想的で、培養内の発癌だからこそ為し得るところと云える。これによって本研究の困難の半分は消えたのである。残るは、したがって、できるだけ高い頻度で発癌させることにある。in
vivoの実験では殆んど100%にDAB肝癌ができる。正確に云えば6〜8ケ月で約80%(0.06%DABを飼料に添加)に発生する、それ以上は実験を打切るので実際の頻度はもっと高いと考えて良い。従って、in
vitroでnaked cellに与えるのであるから、その与え方をもう少し改良すれば100%近くになって良い筈である。発癌のacceleratorや、発癌剤の数種複合使用など考えて良いし、作用期間の加減も試みるべき問題である。DABで細胞に変化の起ることはin
vitroで証明できた。in vivoではその(恐らく色々の方向に)変った細胞の中から癌細胞が淘汰される。従って、in
vitroでも、変化した細胞の中から正常の細胞によって再び淘汰させるという手もある。in
vitroでさせるのも良し、直接liverに注入してそこで淘汰させるのも一案であろう。とにかく目的地は近い。全力をあげて総員突進しよう。
6205:◇東京は水飢饉で困ったものです。硝子器具などの水洗いは朝10時までに済ませ、再留水(cooler!)は夜作らなくてはなりません。全く情ない都市計画です。◇今年は癌学会の演題申込〆切が7月31日で、しかも完成原稿を出せというのですから辛いですね。従って我々としては7月末までに勝負するつもりで頑張らなくてはならないところです。頑張りましょう。◇研究費の分け方の方針をかえて、一種の能率給式のものにしました。その方が反って公平だと思います。同時に他の班にもどしどし培養屋を喰込ませて行く必要もありますね。◇当室にはまたlaborantinの卵が入りました。大後彬子(ダイゴアヤコ)さんです。自由学園卒で、高岡君の後輩です。どうぞよろしく。方針としては培養と生化学方面を手伝ってもらうつもりです。◇この間スミスコロナ(黒沢商店輸入)の電気タイプを買いました。山田班員に刺戟されたのですが使ってみると実にすばらしい。200型では
12吋のローラーがついていて、¥95、000位です。買うときはこれをおすすめします。
6206:◇水飢饉といってさわいで居たら梅雨に入ってこんどは止めどもなく連日雨。久しく青空を見ないような気がする。今月は月報の原稿のあつまるのがおくれ、10日に発行できなかった。連絡会のとき必らず原稿を持参するよう今后は絶対に励行して下さい。やはりあとからのでは、そのときのDiscussionと内容が合わなかったりしてうまくありませんし、何より、もう今日は届くかと思ってのばしているのが困ります。これからは若し忘れた場合には後からでなく、その場で書いてもらうことに決めます。 ◇次回の連絡会は28日(土)ですが、次の日曜も会議室を借りておきましたから癌学会申込の原稿をかくのに御利用下さい。ことしは冷房付ですから快適です。 ◇当室は関口、菱沢、山口、田中といずれも未だtraining
courseを卒業せず、内川は電顕、大後は生化学定量の、いずれも練習中で、相変らず戦力は高岡君ただ一人ですが、病理学会も控えていますが、とにかく発癌に主力を注いています。来月末までにどうなるか。Ratは順調に生み出して目下第16代のJARが生まれました。 ◇伝研も70年目にようやくその所名を変えることに決定しました。新名はまだ決まっていません。ではこの次お逢いするときまで元気で頑張って下さい。手が痛くて悪筆でごめん下さい。
《巻頭言》
研究統制はじまるか?
いま自由黨も社会黨も一緒になって、議員立法として、全国の国立研究所を夫々の管轄から科学技術省(庁から省に昇格させる)の下に統合しようと計画しているそうである。その代り待遇を良くし、研究費も国の予算の10%以上を廻すという。この計画は、文部省、学術会議、研究所長会議、大学総長などに一切秘密でこれまではこばれてきた。この動きは最近表立ってきた大学管理の問題と関連したもので、夫々の黨が別々の目的をもちながら呉越同舟したところに強味があり、そのまま議会で押切られる恐れがある。
この月報は政治的なことには触れないつもりであったが、こうなると事重大なので、この事実を知らない方が居るといけないと思い、あえて触れることにした。
科学技術庁に入れられ、政治屋、事務屋の会議で支配されるようになるとどんな具合の悪いことが起るか。第1にもっとも考えられるのは、すぐ応用的に役に立たないような、本当に基礎的な研究には研究費の廻り方がぐっと悪くなるだろうということである。いくら国費の10%といっても、人件費も何もみんな入っているし、その内の9.999・・・%は軍事的研究に廻されるのは目に見えている。ロケット1発あげるだけで何億という金がとぶのであるから当然である。組織培養といって、今でこそブームのようだが10年前にはどんなに苦しい思いをして研究したか。そこを切抜けてきたからこそ今日研究に役立つようになった訳で、政治屋や事務屋が集まったところで、研究者でも仲々むずかしい10年先の見通しなどつく訳がない。我々は今日ではいわば日の当る研究になってきたから自分のことは良いが、あとにつづく連中のために本当にこれが心配なのである。
第2の心配は人である。そもそもこの発端からして、科学技術庁が4〜5の研究所を持っているが仲々人材が集まらず、その上折角集めた人にも逃げられる(うちへきた関口君も放医研から逃げてきた)始末に困り果てて考えついたなどと云われる位である。研究所などは1年もあれば建てられるが、研究者は10年かからねば養成できない。また、出来上っている研究所でもたえず人事の交換が行われなければ“老化”してしまう。特に若い研究者が次々と入ってくることが最も大切なことである。文部省−大学に所属していれば、今のように学生の夏の実習で、その雰囲気になじませ、大学院学生も入れられて、研究者の養成に困らないが、科学技術省の下となるとそうは行かなくなる。(放医研では組織培養の“棟”を作る予算を取ったが、実際にやれる人は何と3人に減ってしまっている。)今日、厚生省の下へでも皆行きたがらない。予研はどんどん優秀なのに逃げられている。癌センターは三流どころを集めるのにもフーフー云っている。いかに官僚的な雰囲気の下で研究がやりにくいか皆よく知っているからである。
政府がなぜこんなことをやりたいか。いちばん狙っているのは工業関係と思うが、要するに自分たちのやらせたいことをいや応なしにやらせるためにである。そして、それは明日のためだけであって10年后のためではない。社会黨は彼等の世になったらやはりやりたいことを、与黨の手でやらせるにすぎない。ソビエト、中国の状況をみれば判る。軍備だって彼等の世になれば、彼等のための軍隊を作るにきまっている。自由黨の云うことをきく軍隊では困るから反対しているだけである。これはかって、ある共産黨員からはっきり聞き、それ以来私は奴等を敵としだした。
それではこういう流れに対抗するにはどうしたら良いか。まず文部省に動かせてはいけないと思う。文部省や厚生省が動いたのでは単に縄ばり争いにしかとられない。やはり学術会議、研究所長会議あたりが中心になり、それもこれまでのように姑息な手直し的意見ではなく、画企的な豪快な改革案を打出さなくてはいけない。これまで作られた案などはみな古くさい小規模すぎるものである。この戦は“守って”いては必ずまける。向うは改革する気があるのであるから、かえって、こちらにとってもチャンスなのである。むこうにも妥協させ得るだけの、しかも向う以上に大きな規模の案を作って“攻め”なければいけない。広く文化人や与論に訴えることも当然必要である。場合によっては天皇に出て頂くのも良い。(話せば判るらしい。)とにかく畜生みたいなのを相手にするのだから、当り前のことをしていては負けるのは目に見えている。近ごろといわず、戦后は外国に逃げ出す学者がふえてきた。木下良順、大野乾、我々の仲間の高野宏一、近くは予研の石坂・・良く知っている連中だけでも一杯いる。しかし我々は日本の国民の血税を使って教育され、また今日まで研究をつづけてきたことを絶対に忘れてはなるまい。この畜生法が通ったとき、米国あたりへ逃げ出すことも考えられる。しかしやはり我々は日本にとどまり、できるだけの抵抗をしながら後につづく研究者を養成し、そのためを図ってやることを努めるべきではあるまいか。
騒々しい世の中に動かされていては仕事など能率が上らない。しかし今回のこのさわぎばかりは一寸見逃す訳に行かず、つい月報で触れてしまった。御寛容をおねがいしたい。
6207:◇長い梅雨が終って、暑い夏に入りましたね。あれよあれよという間に今年ももう半分以上すぎてしまった訳です。全く光陰は矢の如しです。当研究室ではこの頃若い人が大分いますが何れも未だ練習コースで、無駄飯をくわしているようなもので、戦力は依然高岡君一人です。内川君は3月から電顕をやっていますが未だ1枚も禄なのがとれません。正常と腫瘍との間の形態学的相互作用をみたいと思っているのですが・・・。
◇札幌でやった病理学会で、山際勝三郎先生の生誕百年式が行われました。そのとき勝沼精蔵教授が仲々良い話をされました。“山際先生は兎の耳に毎日コールタールを塗って何ケ月も頑張った。いまの世では根性というと相撲やプロ野球の方でばかり云われて肝腎の研究者の根性が近ごろ忘れられている。出来るか出来ないか判らないのにも拘らず山際先生は必ずできることを確信して頑張られた訳だ。"
百年目の今年、われわれグループがこうやってこんどは細胞レベルで発癌を狙って頑張っていることは、不思議な縁とも云えるし、我々も山際先生に負けないように、しっかりやらなくてはならぬ、と沁々感じる所以でもある。
◇今月は月報原稿が集まらないでこんなに発行がおくれました。原稿はしわになりますからボール紙をそえて袋に入れて下さい。アイロンをかける必要のあるのも出てきますので。
《巻頭言》
研究者の養成
研究所は1年もあれば立派なのが建てられるが、研究者は10年かからねば養成できない。その肝腎の研究者の卵が、基礎医学の分野に於て最近減ってきているのは本当に困りものである。あと10年経ったらどうなるのだろうと心配するだけではなく、現にあちこちで作られている研究所の構成に困り、あちこちで引抜き競争をやる始末である。我々は自分の現在の仕事を熱心に遂行しなければならないのは当然であるが、同時にたえず次代の研究者の養成にも注意しなくてはならない。研究所として一番良いのはしっかりした大学院学生を次々と入れ、その中からえらんで行くことであるが、実際的にはもっと以前、大学の1年生位から刺戟しはじめなくては間に合わない。私の研究室でもこれまで色々の企てをそのためにやってきたが、自分の学生時代の経験から考えて、昨夏からはじめた方法がかなり良いような気がするので、御参考までに紹介しょう。その準備は1年位前からはじまる。つまり1〜2年の学生にも何とかやれそうな仕事を、やらないで1年間ためておくのである。そして6月頃、学生の代表をよんで、今夏はこれだけのテーマがあり、各テーマには何人で何日位かかる、と詳しく説明してやる。すると代表は学生の間をきき歩いて希望者を探してくるのである。昨夏は1年生が3人来て、それにL・P4株の多核形成率をしらべさせ、あとでこちらで括めて、一緒にその人たちの名前をつけて、集団会に出したり、
reportにかいたりした。これが非常に効いて、今夏は12人位来ることになってしまった。東大の学生の間には“癌の会”というのがあって、そこのメンバーがくるのである。1年生には余り大したことはやらせられないが、2年目のにはCatalas活性の定量とか、染色体検索、顕微鏡映画の撮影、等々、かなり色々のことをやらせられる。こうして、何とかまとめられるような仕事を一つ宛でも毎夏やらせると、彼等も活気を持ってどんどん集まってくるらしい。勿論その内の何割が卒業してから入ってくるか判らないが、そういう努力をしないよりは遥かに効果があろう。そして、なるほど基礎とは、こんなことをこんな風にやるものか、とおぼろげにでもその雰囲気を判らせ、それなりの自信を持たせることが大切であろう。かって医学部の学生たちと一緒に旅行したとき彼等の気持をきいたが、基礎に入りにくいという最大の点は、経済問題ではなく、自分たちが受けてきた臨床家になるような教育のレールから外れなくてはならないという不安と、自分が基礎に入って先き先きまでやって行ける能力があるだろうかという懸念であるということを語っていた。毎夏にでも実習(というよりは研究)をやって居れば、こうした不安も自分でも或程度めどが付くのではあるまいか、と思う。
6208:◇どうもおどろいた暑さですね。しかし今年は梅雨時にはちゃんと雨が降り、夏にはあつくなり、昔のように規則正しい季節廻りに戻って何より結構という説もあります。夏のあとには秋になって涼しくなることを承知しているのですから我慢していられるわけですね。まあもう暫くの辛棒で、頑張りましょう。
6209:◇ようやくのことで暑い夏がすぎ去りつつあり、朝夕は風も若干涼しくほっとしますね。全く今年の夏は東京も猛烈で閉口しました。
◇日本培養学会のmemberになっている印度のDr.K.J.Ranadiveが9月の6、7、8日と訪問しました。ロシアでの癌学会の帰りで、米国経由の由です。Biologistで癌以外にはVirusもBiochemistryもどうも興味がないようでした。東大・動物の西脇氏のLab.とCancer
Centerの中原先生のところへ案内し、あとは伝研ですごしました。Chokshi君とちがって肉でも魚でも、おサケでも何でも平気でしたので、スキヤキや天ぷらに案内しました。因みに同博士はMrs.で、ずっとサリーを着通していました。日本の培養学会に抄録を“To
bo read by title" で送れないかと聞かれました。国際の癌学会が次の4年后には東京で開かれるそうですから、それにくっつけて培養学会の研究会をひらき、semi-internationalのものにしたら良いと思います。
◇この夏は夏休実習に学生さんたちが、10人以上も押しかけ大変な混雑でした。よく実験器具はこわし、よく、いなごの大群のごとく食い、よく飲み(お茶です)、部屋の者は疲れ果てさせられた次第です。しかし非常に気に入ったらしく、来年はもっとしっかりやろう、などと話し合っていました。学生の内から基礎の仕事に興味をもたせ、或程度の自信を持たせて行けばその内の何%かが卒業后入ってきてくれることでしょう。 ◇内川君がAppeで8月27日に手術しましたが、経過良好で、もう元気です。
《巻頭言》
発癌機構の考察
肝細胞にDABをかけると、それまで増殖しなかった細胞が突然増殖をはじめる。明らかに何らかの変化が細胞内に起った証拠である。しかしその細胞を動物に復元接種してみると腫瘍を作らずに消えてしまう。何度くりかえしてみても同じことになる。
ここら辺りで一度、細胞の発癌機構についてじっくり考えてみる必要があるのではなかろうか。発癌は明らかに細胞の不可逆的変化に基く。そしてその変化は細胞のおかれた環境により淘汰される。悪性化がうまく行かないのは、細胞の変化が不充分(或は不適)なのか、折角悪性化したのが淘汰されてしまうのか。そのどちらかであろう。細胞の変化について考えると、発癌にいたるのに、細胞は50位のステップを経るという説も最近云われている。動物実験でDABを用いて発癌させるのに何カ月もかかるところからしらべられたのであろう。動物では、我々の実験とことなり、長い間DABを食わせる。これはどういう意味があるのだろうか。培養のように、あとから余り与えると、折角変った細胞に反って害になる、ということが無いのだろうか。第1段の変化から更に先に進ませるのに、同一物質で充分なのか。それとも未だ判っていないが、体内のホルモンその他が以后の促進役を果しているのだろうか。しかしその変化に方向性のあることは推察できる。前に報告したが、DABを作用させて出てきた培養細胞に胆管系の細胞の増殖を促進するような薬剤で追討ちしたところ、新生していた実質様細胞がほとんど消え、箒星状のが残った、という事実からである。従って第1撃を加え、以后追討をかけるときは、同一方向の物を使う必要があろう。たとえば上に記したような物質はメチルDABのあとに使った方が向いていると考えられる。具体的方策として、とにかく我々はいま一歩のところにきているのであるから、追討ち剤についてよく考え、よく撰んで、色々やってみる必要があると思う。次に淘汰の問題について考えると、いま使っている培地はたしかに良い培地で、色々な細胞の培養に使える。しかしそれ故にこそ反って、ラッテ体内では生きられぬような細胞まで増殖させてしまっているかも知れない。また、これは逆の話であるが、同じくDABを使ってラッテに作った肝癌の一つAH-13、これはきわめて悪性で、腹腔内で腫瘍細胞があまり増えない内に4〜5日でラッテが死んでしまうが、この細胞はいま使っている培地ではよく増えてくれない。この辺ももう一回よく考え直してみる必要がありそうである。
6210:◇ Prof.M.Moskowitz; Dept.of Biological
Sciences. Purdue University,
Lafayette, Indiana, U.S.A.という人から先日突然手紙がきて、“お前のところと同じlineの仕事をしている。ついては来年6月7月8月辺りにお前のところへ行って滞在して良いか。できれば仕事も少しやりたい。"と云ってきました。日本見物がてら、その口実と思いますが、とにかく金のある国の人は気軽にどこへでもすぐ出掛けられて良いですね。
◇同じ日にHarvard UniversityのAssoc.Prof.Chang(色々な株を作ったので有名な)から手紙がきました。それは、株名のつけ方だけでなく、広く培養界での用語の使い方について、何とか統制のとれた使い方のできるようにしたいと、この春アメリカで17人のtissue
culturistが集まって委員会を開いたが、さらに英国のJ.Paul、ベルギーのChevemont、日本のKatsutaからも意見をききたいという丁重な手紙でした。私としては、私を通じて、この機会に日本の意見が向うの人たちに通ずることのできるように、O.K.の返事を出しておきました。培養学会でもその旨を話して、今月末位までに会員から意見をよせてもらい、来月末ごろまでに括めて、向うへ云ってやりたいと思っています。 ◇10月10日に病理学会で“悪性腫瘍の特性”のシンポジウムがあり、小生は細胞レベルでの悪性についてしゃべります。また12月4日には大阪で癌学会主催の“発癌機構”についてのsemi-closedのシンポジウムがあります。これには、このin
vitroの発癌実験の成果を話したいと思っています。討論の材料を提供するという意味のつもりです。 ◇高木君が愈々11月8日羽田発で米国へ向われます。長く一緒に、しかも活発にやってくれていた仲間に去られるのは本当に淋しいことですが、とにかく二年后には良い収穫を得て帰ってこられるよう、大いに期待することに致しましょう。では、高木君、どうぞお元気で!
6211:◇仕事にはうってつけのseasonとなりましたね。11月10日の病理学会シンポジウム(悪性腫瘍の特性)の準備のため、今月の月報発行がいささかおくれたことをおわびします。しかし一つすぎてもまた一つで、来月4日に別掲のようなシンポジウムがありますので、高岡君のおなかもそろそろ痛くなろうものという次第です。 ◇12月号用月報月報原稿は上にかいたように郵送不用になりましたから御注意下さい。
◇先月号にかいたアメリカの例のProf.Moskowitzは、その后やはりどうしても来たいと重ねて云ってきました。うちの仕事振りを見学するだけでよいというのです。そして8月には日本国内のあちこちのLab.を訪問したいそうです。皆さんの御厄介にもなると思いますので、どうぞよろしく。 ◇10月1日から農林省家畜衛生試験場の田中義夫君が実習に見えています。将来は
Cellular biologyの領域に入りたいそうなので何卒よろしく。 ◇内川君が腎盂炎で休んでいます。この間はアッペをとったばかりなのに、どうも病気のデパートみたいです。
◇阪大・第二外科の高井君が今月御結婚の由、幼な馴染の女医さんとか、サテサテ・・・。 ◇こちとらは何の因果か頚が痛くて・・・。40肩というのはきいたが、45頚ってのはありましたっけか。 ◇癌学会の牛山事件、日本医事新報の11月17日号に小生が見聞記をかきましたので、よろしく。
6212:◇この秋は学会やシンポジウムが多くて閉口しました。まだ15日に班長会議が、
20、21日に日米合同科学討議会と控えていますので、忘年会に浮かれて歩く訳にも行きません。もっとも、今年は第2段のalterationを起させるために、ラストスパートをかけて最后まで頑張りますから、ぼやぼやはして居られませんが。 ◇月報を片附けて、これから愈々来年度の綜合研究班の申請書類にかかります。必ずとれるようにしっかり書きます。 ◇高木君も元気のようです。住所は次の通りですから、ときどき手紙をかいて上げて下さい。Dr.Ryosaburo
Takaki; Division of Cell Biology, St.Jude
Hospital, 332 North Lauderdale,Memphis 3,
Tennessee,U.S.A. ◇印度のChokshi君はとうとう教授と喧嘩して、どこかへ出たいと云っています。東大でPh.D.ととるのにはどの位の期間かかるか、なんて云ってきています。 ◇では皆さん、よい新年をお迎え下さい。来年こそは発癌の最后の仕上をやりとげましょう。
6301:◇新年おめでとうございます。今年も元気にしっかりやりましょう。色々な工事が“オリンピックまでに”と云われていますが、我々の発癌はオリンピックまで待たずに仕上げたいものです。 ◇先日インターン生が3人やってきて、うちの部屋に大学院学生として入りたいというのです。気の変るおそれもあるので、いいとこ2人位かも知れませんが、とにかく段々とそういう人がでてきたということは有難いことです。 ◇東北大から昨年放医研に移った宇田川啓次君が12月22日に急逝されました。服毒自殺とか、本当に気の毒なことをしたものです。どうしてそんな気持に追込まれたものか。折角これからという研究者が失われるとは国家的に考えても大きな損失です。皆さん今后自殺したくなったら事前に御相談下さい。 ◇伝研の病理部長はこれまで吉田富三教授が兼任して居られましたが、この3月末定年を控え、さる12月1日附で草野信男助教授が昇任。これで変則的な形が元に戻りました。 ◇もと当室に1年半ほど居た、東大小児科の古川君が1月に入ってからまた暫時当室に出入りすることになりました。よろしく。仲々白血病の培養が旨く行かず、教授に叱られた揚句の処置です。大学院修士コースの内川女史は昨秋から腎盂炎でずっと休んでいましたが、来週位からぽつぽつ出てくると思います。博士コースの菱沢君は滋賀県の田舎でお祖母さんが暮に歿くなられましたので、たった一人のあとつぎの彼は郷里に帰り、何日間だか、毎日お経を自らあげていた由。殊勝になったものです。助手の関口君もこの1月7日でようやく奥さんの喪があけ、当室も今年は色々すっかり片附いて、良い運が廻ってきてくれるのではないか、と期待しています。
《巻頭言》
張切ろう、1963年!
我々培養だけの班ができてから、早いものでもう2年近く経ちました。ここで昨年1年間我々が何をやったか、ふりかえってみましょう。一番大きなことは、DABによる肝細胞の増殖誘導を細胞レベルで見付けたことでしょう。これはほとんどの全班員によって追試されましたが、佐藤班員は追試に成功しています。その他が旨く行かないのは、Technicalの問題と、なれるほどやってみないという回数の問題に因ると思います。しかしここまで追いつめたのですから、あと一息で、今年こそは是非発癌に成功しましょう。1963年という年がTissue
Culturistsの間で永久に忘れられない年になるように。そしてそのときこそはじめて“おめでとう”が交わされ得るでしょう。
さてそれでは今年はどういう風に班として仕事を進めるか、ということですが、主軸はこれまで手をつけたDAB−肝の組合わせによる増殖細胞を、第2次刺戟により何とか悪性化まで持って行くこととし、さらに他の要因(ホルモン、放射線など)による発癌も手掛けておいたら如何かと思います。発癌機構の問題は、体系的に論ずるには未だ生物学的現象論的データが不足している現況ですので、我々としてはできるだけ沢山のデータを集めることが大切と思います。他の要因による発癌は、12月の班会議でも、杉、山田、堀川、佐藤の各班員が手をつけて下さるよう計画にのっていましたので、ぜひ手をつけて頂きたいと思います。DABの第2次要因をみつけることは、小生と佐藤班員とが主体になって探求しましょう。
6302:◇今年は珍しく晴天つづきの、しかも寒い冬ですが、一昨3日(日)には東京でも少し雪が降りました。当室では大学院の内川、Loborantinの田中の両嬢が腎臓の病気で休み、高岡君は暮からの胃下垂の予后に気をつけている最中、関口、山口の両氏及び嬢は風邪、家畜衛生試験場からきている田中君も風邪をひき、菱沢君はときをり、色々の病気にかかり、元気なのは小生一人です(但し、ときに二日酔あり)。 ◇昨年東大医学部を出て目下インターン中の連中の内、3人が当室に大学院学生として入ることにきまりました。外島、真弓、斎藤の三君です。どうぞよろしく。もっともあと10日后の入学試験に落ちると問題は別ですが。その他にも今年は伝研に2人入ります。珍しいことなので皆びっくりしています。それ以外に癌センターの久留さんにたのまれて、横浜国大・生物出身の林嬢という人を約半年間実習させます。この人は卒業前、今月末あたりからすでにこちらへ来る予定です。 ◇昨日、日本光学へ行き、かねて試作中の生物用倒立顕微鏡について、改良点を注意してきました。間もなく第2回試作と、そのテストを経てから一般市販品の製造にかかりますから、実際に出るのは5月をすぎるのではないでしょうか。かなり良いところまで行っています。 ◇では班会議でお目にかかるのを楽しみに。
6303:◇11日午后、日本光学へ行き、倒立顕微鏡の最后の打合せをしました。今度は最終の設計をきめたのですが、実に素直な設計で、しかもすばらしく使い良いものになりました。惜むらくは値段が少し張りますが、世界に誇れる逸品になるでしょう。発売は8月頃になるそうです。 ◇医学会総会のSimposiumに少し映画を入れてやれと思いまして、この頃Mixed
Cultureの顕微鏡映画をとっていますが、実に面白いところがとれています。Rat
liverのcontrolの株(2nにきれいなピークのある株です)とJTC-1(AH-130系)とを混ぜますと、tumor
cellはまるで寄生虫のようにnormal系の細胞にくいついて行きます。どうも細胞質の顆粒を喰うようです。次にprimaryのAH-130とRLC-1を組合せるつもりです。
Tumorになったかどうかの判定の一法に使えるかも知れません。 ◇今年大学院入学志望の東大卒業生3人は無事入学試験を通りましたので、小生もほっとしています。落ちる人もあるんですから。 ◇13日は雪が珍しくつもって、チェーンをつけない車のために都内の道は交通を妨害され、伝研に出てくるのに1時間もかかってしましました。 ◇今月号から月報の作成にAgfaのcopyrapidの代りにフジのクイックコピーを使うことにいたしました。Negaを1枚作るだけで済むからです。その器械の到着を待っていたので発行がこんなにおくれてしまいました。 ◇会計報告はどうも皆さんが不完全で困っております。来年度首尾よく班が通りましたら、こんどは気をつけて下さい。
6304:◇いちばんはじめにお知らせすることは、さるルートよりの情報によりますと、我々の今年度の班は、問題なく第一候補のグループに入って、パスしたそうです。正式の通知はまだありませんので月報の第1頁にはかきませんでしたが、とにかくよかったですね。これで3年間は大丈夫なわけで、大いに頑張りましょう。少くとも第1年度には何か1種類は発癌に成功しないといけないと思っています。 ◇急に春めいて仕事には絶好のシーズンになりましたね。当室の新顔を御紹介しておきましょう。まず今年入った大学院学生3人の内、外島英彦君が昨日から顔を出しはじめました。TCのトレーニングコースを今日からはじめますが、かたわら電子顕微鏡の練習もやることにしました。他の2人は半月〜1月位おくれます。次にlaborantinでは今春共立薬大を卒業した高浪君というお嬢さんが入り、関口君について目下アミノ酸自動分析器の使い方をならいはじめたところです。内川君はまだ腎盂炎全快せず休んでいます。laborantinの田中君も腎盂炎でしたが、辞めました。山口君は高岡君の愛弟子になってくりくりと働いています。大学院の菱沢君はこのごろ関口君の部屋に入り浸って、核酸の抽出や分析をはじめています。一寸でも手を抜くとすぐ失敗するので“科学はきびしいなァ"なんてぼやきながら・・。高岡君は下宿している家の息子さんが結婚するとかで部屋をあけてくれと、学会の準備最中に迫れれていましたが、大阪から帰って間もなく新しい部屋が見付かり、ほっとしています。小生はへとへとになって帰京しましたが、山のように原稿かきや、年度レポートや、その他その他がたまって待ちかまえており、いまや片端からもりもり片附けているところです。この月報もその一つです。 ◇では5月、岡山で。 ◇5月号月報は4月30日〆切。お忘れなく。
《巻頭言》
第16回医学会総会を了えて
大阪の医学会総会も無事終了、やれやれでした。我々の組織培養のシンポジウムが第1日の午後であったことは本当に幸運でした。1600人収容の大講堂を朝みたとき、これは大分空席が出るだろうと思ったのに、また木下さんの講演が終ったときは大分どやどやと出る人があったのに、終ったとき壇上から眺めたら。空席がほとんどなく一杯でした。ただ残念なのは木下さんに時間をくい込まれて、2時間半の予定が30分短縮し、討論の時間が切られてしまったことです。やはり若干時間がはみ出しても、もう少し一般討論をやらせた方が良かったと思います。内容は皆さん御承知のように、我班の班員の仕事だけが重量感のあるもので、ただ一人の非班員の発表は引立役に終ったのは、お気の毒であると同時に、小生の撰択が失敗だったことで大変申訳なく思っています。
今期中、私は毎日朝から夕方まできちんと皆聞きましたが、へとへとになってしまいました。第5日などは一般に入りが悪く、しかも後半分位の席は眠っている人だらけでした。5日間というのは少し長すぎると思います。そして分科会は別のときにした方がよいでしょう。それから講演やシンポジウムも一般向けと専門家向けとはっきり分けた方が効果的なのではないかと思います。
6305:◇先日、College de FranceのProf.E.Wolffが来日しました。実験発生学の専攻で、organ
cultureをやっておられますので、都内の培養屋さんたちに集まってもらって、5月2日、伝研の会議室で討論会をひらきました。彼は映画2本とスライドではなし、あと小生が4月1日Symposiumのをしゃべりましたが、列席の方々からは何もdiscussionが出ないので、いささかがっかりしました。関西でも同様の会を開くようにarrangeしました。 ◇本号のp13〜16は武田薬品の“実験治療”というパンフレットの4月号に小生がかいたもので、月報はじまって以来はじめてのカラー頁にしてみたいと思って挟みました。 ◇今月は仲々原稿が集まらなかった上に、文部省からの班の正式の通知が数日の内にくるらしいと判りましたので、発行が少しおくれました。 ◇今年入った大学院の三人もようやく顔がそろい、大学院の内川君も病気がなおり、目下当室では全スタッフが顔を出しています。計10人と家畜衛生試験場からの留学生・田中君とで、11人になります。ラボランチンの山口君はようやくTCトレーニングコースを卒業しましたので、染色体分析の他に、RLP-1株の栄養要求をしらべてもらうことにしました。内川君はRLC-1株の栄養要求と、佐々木研で作った色々のラッテ腹水肝癌の培養スクリーニングです。大体の増殖率と壁への附着性をみるのです。 ◇米国Purdue大学のMoskowitz教授は7月1日に来日し、5週間滞在ということにきまりました。いずれ皆さん方のLab.も見学にまわらせて頂くことと思いますのでよろしく。 ◇前頁にのせたように高木君紹介のDr.Dalyという人も5月末頃現われそうです。 ◇ではあと10日后に岡山で。皆さん元気に頑張って下さい。
《巻頭言》
新研究班・認可さる!
本日、待ちにまった文部省よりの書類が届きました。まだ内定通知ですが、よほどのことがない限り、これはこのまま正式に決まると考えてよいものです。思い起すと、昭和34年度に癌の宮川班の一隅に生まれた数名の培養屋のグループが、次の昭和35年度には釜洞班の半数を占めるにいたり、さらに昭和36年度には純粋に培養屋だけの班が認可され、昭和37年につづきました。こんどはいよいよ第二次培養班の誕生というところです。実にうれしい限りですね。しかも研究費が増額になって・・・。このようなことは如何に我々の仕事、成果が期待されているか−を如実にあらわしていると考えるべきでしょう。壁につき当っている癌研究に突破口を作るため、断乎、われわれは全力を集中し、国民の期待に応えなくてはなりません。それにはまずこの第一年度になんとかして一つでも発癌に成功することです。今年度から、断然精選主義をとりたいと思います。協力的でない、或は研究を怠けるような班員は来年度は他の人と交代してもらいます。研究には言訳は成り立たない。研究者の生命、研究者を価値付けるのは研究だけです。このきびしさを我々はよく自覚しましょう。
6306:◇そろそろ暑くなってくる気配です。今の内にしっかり仕事をやっておきましょう。 ◇シンポジウムと研究会と、佐藤班員は大奮闘で大変だったと思います。しかし非常に成功で本当によかったですね。それから夜の部では大阪にも増してすごい豪華版で一同は恐れ入るばかりです。班員一同に代って御礼申上げます。 ◇印度から手紙がきて、ボンベイのDr.Mrs.RanadiveとバロダのProf,RamakrishnarとでCell
Biologyのシンポジウムを1964-1965に計画しているそうです。UNESCOから金を出させて各国から人をよぶらしいのですが、私に日本代表として出ないかというのです。禁酒国でコレラもあるので考えてしまいますね。目下思案中。 ◇高木君が云ってきたProf.Dalyが今日現われました。
TCはまだほんの一寸やっただけで、本職はNeurologistです。余り面白い話はありませんでした。スライドと映画をみて、そのあと山田君も加えて八芳園に昼食をとりに行きました。この前にも日本へきたことがあるといいながら、どうも日本料理は苦手のようでした(5月28日)。 ◇Purdue大学のProf.Moskowitzはいよいよ7月1日pm3:25.羽田着の飛行機でくることに決まりました。7月一杯滞在の予定です。下旬にはあちこと廻ると思いますので、その節はどうぞよろしく。 ◇新入歓迎と送別会をかねて、5月25、26日と当室の一同、箱根へ行ってきました。自動車3台です。雨の予報が見事に外れて助かりました。さて帰ってきた翌日、大学院の真弓君だけがいつになっても現われません。たまりかねて仲間が昼食のとき電話をかけると(きている人あるかい)(きてないのは君だけだよ)。あわててやってきましたが、その顔。旅行のあとはの骨休めと思っていたようです。 ◇家畜衛生試験場から内地留学にきていた田中訓が5月一杯で帰ります。アミノ酸分析器担当の高浪君も辞めます。
6307:◇7月下旬から来る筈であった米国Indiana州LafayetteのPerdue大学、Dept.of
Biological Sciences:Prof.Merwin Moskowitzが突然先週電話をかけてきて、予定より早く日本に着いた、という始末。7週間滞在するそうですが、来月になると暑くてとても旅行なんかできないから、今の内にしとけ、と云って23日から関西の方へ押出してしまいました。堀川君のところにも御厄介になっている最中かも知れません。どうぞよろしく。背の低い、人の良い男で、42才です。ここでDiscussionし、仕事のやり振りを眺め、さらにできたら何か仕事もやりたいらしいです。 ◇うちで純系化中のラッテは遂にbrother-sistermakingで第19代が生まれました。9年位かかった訳ですが、今年中に20代に入れるかも知れません。高岡君(ラッテのカーちゃん)はすっかり御機嫌です。日本ではじめて純系ができる訳ですから。しかし彼女を憂うつにさせるのは今年入った大学院学生の連中で、“ボクらには権利はあるが義務はない"なんてぬかすんですから、彼女ならずとも頭にきます。 ◇文部省の研究費の扱いが厄介になったのは困ったことです。研究の自由闊達さが大いに阻害されるわけで、こんど癌の班長会議でもあったら、その所存をよく聞いてきます。 ◇いよいよ暑い季節になってきましたね。そのとっぱじまりに班会議をやるのですから申訳ないと思いますが、かんべんして下さい。せめてクーラーが効けばよいのですが窓をあける方がましという次第では。 ◇先月も月報を休んだ山田班員に、今月こそ必ずと催促したら、やっと今朝届けるというので待っているところです。
6308:◇まず9月号の月報の原稿についておねがいしておきます。〆切は8月31日までに当方着のこと。 ◇7月26日午后2時からProf.Moskowitzを囲んで在京の培養のメンバーで集まりました。彼の仕事の話をきき、それを中心に討論しましたが、Prof.Wolffのときよりは少しは話がはずみました。 ◇うちの部屋でまず驚かれると思うことは、今年入った3人の大学院学生を出したことでしょう。“我々はtakeするだけでgiveはしない"などと公言する始末なので、とうとう3月目に腹にすえかね、“ここはオレの研究室だ。この部屋の者になって一生懸命仕事をする気のない者は出て行ってくれ"とやらかしたら、皆出て行ったという訳です。といっても本来の指導教官のところに行った訳ですから形式的な変化はありません。こちらも良い勉強になりました。ほっぽど気心の知れた者を、それも1人宛入れるようにしないと、このごろの連中はグルになって云うことを聞きません。ホッとしたところです。
6309:◇ようやく涼しい気候になりかけてきて、ほっとしたところですね。これからはせいを出して仕事に張切りましょう。今月号は夏の間の総決算というところで、仕事をやった人からは原稿が届き、そうでないところからは音沙汰なし。はっきりしたものです。 ◇癌学会も近付いてきて皆さんも忙しくなってくることでしょう。仲間の顔が見られるということでも10月が待どおしい気持がします。 ◇オリンパスの顕微分光光度計が入りました。まだ不完全な器械ですが来号あたりで少しデータをお目にかけましょう。 ◇東大・理学部・生物化学科・野田研究室の松村外志張という大学院修士課程1年の大学院学生がいまTCの実習にきています。Collagenの研究に利用したいのだそうです。熱心な人ですから、どうぞよろしく。
《巻頭言》
日本の学術雑誌はこれで良いのか?
わたしたちが外国の学術雑誌をよむとき、沢山の雑誌のなかから、やはり良さそうなものだけをえらんでよんでいる。とても読みきれたものではいからである。同じようなことが、日本で出している欧文の学術雑誌についても云えよう。どういう訳か、日本の大学や、研究機関、学会などでは、それぞれ欧文雑誌を出している。その数たるや、合計すると相当なものになろう。しかしその内のどれだけが果して有効に読まれているであろうか。折角欧文で出し、主要な外国研究機関に送っても、図書室の隅でいたずらに下積になっている日本の学術雑誌が如何に多いことか。そしてそれらの多くは文部省の科学研究費に援助されているのである。
どうしたらもっと有効に学術雑誌を活用できるか。その一つの手は、群小雑誌の統合と権威のあるEditarial
boardの設置であろう。我々の領域でいえば、“Exp.Cell
Res."のような内容の雑誌を作り、医学、生物学、その他、細胞のレベルでの仕事の良いものはみんなこれに載せるようにする。学会ごとの雑誌などはやめてしまう。医学と生物学とひっくるめて合計10種類だけの雑誌を作り、それにだけ金を注ぎ込む。これらの雑誌はこれまで既刊のどの雑誌とも関係なく、新しく作らなくてはならない。それ以外に各学会で出すことは勝手である。援助しないだけのことである。
もう一つの方法は営業雑誌の形式で発行することである。“Cancer
Reserch"や“Exp.CellRes."のように代金をとる。優秀な研究及び医療器具などの広告ものせる。しかしこれとて補助なしにはやって行けないであろうが、各学会からの抵抗は少くてはじめられる。民間からの補助も大いに期待する。手はじめに、“Exp.Cell
Res."のような内容の雑誌を一つこの手で作ってみるのも良いのではあるまいか。
このようなことは当然学術会議あたりで討議して早急に何かの手を打つべき問題と思われるが、どうも学術会議も学者政治的なさしさわりが色々とあるのか、その様子が見られないのは残念なことである。
いかに立派な仕事をしても仲々それが国際的に認められないというのは本当に残念なハンディキャップで、是非何とか打開したい点である。しかし同時に、こんどは、いくら新しく雑誌を作ってみても、それに立派な仕事をのせなければやはり誰もよんでくれなくなる。やはり我々としては、雑誌を権威付けられるような、しっかりした良い仕事をどんどん出すということがまず根本的に必要なことと云わざるを得ない。
6310:◇今年度もいよいよ半ば近くとなり、研究にも良い気候となってきましたね。皆さん頑張っておられますか。あと半月で癌学会と班会議。久し振りで顔を合せられますね。(顔が合せられない)なんてことのないように、しっかり仕事をしておきましょう。
◇堀川君も渡米で、しばらく逢えないことになりましたが、彼のことですからあちらでも大いに頑張ることでしょう。活躍と仕事の成功を祈りましょう。 ◇10月から千葉大・放射線科の助手、長沢初美嬢が実習にこられました。当分居る予定ですので皆さんよろしく。◇岩波書店からやんやと催促を受け、いよいよ小生のの培養の本の改訂版を出すことにしました。この秋にせっせと準備します。いろいろアドバイスをおねがい致します。
◇今月も月報原稿の少いこと恐れ入りました。毎月かく人の顔ぶれが決まってきたようですね。 ◇三田村先生の御病気と御葬式で、この8月下旬から9月末にかけ、テンヤワンヤでした。木下良順さんから手紙をもらいましたが、木下さんは小学校、中学、高校、
大学、東大病理、留学先のドイツの教室と、ずっと三田村先生の跡を歩いたそうです。外国へ洋行せぬ前に純国産の仕事で医学博士となったのは三田村先生が初めてではなかろうか、とのお便りでした。
《巻頭言》
巨星墜つ!
この9月17日午后6時17分、三田村篤志郎名誉教授が伝研病院で歿くなられた。大部分の班員は面識もないと思うが、単にこの伝研病理の大先輩という意味からでなく、立派な研究者としてぜひその研究生活の概略を皆さんに紹介したいと思う。
和歌山県出身、東大卒業後、青山内科に約2年居られた后、東大病理に移り、約1年して伝研に来られた。以后定年退職まで東大病理と伝研とをたえず兼任して居られたが、実際の研究はほとんど伝研でなさった。特徴は、非常に研究領域が広いことと、おどろくべき洞察力を持っておられたことである。
細胞学では、生体染色、超生体染色を使い、日本における細胞学の黎明期を作られた。例えば血中のカルミン細胞、即ち組織球が血液の正常成分とは認め難いことを、すでに1916年に指摘し、また当時細胞内の顆粒は糸粒体のみ、とされていたのを、糸粒体の他に中性赤で染まる“変粒体"も存在し、これが消化的機能をいとなむらしいことを見出しておられる。腎臓に関しては、その生理的機能からまず研究し、(糸球体が排泄を、主部細尿管が主として吸収をいとなむこと)を実験的に1924年頃立証(日本腎臓学会の唯一の名誉会員だった)。Nephroseほ病変は退行性ではなく進行性の病変であることも指摘された。肝では急性肝萎縮症を詳細に観察し、ラエンネック氏肝硬変と同一種の疾患であることを見出されたが、この記載など今日に至るも改める点が全くないほどである。血液学では臨床的に急性リンパ性白血病と診断されるものが、実は骨髄性白血病にすぎないことを見出された。伝研に入ってしばらくは長与教授を助けて恙虫病の研究に従事し、30篇以上の論文を発表しておられるが、特に恙虫病の病原体を初めて発見したことと、その媒介者の恙虫に5種類あることも見出された功績は大きかった。第4性病の病原体も、唯一例の剖検例をくわしくしらべ上げ、組織球内に存在するにちがいないことを見破り、後にそれを証明された。日本脳炎の病原体の研究は、最も先生が永年の努力を注いだ研究で、約80篇の論文を発表されたが、本病が蚊によって伝播され、しかも本病の流行的出現が蚊の媒介によってのみ惹起されることを発見した。このときも蚊の各種についてその媒介性をしらべられ、先の恙虫の研究と併せ、我国における衛生動物学の開祖となられた。昭和29年には学士院賞、今年の2月には学士院会員となられたが、特発性気胸のあと、心筋梗塞、胃潰瘍出血を併発して遂に他界された。
研究以外にも洞察力が強く、たとえば太平洋戦争のはじまったとき、頂度所長でおられたが、所員を集めて(この戦争は、初めの内は景気が良いかも知れないが、その内きっと段々負け戦になってくるから、そのつもりでいるように)と話されたほどである。
御年76才とはいえ、まだ頭脳は明晰で惜しいことであった。
6311:◇またまた岡山で班会議を開いて佐藤君に御迷惑をおかけしてしまいました。班員一同に代り厚く御礼申しあげます。 ◇それにしても癌学会も大きくなりすぎましたね。癌治療学会というのを仮に作ったところで、果して臨床関係者がみんなそちらへ移ってくれるかどうか、一寸あやしいと思われます。だから演題の方で制限して行くより他はないでしょう。培養学会の運営法は特にこの頃あちこちで好評です。はじめたころ、あのやり方をあく迄主張しておいて本当によかったと思います。じっくり話し、聞き、討論し合うのでなければ学会をひらいてもその意義が非常にうすれますからね。 ◇今回の班会議での黒木君の報告は、努力賞に本当に相当する良い仕事でした。どうもありがとう。大いに我班の班員に役立つと思います。この前岡山で開いたとき、プランを決めたその予定をきちんとやってくれたことは立派です。 ◇今年度も半ばをすぎましたが、ふりかえって見れば登った高さは未だ知れたもので、情なくなりますね。しかしこれからまた半年、大いに頑張りましょう。来年度ごろには班員間の共同研究がぼつぼつ出てくるのではないかと予想し期待しています。 ◇この夏きていたProf.Moskowitzが来年またやってきたいと云ってよこしました。こんどは9月から約1年間です。parabiotic
cultureをやるんだと張切っています。班員の間でも何か一緒にやれたら、とひそかに希望しています。 ◇段々目が効かなくなって、月報を作るのに一苦労です。今号は字を少し大きくしてみましたら、大分仕事が楽になりました。 ◇来月号は良いデータが集まりますように。
6312:◇炭鉱が爆発したり、飛行機が落ちたり、汽車が脱線したり、とうとうケネディが射たれ、揚句のはてに、その犯人が殺されるとは、末世の感濃厚ですね。ことにKennedyの死は、それが世界中に色々な形で反映してくることでしょう。我々の世界でも、研究費その他の外資導入にどんな変化をおこすか、まだ現在では一寸想像がつきません。
◇今号には発癌実験のことは書きませんでしたが、班会議のとき報告します。ハムスターポーチも早速まねしてやってみています。29日夜行で広島へ行き、原医研で細胞に中性子をかけてきます。Primary
culture、第2代、株化したものと、各種取揃えて持って行きます。近い内にCO60γもはじめます。とにかく何が何でも今年度内に少しは見通しをつけたいと、手当り次第に何でも使ってみます。黒木君の今号のデータはとても有益です。しかしハムスターポーチにもつかない、なんてことになるとがっかりですね。 ◇高木君からの便りを掲載しました。最近での米国の動向がある程度うかがえて面白いですね。 ◇マグネチック・スターラーでとても具合の良いのができました。低速回転がよく効いて、培養にはもってこいです。(¥16,000、東京都港区赤坂青山南町6-46、中島製作所)SM- 型です。 ◇これから来月中旬まで、どちら様も大変でしょう。小生もこの班の来年度申請書類の他に、機関研究二つ請負されて、書類作りにフーフーです。しかし一字一字が金になると思えば辛いのもガマンしなくちゃならないのでしょう。日本人ももっと秘書を使うのが一般的にならないと能率が上りませんね。
《巻頭言》
発癌実験の反省と計画
培養内の発癌を試みだしてから約2年余、班の最大目標としてからすでに8カ月が経ったが、この辺りでもう一回、踏んで来た路をふりかえって、研究態度を反省してみる必要があるように思われる。
我々はいわゆるChemical carcinogenesisを試みてきた。細胞をとり出して生体外で発癌剤を作用させる。細胞と薬剤との間の反応は起るが、生体の他の細胞が同じ薬剤で同時に作用を受けて、それがもたらす変化の作用も念頭におかなくてはなるまい。生体実験でも、目標臓器の他に、同時に発癌剤で障害を受ける必要のある副次的臓器が見付かったら面白いし、我々の方にも役立つ。
今年度のはじめ頃は、自分の持っている細胞が果して癌化しているのかいないのか、癌化はしているが動物につかぬだけなのか、その辺に大きな不安があった。しかし最近の黒木班員の努力でハムスターポーチが復元部位として非常にすぐれていることが判ってきたので、この方の見通しは大分明るくなった。勿論この方法は黒木班員が見付けた訳ではないが、身近かの人が見近かの材料でそれを確かめてくれると、我々は非常に信頼できるわけである。
我々はホルモンと放射線も大いに期待していたが、どうもこの領域の開拓は後れた。来年度は奥村君が再び入班して性ホルモンに着手してくれるので、この面も活発になるであろうし、またしたいものである。
これまでの細胞の扱い方は、一つの細胞集団として扱ってきた。しかし今后のことも考えてみると、一ケ一ケの細胞について、それが前癌状態に入ったかどうか、というレベルまで持って行けるようにしたいものである。これはそう容易なことでないが。
今年度も第3四半期が終りに近付いている。この際、12月の発癌のシンポジウムで、他人の色々な話を聞きながら我々の想を練るのも、また大いに有益であろう。
6312終わり
6401:◇忘年会、クリスマス、忘年会・・・、とうとう暮の内にこの月報に手が廻らず、正月早々に書く始末になりました。 ◇1964年度(本班の第2年度)の研究費申請書を12月中旬に提出しましたが、その一部分を特に多く刷りました。月報と一緒に各班員にお送りします。 ◇1月25日迄に、2月号用の原稿をお忘れなくお送り下さい。 ◇2月15日迄に、各班員とも過去1年間の、業績のKey
pointを要約して(400字1枚位)送って下さい。それに発表(論文及び学会発表を含む)の一覧表もおねがいします。2月28日に小生が当班の
一年分の報告として、括めて書いて持参するのですから、15日迄に必ず送って下さい。前にお送りした昨年度の報告書(印刷のもの)を参考にして下さい。(土井田君は堀川君の分をかくこと)
《巻頭言》
新しい年を迎えて
皆さん、新年おめでとうございます。いま第1頁をかくのに当って、昨年の号をずっと読み返してみますと、実に感慨無量のものがあります。我々はとにかく一生懸命やりました。力足らずして未だ本当の発癌には成功して居りませんが、今年こそは何とかやり遂げましょう。この段階まで来ますと、実際はもう一息なのだと思います。山へ登っても、七合目辺りが一番苦しいし、戦争で云いますと、7分3分で敗けていると思われるときが実は5分5分なのです。この1年の努力で、我々はDABやメチルDABが培地の中で消費され、且、肝細胞の増殖を誘導することを何十回という実験で確かめましたし、培養細胞の復元接種法についてもずい分色々のことを学びました。染色体分析の技術についても、大ぜいの班員が習熟してきました。これらの基盤の上に立って、今年こそは是非、最后の目標、発癌に成功するよう、我々の努力をふりしぼりましょう。今年は間もなく、安村君、奥村君も入班しますし、高木君も秋には帰ってきます。堀川君は、今号の末尾の方にのせたように、アメリカから報告を送ってきて居ます。総力をあげて、最后の突撃に入りましょう。 2年后、といっても実際には1年半后ですが、1966秋には東京で国際癌学会が開かれます。地元の日本人が、それなのにチャチな仕事しか出せないようでは情ない次第ですから我々としては、吉田会長のためにも、日本人のためにも、いま頑張って良い仕事を出して行く義務があるでしょう。そして、それには今の研究テーマを完遂することが一番の早道でもある訳です。頑張りましょう、9164年! この1年の終りに振りかえってみて、自分でも満足できるだけの努力を拂いましょう。
6402:◇新しい年もすでに1月経ちました。うろうろしている間に1年たち2年たち、あっという間に一生も終りです。死ぬときに後悔しないように精一杯、今の一分一秒を大切にしましょう。 ◇昨年の暮から正月にかけて少し飲みすぎたので、1月21日から禁酒を試みています。どうも体の調子が変って困っていますが、続けようと思えばいくらでも続きそうです。但し適当なところで自制できるようになったらまた飲み出そうと思っています。だから我慢できるのかも知れませんが。 ◇このごろ感ずるのですが、班員のなかには、発癌ということを余りに甘く考えすぎている人があるのではないでしょうか。お嬢さんのママゴトみたいなことで大人の仕事をやろうと思ったら大間違いです。 ◇日本光学の倒立顕微鏡を一人前のものに仕上げるのに悪戦苦闘しています。あちらを直せばこちらの不備なところが見付かり、こちらを直せばまた・・・。しかしとにかく国際的にNo.1の倒立顕微鏡を何とか日本の手で作って世界の連中をおどろかせてやる必要がありますから、私も一生懸命で指導しています。設計の連中にはすっかり怖れられてしまいましたが・・・。 ◇窓の外は雨と風。春の近付いてきたことをしらせるようです。来年の今頃はみんなで発癌成功后の展開に努めていうようでありたいものです。
《巻頭言》
Dynamic Cell Biology
これまでの細胞生物学の進んできた歴史をふりかえると、形態学、生化学その他、いろいろな分野から出た専門家が、それぞれの専門を武器として、色々異なった方角から一つの山の頂を目指してきたようなものである。しかし最近、とくに今后我々のとるべき研究態度としては次第にそれらの色々な武器を綜合して、Dynamicに細胞の本態を掴んで行くようにしなくてはならないであろう。
高木君の通信でも、最近の米国の学会では、Isotopeと電顕を組合せた研究法をとる者がふふえてきたという。当然の事である。単に形態学だけの面から云っても、位相差観察、染色観察、組織化学、電顕、顕微鏡映画、Radioautography、蛍光法・・・と、現在駆使できる実験法だけでもかなりある。これらを組合せてdynamicに研究して行けば非常に大きな進歩を期待できるのではあるまいか。
現在の段階ではまだ1研究室でこれらすべてを包含するような研究はやり難い。しかし何もそれを1個人、1研究室だけでやる必要もない。過渡的な方法ともいえるが、要するに一つの材料について、色々な専門技能を持った研究者たちが共同して研究すれば良い訳である。現在のところではそれが一番賢明なやり方であろう。我々がいま作っている研究チームもその一つといえる。しかしこのような場合非常に大切なことは、各分担者が夫々の専門に於てexpertでなくては効果が上らないということである。(10+10+10+8+10+9)の6人を平均して、9.5という成績が出てこないのである。この場合綜合して出される力は、最低の8に抑えられてしまう。時計の歯車でも、一つが具合悪ければその時計全体が具合悪い。自分が仕事を適当にのんびりしても他の人の迷惑にはなるまい、と考えたら間違いな訳で、とにかく共同して一つの事に当ろうとするときは、やはり夫々自分の能力を100%或いはそれ以上に発揮する覚悟でなくてはならない。
Dynamic Cell Biologyの話が変なところに外れてしまったが、とにかく今后の我々の研究態度として、dynamicに物を掴もうとする、dynamicに物を考えて行く、ということは大変大切なことであると信ずる。そして、いつの日か、この方向を我々の手で高度に進展させて、東京に於てThe
first meeting of dynamic cell biologyを開くようなことが一日も早く到来することをねがってやまない。
6403:◇とうとう癌らしいのができた。何で出来たか、まだ詳しいことは判らないけれどとにかく出来た。数年に渉る努力も結実しかけているわけである。毎日忙しいけれど、この頃はその疲れも全く苦になりません。目下大童で次々と実験をスタートしています。ラッテへも復元しました。生后4日ラッテの皮下です。親にくわれてはいないか、と毎朝心配しながら覗きます。新生細胞はTCのなかで、どんどん増えています。映画もとっていますが、10x10の視野で、RLC-2のシート上に視野の約1/4拡がっていたのが、9時間后には視野の1/2、23時間后には2/3、33時間后には3/4近く、いま49時間后で3/4を超えつつあります。Subcultureもどんどん増やしています。 ◇一昨日午后、岡山の佐藤君からも朗報。DABを10γ/mlで2カ月与えておいた株をDABの無い培地に戻して10日ほどしたら、私のと同じような細胞が現われ、現在どしどし増殖しているとのこと。復元と染色も近い内に試みる由です。この調子で行くと秋の癌学会はTC内発癌のオンパレードになるでしょう。今あらためてまた沁々感じるのは、やはり努力する者が勝だということです。労を惜しんで成果だけ上るわけはありません。良い気持ちで祝杯を上げました(但し自宅で)。あと何回を再現できたときに開ける瓶はちゃんととってあります。休酒して精進したのも良かったのかも知れません。 ◇修士コースの内川嬢もやっと卒論とテストを済ませ、今月末で卒業です。当室での大学院(マスターとはいえ)コースを完全に終了できた第1号です。彼女、4月から新たにできた衛生看護学科の修士にまた入学するそうですが、これは当室とは関係ありません。
6404:◇実に都合の良いことに、今年末Bombayで開かれる予定だったInternational
Meeting of Cell Biologyが来年1月11日〜14日に延期になりました。11月は学会が多いし、12月上旬には当班の第3年度のための申請書もかかなくてはならず、気がかりだったのですが、それも解消するし、癌の合同報告会の前には帰っていられるので、本当にほっとしました。 ◇安村班員がFulbrightの試験をパスしたそうで、目出たいことですが、行くことが本決まりとなって、こちらは川喜田さんと同様頭痛です。 ◇今月から安村班員と奥村班員が加わって月報もにぎやかになってきました。せいぜいお休みのないよう、頑張って下さい。 ◇皆さんお馴染みの内川嬢が修士を卒業して、小石川分院の方へ4月から帰ります。どうもお世話になりました。 ◇このごろ胸腺の細胞に少しcrazyになりかけています。高岡君が数種、株を作ってくれましたので、映画をとったり染めたり、楽しいことです。 ◇Columbia
Univ.Prof.M.R.Murrayさんが、4月上旬東京に出てこられ、4月2日(木)pm6:00〜8:00東大医学部図書館3階で“神経細胞の組織培養"について話をされます。たぶん3日には、当室も訪問されることになっています。6日ごろ仙台と、黒木君から便りがありました。 ◇いよいよあと半月でまた皆さんとお目にかかれますね。仕事の進捗状況は如何ですか。研究条件からいうと、私より良さそうな人が班の内にも数人はいるようですが、大いに張切って頂きたいものです。 ◇安村班員が3極分裂細胞のcloneを作ろう、なんて云い出しました。いずれ班会議のとき披露することでしょう。ではまた、京都で。 《巻頭言》
培養内の発癌
これは我々の班の研究目標出あり、且、発表は少ないが、世界中の癌研究組織培養家が何れも秘かに狙っている所であることは、これまでもしばしば強調してきたが、最近の外国雑誌に次々と発表が現れてきた。その一部は前回の班会議のときお知らせしたが、
1)Powell,A.K.:The effects of 1-(2-dimethylaminoethyl)-2-phenylindene
on
fibrocytes cultivated in vitro.Brit.J.Cancer.17(2):298-303,1963.
2)Berwald,Y.and Sachs,L.:In vitro transformation
with chemical carcinogens.
Nature,200(4912):1182-1184,1963.
これらは細胞の形態に変化が起ったというだけで、細胞を動物に復元接種して、本当に悪性化したのはどうかは確認していない。ところがごく最近のJ.Nat.Cancer
Inst.に次のような仕事が発表された。
3)Evans,V.J.,Parker,G.A. and Dunn,T.B.:Neoplastic
transformation in C3H mousu
embryonic tissue in vitro determined by intraocular
growth. I.Cells from
chemically defined medium with and without
serum supplement. J.Nat.Cancer Inst.,32(1):89-121,1964.
C3H/HeN系のマウス胎児全組織の細胞浮遊液をT-15或はT-30瓶で静置培養し、週3回培地を交新して行くと、合成培地に馬血清10%添加すると細胞は増殖し、121〜176日間培養したものでは腫瘍化する。マウス前眼房や筋肉内に接種するとfibrosarcomaを作るというのである。血清を加えない合成培地内ではこのような変化は起らなかった。但し細胞はほとんど増えていないらしい。マウスの、しかも胎児組織を長い間培養していると悪性化しやすいことは我々も承知しており、安村班員も1例経験したことを班会議で報告した。したがって非常におどろくほどのことではないが、何回かくりかえして、期間に若干のずれはあるが、皆同じように悪性化させている点が重要である。これが第1報である点、以后研究はつづいており、ある程度進捗していると考えるべきであるので、油断はならない。我々もどうやら少しは良いところまで来ているので、今年こそはラストスパートをかけて、色々な分担面での発癌に夫々成功するように努力を注ぎたい。
6405:◇こんどの月報には弱りました。京都の班会議のとき持参しなかった人が多くて、しかもそれがあとになっても仲々届かず、こちらは5月4日からの病理学会(仙台)の準備とぶつかって、月末は本当にひどい目に逢いました。原稿をかく人の手間は、班会議の前でも后でも同じ筈です。それなのに括める方は予定を狂わされて非常に迷惑を受ける訳です。もう少し皆さん大人になって、公的なエチケットを守るようになってくれませんか。
◇来年の秋の癌学会は九州に決まりました。九大癌研の今井環氏の由です。はじめて博多で班会議が開けるかどうか、今年の成果如何にかかるでしょう。 ◇京都から夜行で帰京してすぐ追試実験の培養を全部しらべましたら、Exp.Series
CN#4のRLC-2の2本の内1本に新生細胞の最初のcolonyを発見しました。(1964-4-19) TC開始が3-20ですから、30日で4週ちょっとになります。RLH-2の誕生です。すぐケンビ鏡映画にかけて1昼夜ほど撮影しました。これは数日前にsubcultureして2本にしましたが、1本の内は心配でした。RLH-1とほぼ同じ位の期間でできる訳で、仲々再現性があって、しかも短期間で、良い発癌法でした。目下、次のスタートに備えてラッテの血清をプールしているところです。それにしてもprimaryで実質細胞を大量に早く増殖させる方法を早く開発したいものです。発癌に使える迄の方が長くて、大分損をしている次第ですから。 ◇提案ですが、我々の研究発表の綜合課題名がどうも面白くない、と思うのですが、今秋の癌学会のときから、当班の研究課題名〔組織培養による発癌機構の研究〕とずばりそのままに変えたい、と思うのですが如何でしょうか。英文名は〔Carcinogenesis
in tissue culture〕そのままです。
6406:◇今月の月報原稿の到着順:25日(杉、土井田)、26日(佐藤、黒木)、予研の山田、奥村両君は今ごろ書いているらしい。珍しく長い巻頭論文をかいたのでようやく体裁が整いましたが。 ◇RLH-2.transformした2番目の細胞。これはH-1と異なり、増殖がゆっくりですが、近い内に染色体のcheckはできると思います。H-1は土井田君のところへ行ったのも黒木君のところへ行ったのも少し怪しくなって、この頃夫々漸く態勢立直りというところらしいので、いよいよこれから色々データが出てくることでしょう。H-1はラッテでは
Tumorを作らなくてもHamsterでは作るのではないか、と期待していますが。 ◇昨夏きたProf.Moskowitzが日米科学合同のexchange
professorで来れることが愈々決まり、この8月15日から参ります。1年近く居る予定ですので、どうぞよろしく。私のところも狭いので困りますが、できるだけ世話をしてやりましょう。 ◇どうやら今年もパスして少し増額になりましたが、確定申告のときは11人に増えましたので、頭割では大したことはありません。次の班会議までには何とかお金も来ると思います。今年も第1次配給をしたあと、様子をみて第2次以降を決めますからそのお積りで。 ◇急に暑くなったり、逆戻りしたり、体にはこたえますが、とにかく頑張りましょう。今年は癌学会の申込〆切が少しおそくて、8月15日ですから少し助かります。 ◇仙台の病理学会では黒木君に御厄介になりました。抗研をはじめて見せて頂き、仙台の静かな雰囲気をたのしみました。 ◇算えてみますと、この7月号で月報も通算50号になります。班会議記事の他に何か記念編集をやりたいと思いますが、良いアイディアはありませんか。至急寄せて下さい。
《巻頭論文》
“なぎさ現象”より見た発癌機構の考察:
前回の班会議で顕微鏡映画によりいわゆる“なぎさ”地帯での細胞の色々な変化について報告したが、この現象と発癌機構とをむすびつけて再び本号で考察を試みてみたい。
〔なぎさ現象〕
化学的あるいは物理的発癌において、その発癌母地の重要な背景がこの(なぎさ現象)であろう。我々の実験では、培養管を斜面にして静置培養することによって、培養液の辛うじて浸す“なぎさ"の辺りにさまざまな細胞の変化が現われた。すなわち、細胞(細胞質及び核をふくめ)の極端な大小不同、分裂異常(endo-mitosis、endo-reduplication、不均等分裂、3局分裂など)が認められ、核の形態も、分葉状、コブ付、ドーナッツ型などの異常形態が見られ、これらは生きていることが映画で証明された。さらに染色標本によれば、核の染色性の低下や、核の断裂、殊に粒状までの細断も認められた。この現象は再現性がきわめて高い。そして培養(継代なしの)2週から4週にかけて最も顕著に認められ、以后は、継代せずにおくと次第に細胞は変性に傾き、分裂もほとんど認められなくなる。
〔Cytosis〕
発癌機構を考えて行くに当って、非常に重要な手がかりを与えてくれるのは、昨年度の班員であった堀川正克君が研究したL細胞のCytosisを利用しての種々の実験データである(月報No.6302→6307)。つまりL細胞は貪喰能が高く、Lの核も、マウス脾細胞も、エールリッヒの核も貪喰する。そしてこれらからDNAを抽出して与えてやってもLはそれらを自分のDNA合成に利用し、少くとも上の3種細胞のDNAの間では、差異なく、非選択的に利用し、利用度が略等しい。ところがLにX線を2,000γ照射してplatingすると、この場合はcell
colonyは全く形成されないが、LのhomogenateやDNAを与えると、colonyが作られるようになる。しかし、脾やEhrlichのhomogenateではcolonyはできない。この堀川君のデータから示唆されるところは、前半の実験、すなわち健全なLでは、とり込んだ核成分は高分子のままではなく、少くともnucleotidesのレベルまでは分解して利用する。(だから細胞の種別による差が出ない)。ところがX線をかけられたりして、代謝系が混乱し、半死半生状態のLではDNAをある程度高分子型のまま利用する。しかし同類のLのなら利用できるが、Ehrlichや脾のように、かなり構造の異なるDNAでは利用できない。・・・ということであろう。とにかくCytosisということが、DNAの細胞間授与に一役買い得るということは非常に面白いことである。
〔なぎさ発癌の理論的解析、とくにDegenerativeDNAとDisordered
synthesis of DNAについて〕
上記のように、なぎさ処理により細胞核に色々な著変があらわれ、核の断裂もみられるが、このような細胞がこわれ、核の細片(或はDNAの高分子片)が液中に出て、それがcytosisによって他の細胞にとり込まれ得ることは充分に推察できる。それを取込む細胞が健全な(regulated)DNA合成を行っている細胞ならば、このDNAは分解されてから利用されるであろう。ところが同じように(なぎさ)でアップアップしているのであれば、そこのDNA合成は当然disorderedのものであり、堀川君のデータのように、高分子のまま使わざるを得ないこととなる。同一培養内の細胞であるから、この場合、高分子のまま使い得ると考えてよい。こうしてtransformationが成立する。その上、映画で示したように分裂異常、特に不均等分裂や3極分裂などが行われているのであるから、(なぎさ)には各種各様のmutantsが輩出するのは当然である。そして、それらのmutantsの中から、そのときの培養条件下でよく増殖できるような細胞(mutant)がselectされて行くことになる。従ってこの場合ラッテの体液に近い培地組成を使う必要性が強調されるのは当然であろう。
〔DegenerativeDNAの理論的背景〕
ここで私の呼ぶ“degenerative"ということばは、生化学関係では余り用いられないであろう。“変性"を意味する病理屋の言葉であり、私はdegradation、depolymerisation、その他、高分子DNAの色々な変化をすべて含める意味でここに用いている。高分子DNAが放射線や発癌剤によって如何に変性されるか、色々な想定がおこなわれているが、その一端をここに紹介しよう。
1)Butler,J.A.V.: Effects of X-rays and
radiomimetic agents on nucleic acids
and nucleoproteins. CIBA Foundation symposium
on “Ionizing Radiations and Cell
Metabolism" ,P.59-69,Edit. :Wolstenholme,G.E.W.
& O'Connor,C.M.,J. & A.Churchill
Ltd.,London,pp,318,1956.
High energyの放射線が当っての放射線が当って、ionizationが起ると、H2O→H、OHと分れ夫々がDNAを構成する色々な分子に、分子レベルで色々な作用を与えて変化を起す。
2)Alexander,P.: In the discussion to the
speech by Butler described above.
(p.74-76.).
(図を呈示)図のように、Double strand構造のDNAに放射線を照射すると、矢印のように、やられるところがあっても中央の水素結合でつながっているため、構造は外見上保たれている(但し上のように両strand共同じ位置でやられると別)。そこでureaで処理してH結合を切ると、つっかりばらばらにdegradateしてしまうのである。
3)Hoffmann,T.A. and Ladik,J.: A possible
correlation between the effects of
some carcinogeic agents and the electric
structure of DNA. Cancer Res.,21: 474-484,1961.
DNAのdouble helixのある部分に放射線あるいは発癌剤によってelectric
chargeが起り、+同志、あるいは−同志にchargeするので反撥し合ってhelixが切れるという考えである。 4)Lawley,P.D.:Effects
of alkylating agents on nucleic acids and
their relationto other mutagens. The Molecular
Basis of Neoplasia. Univ.Texas Press,Austin,pp.614,1962.(p.123-132).
Alkylating agents(例えばnitrogen mastardのような発癌剤)がDNAに作用し、guanineと結合してalkylguanineを作ると、これはもはやguanineとして働かないので、次の
duplicationのときこれに相当するところのG-Cpairが作られず、切れたり或は元とは異なった構造のDNAが出来ることになる。
5)Hsu,T.C.:Mammalian chromosomes in vitro:XVI.Analysis
of chromosome breakagesin cell population
of the Chinese hamster.Canadian Cancer Conference,5:
117-127,Edit.by Begg,R.W. et al.,Academic
Press,N.Y. and London,pp.479.1063.
ハムスターの細胞株B-14を継代して、1日、2日、3日后に染色体をしらべると、前代の培養日数(max.14日)が長いほどchromatidの切断が多く見られ、14日培養では平均1.66%に認められた。しかしこの%は2日以后急速に減少するので、こうした細胞は以后は増殖できぬと考えられる。とにかく、培養が古くなるとDNA分子が不安定になるらしい。
このHsuの知見は、なぎさcultureでの我々の知見をback
upするもので、我々はそこにさらに斜面による“なぎさ"地帯を作ったので、この変化がaccelerateされたものと考えられる。Hsuは14日までしか培養をおこなっていないが、惜しいところで、もう少し古くまでやれば、なぎさ的細胞変化を見出すことができ、或はtransformationも起ったであろうにと考えられる。Hsuは古いcultureでは滅多に分裂をしないから、subcultureする前にはchromatid
breaksの起る機会が無かったのであろう、と云っているが、我々のように映画をとっていればもっと色々のことが判っていたであろう。(このCanad.Cancer
Conf.の5巻というのはこれ以外にも色々のが載っていて、我々には興味の深い論文が多い。)
以上のように、放射線照射によっても、発癌剤によっても、或は陳旧培養によっても、何れもChromosome或は高分子DNAにbreakageが起り得ることが示されているので、発癌機構に関するこのなぎさ理論(DegenerativeDNAの細片がDisordered
DNA synthesisの細胞にcytosisによりとり込まれ、組込まれ、mutantを作る)は割に広く各種の発癌にあてはまるのではないか、と感じさせられる。そしてTumor
virusの感染の場合も、似たところが考えさせられるのである。例えばVirusがmonofunctionalに一方のDNAstrandの一点に作用した場合、それがsingle
strandとなってduplicationをおこした場合、Virusの結合した
nucleotideの相棒はduplicateされず、そこに異なったstructureのDNAができるということも考えられるし、最近よく報告される染色体上の異常もこれに基いて考察できる。
〔なぎさ理論の実験的証明〕
以上記したように、この理論はかなり普遍性を持ったものではないか、と考えられるので、なぎさ培養、放射線照射、DAB処理など、この線に沿って色々のもので証明して行くことに今年度は努めたいと思い、計画も進めている。
6407:◇いつの間にか夏に入りかけています。暑くなるとまた能率が落ちますので、今の内にと、せっせと働いています。 ◇今月は第50号記念で、米国留学中の高木君から珍しく月報の報告を送ってくれました。堀川君は忙しいらしく、とうとう間に合いませんでしたので少し前にきた手紙をのせました。2人ともよく仕事をしているようで何よりです。 ◇この夏から一年間当室に留学にくるPurdue
UniversityのProf.Moskowitzのために
technicianを探していましたが、慶応病理の大学院2年の笠原正男君が、培養技術の実習旁々きてくれることになり、6月22日からすでに高岡君にギューギュー仕込まれています。スポーツマンの好青年ですので皆さんよろしく。 ◇東大・理学部・生物化学科からきていた松村君は6月上旬にTraining
courseを卒業し、目下母教室に自力で無菌室を“作って"います。いよいよCollagenのbiosynthesisがはじまることでしょう。 ◇伝研に新しいcopyの器械が入りそうなので、この号のcopyも最后まで待っていたのですが、間に合いませんでしたので古いのでcopyします。 ◇夏休が近くなり、医学部の学生さんたちが盛にやってきはじめました。高岡君はこのところ幼稚園の園長です。 ◇倒立顕微鏡もタイマーもヒーターも、全部試作品でなく、本物に変り、毎日毎日小生の机の横で顕微鏡映画の撮影が日夜連続でつづけられています。いずれまた面白いのをお目にかけましょう。
《巻頭言》
月報第50号発行記念号
我研究チームが毎月発行している研究連絡月報も、いつの間にか本号で50号と通算されるに至った。この機会に一度、我々の歩いてきた路(それはまっしぐらの一筋の路であったが)を振返ってみることは、今后の進展のためにも、非常に有意義であろう。
いま、月報ファイルのNo. を開いてみると、月報第1号は、No.6001、1960-6-17発行となっている。その巻頭に、月報を発行するに至るまでの我々グループの歴史が簡単に記されているので、ここに再録しよう。勿論これは文部省の研究班としての歴史で、我々の共同研究の歴史はそれより遥かに古いことを附言しておく。
“癌研究班に於ける組織培養研究グループの歴史:
癌研究に組織培養がきわめて有用の研究法であることは当然であるにも拘わらず、昨 年度以前はこの班に1名も組織培養研究者は参加していなかった。そこで昭和34年度の 綜合研究の申請にあたって、勝田を中心にして組織培養研究グループが新班編成を計画 した。しかしこの申請は全面的には認可されず、癌研究班の内の放射線研究グループに、 勝田のみを収容しようとしたので、その他に高野宏一(現在在米)、奥村秀夫(当時、東邦
大、解剖)、の両名も収容してもらい、各員10万宛の研究費(勝田は後に5万円追加)をも
らって発足した。この班における3名の立場は全く自由であり、放射線の仕事を考慮に 入れる必要、義務は全く負わされなかった。昭和35年度編成にあたり、新たにウィルス 研究者と組織培養研究者とを合わせて一つの班を作ることになり、上記3名がそちらに 移ると共に、さらに3名(遠藤浩良、高木良三郎、伊藤英太郎)を加え得たのである”
(このウィルスとの寄合世帯は釜洞班と呼ばれていたが、1年后の昭和36年度には分離独立して、組織培養だけの班を結成することができた。)
月報の第1号→第3号は、Ditto刷りで、あまりきれいな出来上りではない。第1号を繰ってみると、“組織培養内悪性化のための研究”という言葉がすでに現れて居り、そのためにまず正常の細胞株を作ろうと計画している。当時としては仕方のない考え方であろ。う。高野班員は細胞の凍結保存のテストをはじめている。高木班員は腫瘍組織のマイクロゾーム、リボ核蛋白、デオキシリボ核蛋白などの分劃を抽出し、これを正常由来の細胞の培養への添加を試みている。
なお組織培養内発癌研究の発表として、一連の総合題名を付けることが、このとき既に決められている。第6002号で面白いのは、細胞の腫瘍性はさることながら“正常性”とは一体何かと皆で論じあっていることです(寄稿)。このころ、株細胞は原組織の特性を保持していることがある、として、JTC-4、JTC-6などについて膠原質産生能を共同でしらべ、連名で癌学会に発表しました。遠藤班員は勝田との共同研究として、HeLaを用い、性ホルモンの影響をしらべはじめている。奥村班員はLやHeLaの無蛋白培地亜株の染色体分析をおこなっている。第6004号(9月)からはAgfaのCopyrapid判で月報を作りはじめたので、現在よりもきれいなcopyが得られている。昭和35年9月3日、伝研で行われた組織培養グループだけの第1回の班会議の速記が第6004号にのっている。毎号一人で書くのにうんざりして、各班員のかいた原稿をまとめて綴じるようになったのは、第6005号からである。そして第1回の月報寄稿星取表もこの号に現れている。このころ、勝田はL・P1のアミノ酸要求をしらべて居り、高木班員は腫瘍分劃をJTC-4に加えて悪戦苦闘している。第2回の班会議は12月20日、癌学会の翌日開かれ、報告と例年度の申請について相談している。
月報ファイルNo. は、1961・1月からで、この巻から初めて年12册宛揃い出した。昭和36年度は(組織培養による正常及び腫瘍細胞の研究)という総合課題名で、班員は7人(勝田、遠藤、奥村、高木、伊藤、高野、堀川)。ここに初めて勝田班として組織培養が完全独立した。堀川班員は大学院を卒業して放医研に移った年である。第6102号には、勝田がはじめて
Parabiotic cultureについて報告している。高木班員は(PVP+LYT)の培地を用い、添加したRNA分劃のJTC-4による消費をしらべている。高野班員は殊に腫瘍のcrude
extractを与えている。この年度から年5回の班会議がはじまり、第1回は5月14日、阪大癌研でおこなわれた。この第1次勝田班の研究目標は三つに大別され、1)培養内発癌、2)正常・腫瘍細胞間の相互作用。3)正常及び腫瘍細胞の特性の比較であった。1)でも2)でもないのは3)に入った訳である。研究費は120万で各人15万宛、高木、伊藤両班員の旅費が6万円、中央費9万円であった。班会議では発癌実験のための詳細な分担が決められたが、結果的には少数の班員がこれを実行しただけであった。この年は、勝田は正常・腫瘍間の相互作用の研究に全力をあげ、発癌に用いるための正常ラッテ肝細胞の培養の研究もおこなっている。高木班員は前半はRNA分劃の添加を粘っていた。堀川班員はL株を使って、色々な耐性を作ったり、耐性細胞の発現機構をしらべている。高野班員は10月30日、米国に“帰った”と記載されている。この年、勝田は4NQとラッテ肝を組合わせたが面白い結果が得られず(DABとラッテ肝)に変えたところ、年度の終りに近くなって、俄然DABによる増殖誘導の事実が見出され、大いに活気がついてきた。
月報ファイルNo. (1962)の第1号の1頁に“班会議のあと全部を一人で書くのはかなわないから、自分の演説の分は自分でかいてきてくれ”と記してある。よくこれまで辛棒したもの、と今にして思う。この年から佐藤、山田両班員が加わり(高野班員と山田班員と入れ代り)、計8人で160万円にふえている。但し昨年度の“悪平等”にこりて、この年の配分は、15万円、10万円、5万円と3段階を作り、あとは成績により第2次配給という制度に変っている。
高木班員はJTC-4にDAB、ハムスター腎にStilbestrol、・・・色々の組合せで頑張ったが、渡米のため11月で中途挫折してしまった。あとは杉氏がバトンタッチして今日に至っている。佐藤班員は呑竜ラッテにDAB、メチルDABでenergischによく働き、いずれも増殖誘導のおこることを見出している。堀川班員は京大に移り、Lに他の核を貪喰させる仕事をはじめている。奥村班員は凍結保存による細胞の淘汰の問題を染色体分析によってしらべ、
遠藤班員は相不変HeLaとホルモンをしらべている。勝田はDABで増殖を誘導したラッテ肝に、さらに第2次刺戟を色々と加えて試みたが、仲々真の悪性化に至らず、その現状を、12月4日、大阪で開かれた(発癌の生化学)のシンポジウムで報告している。
昭和38年度は、第1次勝田班が2年つづき、発癌について何か出そうなことが判ってきたので、班を解散し、改めて(組織培養による発癌機構の研究)として、新しい班を申請することとし、班員は勝田、佐藤、山田、伊藤、堀川、杉、黒木の7人で出発した。真の意味の初登場は黒木班員である。奥村氏は勤務先の都合上、この年は入班しなかった。これまでの月報ファイルにくらべ、この年のNo. はずしりと重くなっている。熱心に仕事をやり、詳細に報告する人が増えてきたからである。勝田と佐藤班員は(ラッテ肝-DAB、メチルDAB)の組合せで奮闘している。結局この年にはまだ復元接種試験陽性の細胞変化は得られていないが。杉班員は(Golden
hamster-Stilbestrol)をつづけたが成果なく、堀川班員は前半L細胞の喰作用を利用して形質転換を図っているが、10月2日にはWisconsin大学へ留学にでかけてしまった。今となってみると、班のためには非常に惜しいことであった。この年は、4月には医学会総会で組織培養の演者5人の内3人を当班が占め(しかも格段と評判が良く)、5月には佐藤班員が岡山で組織培養学会の研究会開催を引受け(癌と組織培養)のシンポジウムでは名司会と評された。新入の黒木班員はハムスターポーチを利用しての、腫瘍の異種移植の基礎的データをがっちりとしらべ上げて行った。なお、この年の研究費は210万円で、大分増額された。
昭和39年に入り、発癌実験は俄然進展した。勝田が偶然に“なぎさ”培養で細胞の変換を見出し、その原因究明につとめ、追試実験でも同期間の5週間でやはり変換が起こり、100%ではないが再現性をたしかめた。そして前月号に発表したような、発癌機構に関する“なぎさ説”が誕生したのである。
この知見と理論は、他班員の発癌実験にも、その計画立案に有効に生かし得るものであるし、且活用されなくてはならない。第2次勝田班も、しかし、これでどうやら看板通りの実績を上げられる見通しがついて、ほっとしたものである。
昭和39年度は、研究費は230万円に増額された。1年休班した奥村君もまた新たに加わり、各種正常細胞を初代からcloningしてpure
cloneでのきれいな発癌実験を可能にさせるべく努力してくれている。前年度后半から客員となっていた安村氏も、今年度からは正式の班員として加わったが、惜しいことにこの夏から渡米されることに急に決まった。ただ在米中の高木氏が12月頃には帰国して、ピンチヒッターの杉班員と交代されることは心強い。関口班員は今年度はじめての入班であるが、7月16日から癌センターの室長として栄転することに決まった。しかし国内のしかも東京にいるのであるから、班会議には出席できるし、月報にも8月号から寄稿することになっている。
月報を出しはじめてから、かぞえてみると4年2月になる。その間毎年5回宛班会議を開き、月報と会議とで、たえず班員間の連絡を緊密にとり合い、励まし合ってきた。他の綜合班では班会議をせいぜい2回、よくて3回、ひどいのは1回(例えば1960のときの釜洞班)というのもある。私としては、綜合研究班というものは、こうあるべきものである−という一つのモデルをおこなっているつもりである。それが良かったか悪かったかは(もちろん各個人の能力にもよるが)、班としての成果で評価されよう。班員が互いに切磋琢磨し合うということは非常に有意義なことである上、同じ畑の、しかも他機関の研究者に自分の仕事がたえず認識されているという自覚は、孤独感によるスランプの発生を防止する。将来たとえ班の結成が許可されないような不幸(我々自身がしっかり仕事をやっていればそんなことは起らないのだが)に陥ったとしても、月報だけは少なくとも続けて行く価値があろう。
癌研究はこれからである。発癌機構が判っても、次には治療とか予防の問題が控えている。とにかく画期的な治療でなければなるまい、ということは想像がつくが、そこでもまた我々の決死の努力が要求されるであろう。とにかく癌という代物は、少くとも我々の代で解決して、次代までこの苦労を持越させてはならないものである。そのためには、並々の努力などでは絶対に駄目である。よっぽど疲れた場合以外は、日曜でも祭日でも研究をつづけなくてはならない。家庭奉仕などは死んでからゆっくりやれば良い。(ただし、癌をやっつけられれば、これは実に大きな意味での家庭奉仕である。)
昭和39年度もすでに1/4が過ぎた。あとで振返ってみて、あああの年はよく仕事をやったと、自分でも満足し、悔いのない年にしよう。
今后とも班員各位の奮励努力を期待して止まない。
6408:◇今年の研究費には驚いた。5月何日までに確定申請を出せば6月末までに金を交付するなんていうので、皆さんも一刻も早いことをのぞんで居られることと思い、学会の忙しいときに時間をさいて無理して書類をかいて出したのですが、6月下旬はおろか、7月になっても何も云ってこない。折角班会議を延期して待ったのに、それにも間に合わない。8月1日の朝とうとうしびれを切らしてこちらから出向き文部省の助成課の方に同道して頂いてやっと会計で手に入れた始末。しかも7月27日に発送したという交付通知書は8月1日に到着。料金後納なのでスタンプがなく、本当に27日に出したものかどうかの証拠もない。だいいち、1月以上もおくれているのに速達でもないし、書留でもないから途中紛失したらそれ切りである。一体これは誰の責任なのだろう。どこかに自分のなすべき義務をなおざりにした奴が居るにちがいない。悪くかんぐれば、1月余、金をねかしてその利子(膨大になる筈)で会計の穴埋めをした、ということも考えられる。とにかく国民の金をあずかって一刻も早くそれを役立て研究を促進しようという気がないのだから、こんなのはさっさと辞めさせるべきである。とにかく8月22日の班長会議ではじっくり事情をきいてみます。このさわぎで今月は月報の発行が少しおくれました。来月からはまたきちんとやりましょう。 ◇Purdue
UniversityのProf.M.Moskowitzがまたやってきました。8月6日羽田着。こんどは1年近くの滞在ですから皆さんと大分お近付きになれると思います。よろしく。 ◇関口君ががんセンターに移り、そのあとの助手に高岡君が8月1日附で昇任の予定です(手続に1月位かかります)。これまたどうぞよろしく。高岡君のあとには、来春日本女子大の家政科学科を卒業する武田宣子君が入る予定で、この夏には手伝いがてら勉強にきてくれています。 ◇小生の横の机の上にケンビ鏡映画撮影装置があり、これが昼も夜も年中まわっているので、送風式incubatorのため小生の部屋は猛烈な高温になり、いたたまれず、遂にcoolerをつけました。ついでに大部屋にも一つ附けて、その代りこの夏は休暇なしだぞ、と宣言したところです。何はともあれ今年は快適な夏になりました。
6409:◇今月から月報原稿を催促しないことにしましたら御らんの通り。小生を除いて他は到着順に並べました。奥村君のは25日の夜およくに届きました。 ◇今年の研究費のおくれた理由については、事情は次の班会議のとき説明しますが、要するに文部省の人たちがふだん接する人たちは、そう研究費にあくせくしないような人たちばかりだから、下々の台所の苦しいやりくりなんか身に沁みて分らない、ということらしいです。 ◇月報原稿はよこさんでも研究はチャンとやっているんでしょうね。男一匹、一生をかけてどんな絵をかき上げるか、死ぬ時は笑って死にたいものだ。身を粉にして頑張ろうぜ。
◇フィルムをつめかえる10分余位だけ止めるだけで、あとは日夜連続で顕微鏡映画撮影をつづけています。 ◇暑さも少し峠を越えたので、廊下の隅で飼育しているラッテもようやく仔を生みはじめ、RLH-2の復元接種に使えるようになりました。結果は9月26日の班会議で。 ◇この夏の水のひどさ! 研究者一同は東知事を告訴すべきである。
6410:◇月報の編集が終るとやれやれとほっとします。老眼鏡をかけながらこれをかいている姿を御想像下さい。 ◇先日の班会議は、小生は小生なりに得るところがありました。たとえば黒木君のデータなど、そのような仕事は散発的にこれまでも見られたとは云え、やはり身近の細胞でsystematicにやった成果を、Histologyと一緒に示してもらうと勇気が湧いてきます。この次はぜひ、ラッテの大きくなるのを待ってコーチゾン処理してRLH-1をうえてみます。そしてラッテを何代か継代した后で無処置のラッテに植えてみるつもりです。土井田君のデータもこんど持って帰ったRLH-2の核型と比較してみると非常に物を云ってくるでしょう。大阪勢もようやく態勢が整ってきたし、これから半年間、大いにラストスパートをかけましょう。奥村君にも兎50匹分をさし上げますから当分実験をやってもらえる筈で、ぜひホルモン発癌に入ってもらいたいものです。 ◇いまこれをかいている、となりの机の上で映画装置が廻っています。RLC-2の2核の肝細胞がどんな分裂様式をするのか見てみよう、というわけです。この2月ごろから本当によく映画をとりつづけてきました。“なぎさ”細胞の変異の状況を映画にとって見付けられたことも、日本光学の倒立顕微鏡ができたから初めて可能になったことであり、研究というものと、機械、器具の発達とは切っても切れない仲で、もちつもたれつ、synergismで進歩して行くものであるということを改めてまた痛感する。
6411:◇あっと云う間に10月もすぎてしまって、まったくおどろくばかりの月日の早さです。11月も学会が多いのでまたたく間でしょう。そして師走がきて、ジングルベルが鳴って今年もおしまい。それを繰返していれば、あっという間に定年。はかないね。 ◇フィンランドのヘルシンキ大学・病理のProf.Erkki
Saxenから、こんどUICCでinternationalな癌の雑誌を出すことになり、自分が編集長になった。ついてはこれ迄のよしみでEditarialCommitteeなどについて意見をきかせろ、と云ってきました。これは本当に良いことなので大いに激励しておきました。そしてEditorial
Boardともなると、事務的にもきちんきちんとやれる人でないと困るので、東大病理の太田教授を推薦しておきました。 ◇伝研の他の研究室にいまタイ国のシュポンさんという医学者がきていますが、この人と話していたら、タイにもTCをやっているCell
biologistsが3人おり、その内2人は癌をやっているというので、日本の培養学会に入会をすすめる手紙を書きました。将来はアジア諸国をまとめての、Asian
Tissue Culture Associationを作らなくてはなりませんから、その第二歩目(第一歩はインド)です。 ◇インドといえば、小生のインド行きもだんだん日が迫り、国際学会后の講演旅行のスケジュールもあちらから送ってきましたが、3日の内1日は飛行機に乗っている(時間の関係から旅行は全部飛行機です)ほど、忙しい旅になりそうです。現在の予定ではBombay、Baroda、Delhi、Agra、Hyderabadとまわるつもりです。研究所の一番多いのはBombayのようです。タイ国と連絡が取れたら、帰途にバンコックに2日ほど寄って講演と見物をし、2月上旬帰国ということになりそうです。2月号の月報をどうしようかな、と今考えているところです。発つのは1月7日か9日のAirIndiaのつもりです。今からとても気がかりなのは、伝染病ことにコレラなんかもらいやしないか、ということと、禁酒国なので、外人旅行者にも少量しか配給割当がないということです。どなたか凍結乾燥したウィスキーなど売っているところを御存知ありませんか。 ◇オリンピックも余り混雑せずに済んでほっとしました。実物を見たのは花火だけでした。開会式の夜、伝研の窓からよく見えました。
6412:◇今号は伊藤君の寄稿や山田君が武田製薬のパンフレットに出した別刷も加わって大分にぎやかです。 ◇なぜ今号の発行がこんなにおくれたか、その理由はぜひ聞いておいてもらいたい。それは先月の班会議のとき、皆が要旨をかいてもってこなかったからです。三島から帰ってすぐ月報をあの月の中に括める予定にしていました。12月に入ったら来年度の研究費申請書をかかなくてはならないからです。それなのに12月になってからやっと送ってくる始末で、私は来月居なくなるから、研究費の申請の方をさきにすっかり整えて、それから月報にかかった次第です。他人に迷惑をかけないように心掛けましょう。おかげで印度へ送る原稿も未だ一行もかいてない次第です。 ◇予防注射だの買物だのと忙しい思いをしています。2月の班会議のときにはスライドもお目にかけられるでしょう。では皆さん、お元気で、良い新年を!
6501:(印度講演旅行のため編集後記を書く暇なし)
《巻頭言》
新年おめでとう!
また新しい年がめぐってきましたね。振返ってみると昨年は仲々良い成果を上げました。発癌の研究班として着実に第2年度の予定をほぼ遂行しました。愈々今年は第3年度に突入するわけで、薬物による発癌もぜひ完成したいものです。いやおそらく出来ると私は感じます。皆さん、しっかり頑張りましょう。
第3年度の申請の、分担課題と分担者名を次に記します。研究を拘束されないような題名をつけました。なお予研の山田班員と、東北大抗研の山根績氏とは、ウィルスを用いたい御希望なので、山本正氏の癌ウィルスの班に入れて頂くようにしました。
組織培養による発癌機構の細胞病理学的研究 勝田 甫
〃 病理発生学的研究 佐藤 二郎
〃 細胞免疫学的研究 高木良三郎
〃 内分泌学的研究 奥村 秀夫
〃 細胞化学的研究 高井新一郎
〃 細胞生物学的研究 黒木登志夫
〃 細胞遺伝学的研究 土井田幸郎
〃 組織化学的研究 堀 浩 以上 8名
こうやって眺めていると、色々な専門家がいて、実にすばらしい組合せです。今年は夫々の特色を生かし合って、実際的な共同研究をおこなうことを特に心がけましょう。秋の癌学会にはぞろぞろ皆の名前が並ぶようにやりたいものです。それには、今からはじめて夏までには一通りデータが揃う位のつもりでやらなくてはなりません。2月の夫々の班会議のときには、このことをかなり具体的に相談いたしましょう。皆さん夫々考をねっておいて下さい。
今年は我班の、この研究題名での最后の年です。いよいよ最后の突撃に入る年です。もはやためらうことは許されません。身を粉にして頑張りましょう。もうラッパが鳴りわたっています。聞えるでしょう、突撃ラッパが!
6502:◇1月号はとうとう編集後記をかく暇なく出発してしまいました。さて帰ってきてみると、2月号用のこの貧弱な原稿はどうですか。1月号も薄く、2月号も薄く、一寸留守をするとこの調子では、あきれ返ります。 ◇帰ってきてすぐこの号を発行するつもりでしたが、印度ですっかり胃を痛めて回復に1週間かかりました。連日辛い印度料理で、初めはなるべく避けていたのですが、肉類はそういうのに入っているし、食わないと痩せるので(55kg→50kgにやせました)、とうとう手を出したらすっかり胃をやられました。 ◇日本は、水もきれいで美味いし、物は一杯あるし、まったくパラダイスです。惜しいことに皆それを余り痛感しないで、時間を無駄にすごしているようです。
《巻頭言》
印度より帰りて−
1月11日から14日にかけてBombayで開かれた国際細胞生物学会(ユネスコICRO主催)に招待され、その后印度各地を講演旅行し、帰途タイ国のバンコックでも医科大学で講演をおこなって約1月の不在の后日本に帰ってきました。
私にとっては初めての外国旅行なのでずい分色々な教訓をえました。また班会議の機会でも利用してスライド(カラー写真を840枚とってきました)で色々御説明しますが、印象のうすれない内に痛感したことから拾って若干感想を記しましょう。
1.学問的レベルについて
印度は仲々科学研究が盛んです。欧州から招待されてきた連中は何れも調子を落した話をしていました。ユネスコからの“科学的低開発国の研究を促進するため”という招待文句を間に受けすぎたのでしょうか。植物の組織培養をやっている人の多いのには特におどろきました。日本の10倍以上でしょう。癌をやっているのも居ますが、とにかく培養屋人口はかなりなものです。しかしそれらの成果の何%が信頼できるか、という点になるとまだ問題はかなりあるでしょう。信頼できるデータを出しているような処ではやはり、かなり基礎的データを目下コツコツためているところ、という感じを受けました。そして、例えば、いわゆるLeighton
tubeなど自分で円形回転管から作っていました。(中共との紛争から輸入が極度に制限されていることと、一般工業のレベルがまだ低いためです。)
Microspectrophotometryなど、器械を自分で組立て、染色法の検討(Feulgenなど)からがっちりやっている研究所もありました。頭の良いのは居ますし、本もよく読んでいます。ただ未だ経験が少し不足、いわば実戦不足で、手のきちんと動かせるのが少いということです。それともう一つの欠点はせっせと働くのは少い、ということです。土曜日は休むし、夕方は5時から6時ごろになると皆帰ってしまうようです。“我々日本人は予算や設備の足りないところは努力でおぎなっているのだ。日曜だって月に一度位しか休まない”と云ってやりましたら、初めは“我々だってそうだ”なんて云っていましたが、国際学会が済んでから研究施設に毎日のようにこちらが出掛けて行ったとき、こちらは朝9時前から行って、誰々から順に出勤してくるか観察したり、夕方も暗くなる迄討論をやめないで続けていたら、向うももはや見栄ぱりは云わなくなり、日本人にはかなわんということを認めたようです。実際の行動で示してやった訳です。
タイ国は印度に比べるとはるかに経済的に豊かな国ですが、研究という面ではこれからやっと研究がはじまる、というところでした。現在は日本をはじめ外国の研究者が滞在して研究者の養成をしているところです。
2.研究設備について
仲々立派なのがあります。BombayにあるTata
Memorial Institute for Fundamental
Researchesなどは医科系ではなく、数学、統計などが主で、分子生物学もごくわずか入っていますが、コンクリの5〜6階建のホテルのような建物でした。全館air-conditionedで、広いロビー、きれいな食堂、応接間のような図書室などには壁画や彫刻が並び、図書も科学だけでなく、藝術に関するようなものも集めて一般的教養のレベル向上につとめている、というのが自慢のようでした。他には、これほどでないにしても、かなり良く整っているのがかなりありましたが、何と云っても、猛暑を防ぐにはやはり困るようで、ルームクーラーを入れてあっても、いちばん暑いときには防ぎ切れないようです。それと輸入制限で色々な実験材料や薬品の入手には本当に困っているようでした。
3.会話について
印度では200種以上の言葉があるので、科学的集会だけでなく、講義もすべて英語でやっているようです。だから英会話には熟達している者が多いのですが、同時にそれがいわゆるIndian
Englishというので、すごくなまりの入ったのも多いのです。私の講演のとき座長は英国のDr.John
Paulでしたが、質問がよく判らないのがあって、彼にきいたら彼にも判らない、というのがあった位です。
しかし、外国へ行くのに或一定のところに何年か落着いて研究する場合はまだしもですが、国際学会などに出て行くには、相当会話の練習をして行かないと、討論などまるっきり出来ないで、何の為に行ったのか判らなくなります。慶応の中沢君がアメリカに居たころ、日本の某大の教授がやってきて、これがオシでツンボで出来ることと云ったら向うの教授と一緒に写真をとっただけなんで、なんで日本の政府はこんな奴をよこすんだ、なんておこってきましたが、本当です。反って恥さらしです。私の経験では、日本にいても毎日英語をしゃべっていたのですが、それだけでは不足で、やはり、4、5日してからはじめて本当に慣れてきました。日本語を忘れなければダメです。入ってきた英語をそのまますっーと受入れて、考えるのも英語で考えてしゃべる。だから最后まで困ったのは数字でした。スーッと来ないのです。nighteenぐらい迄は良いとして、fifty
sevenというと頭の中で57とかき直してしまうのです。その間に向うは先に進んでしまっています。会話は決して速成がききません。だから今から1日も早く練習をしはじめて下さい。
6503:◇今朝の新聞に次の記事が出ていました(2月24日・読売・ガン研究に1千万円、科学技術庁)。科学技術庁のは呼水で、問題はそのあとの、文部省と厚生省と第1年度1億円宛の研究費です。きわめて有効に使えるように考えてもらいたいものです。 ◇仕事は学会でしゃべっただけでは駄目です。論文にかいて出版しなければ何の価値も認められません。仕事をまとめたら、きちんきちんと書いて行くようにしましょう。私も今年前半は、たまっているのを一挙に片附けるつもりです。 ◇伝研では昭和40年度に“癌細胞学研究部”という講座が一つ新設されること、文部省より内示がありました。 ◇次号からは北大の堀浩君が顔を出すことになります。山田班員からはこの最終号にも原稿を頂けませんでしたが、どうも永いこと御苦労様でした。御自分に一層合った研究グループのなかで、一層仕事をのばして行かれるよう期待します。 ◇2月末ともなるとやはり日の永くなったことを感じます。今日は東京でも少し雪がチラチラとしましたが、またすぐ止んでしまいました。どんどん春の近付いてくる感じです。これから夏までに大いに仕事を頑張っておきましょう。
6504:◇春めいて暖かくなるのは良いですが、学会シーズンで落着いて仕事のしにくくなるのは困りますね。◇3月22日(月)午后、伝研の会議室でアメリカのDr.I.R.Konigsbergにきてもらって、東京近辺の培養屋が集まり、話をきかせてもらいました。“Cellular
differentiation in clones derived from embryonic
muscle cells" というので、Chick embryoのmuscle
cellsをバラバラにしてシャーレにまき筋センイに分化して行くのを観察した仕事で、仲々面白い話でした。結論は要するに筋の細胞から筋センイができ、Fibro
blastsからは出来ない、ということになりますが、技術的なこともかなり詳しく説明してくれたので有益でした。しかし例によって日本人は討論のときだまり返って、面白いのか面白くないのか、さっぱり反応を示さない人が多く、残念でした。こういうのは折角きてくれた人に対し失礼だと思います。たまたま上京していた大阪の川原氏など(失礼ながら)下手な英語でも、どんどん質問していました。こういう態度を見習うべきだと思います。◇川原氏は培養学会の演題がたりないと云って、それを探しに上京したのですが、無事目的を果し、学会はシンポジウム無しですが、5月15日午后、16日丸一日と、一日半を使うそうです。私もインドのスライドを土曜の夕方やることになりました。高木君もMemphisのTC-Lab.のスライドを見せます。
《巻頭言》
UICCで国際雑誌を発行:
1965年度からUICC(Unio Internationalis Contra
Cancrum)が癌研究の国際雑誌を出すことに決まり、Editorial
Boardは各国からえらんで28人です。日本では太田邦夫教授がなりました。誌名は“International
Journal of Cancer" Chief EditorはFinlandのProf.E.A.Saxenで原稿は彼のところへ送ることになっています。年6回発行で各号100頁位の由。初めは原稿がたまっていないから出るのが早いと思います。投稿規定が私のところへ来ていますから、御希望の方があればお知らせします。内容は基礎的研究が主体です。
国際癌研究組織培養シンポジウム:
1966秋の東京におけるUICCの国際癌学会を利用して、出席する外国研究者のなかから組織培養をやっている人をえらび、会期中あるいは会期直前に、標記のようなシンポジウムをやりたいと思っています。ただこれをUICCの事業の一端とするか、それとも別個のものにするか、吉田富三教授を通じて目下UICCと交渉しています。とにかく確実に開くことは開きます。余り大ぜいでなく、Closed
systemでやりたいと思っています。
国際組織培養学会:
1966年の9月に米国で米国組織培養学会が中心になって開くよう計画しています。
Dr.EvansとDr.Sanfordがco-chairmenで、7 half-day
sessionsを持つ予定です。42人を招待し、全部で350人に制限する由です。開催地はペンシルバニア州のBedford
Springsです。この42speakersというのは米国人を含めてですから、日本からは果して何人呼んでもらえるか、です。金は大分集める気のようですから、外国人には当然旅費が出るものと思います。
Dr.Margaret R.Murrayより禮状:
昨年暮から夏にかけて、彼女の要請により、我々は手分けをして培養の仕事の別刷を集め、中沢君が括めてリストを附して彼女に送ってくれましたが、合計3,000あって、その半分は未だ知らなかったそうで、“日本人がある事で、助けようと云ったら、それは本当に助けることだ、ということが判りました。他のどこの培養学会もこれほど雅量があり且精力的に協力してくれたところは無かった”と大変なよろこび方でした。皆さん、本当に御協力ありがとう御座いました。日本人に対する評価がさらに高められた一歩でした。
“具体化する国際ガン研究機構”吉田氏ら12権威招きリヨンで専門家会議毎日・夕刊: 皆さんも御承知でしょうが、上のような報道が色々な新聞に出ていました。
ドゴールが云い出したことだそうですが、アメリカに対する捲返しの意味で、欧州が中心になっているものです。
吉田教授も招かれているようですが、UICCとの関係をどうするのか。余りいくつも同じようなものを世界に作っても、対立するような結果になったは困ると思います。
吉田教授が“各国の意向を十分聞いてくる”と云って居られるのは仲々含みのある言葉だ思います。学問の世界に政治が飛込んでくるのは本当に困り者ですから。
6505:◇今月は奥村君を除いては全班員の報告が入りました。黒木君もいよいよ発癌実験の準備に入ってくれたようで何よりです。堀君の仕事も面白そうで班会議がたのしみです。 ◇岡大の佐藤班員のところに同大の病理から助手が一人入り手はじめに伝研に半年留学して組織培養の技術を4月12日から実習しています。難波正義君です。よろしく。それから同じ日から、高岡君の自由学園の後輩が1人入って高岡君の弟子になりました。石木寿美子君です。これまたよろしく。高岡君はいま大変御満悦です。 ◇いつも班会議の速記で高岡君が十二指腸潰瘍を悪くしますので、東大・理学部・生物化学科の大学院生の松村外志張君にこんどから速記をたのむことにしました。また班会議のとき、生化学方面の顧問として東大教養学部生物学教室の永井克孝君に出席をおねがいすることにしました。◇秋のTC学会は私のところでやることになりましたが、10月上旬の予定です。9月はいつも台風で予定が狂いますから。シンポジウムは〔癌と組織培養〕で半日でなく、丸一日にするかも知れません。内容が決まり次第、班員の方にも課題提供をおねがいするかも知れませんが、その節はどうぞよろしく。すばらしい内容のものにしたいと念じて居ります。◇第12回の班会議は6月下旬よりも7月上旬の方が良いかも知れませんが、皆さん御都合いかがですか。 ◇来年10月のUICC国際癌学会の前日と前々日を利用して癌研究国際組織培養学会を開く計画は、あとの出版のことがありますので母団体を探していたのですが、日本癌学会が“主催”することを同意してくれました。但し出版以外には一切、金も手も貸してくれません。大いに皆さん手伝って頂かなくてはならないと思います。どんな人を呼びたいか、御指名がありましたら、なるべく早く私にお知らせください。
《巻頭言》
肝癌発生の抑制と促進
この4月下旬に長崎大学で日本病理学会総会が開かれ、その宿題報告の一つに、阪大病理の宮地教授の“わが国の肝癌−とくに肝硬変との関係について”という報告があったが、このなかで我々に特に関係の深そうなデータとしてラッテによる実験的肝癌の発生の諸データがあったので紹介する。
まず第一に面白いのはDAB発癌に於て、ラッテに与える飼料の蛋白量及び蛋白の質如何によって発癌率になかり差があるということで、例えば0.06%DAB食を40週与えた場合、飼料の蛋白が
1)カゼインでは肝癌発生は3/19、2)カゼインのキモトリプシン分解物では5/19、3)カゼイン型アミノ酸では1/13、4)カゼイン型アミノ酸で低トリプトファンでは8/18、
5)トリプトファン添加のカゼイン水解物では4/9であった。またDAB、180日で、カゼイン食で肝癌30%肝硬変15%に対し、ツエイン・リジン食では肝癌80%肝硬変45%であった。
0.06%DABに0.006%Sudan を添加すると、肝癌は33%から11%へ、肝硬変は30%から
0%に抑えられた。エチオニン併用では、0.045%DAB、25週食で4週后に肝癌は9/19であるのに対し、DAB食の前に0.25%エチオニン食を6週与えると、12/19と増加した。但しエチオニンのみ与えて29週后の成績は肝癌0/9。別の実験でエチオニンだけ31週与えた場合は、4週后に3/16の肝癌があった。ヂメチルニトロサミン(DMN)も促進効果があり、0.08%DAB13週食后、13週さらに后に肝癌は9/21であるのに対し、あとの13週にDMNを0.006%与えると、18/28となった。DMNのみ13週与えたのでは0/23であった。但し別の実験ではDMNの期間までDABを与えた(26週)方が少し発癌率が高かった。また別の実験ではDMNが逆にはっきり抑制効果を示し、0.05%
DAB26週食のあと7週后では17/29(♂)、6/34(♀)であるのに、DMN
0.006%を同時併用すると、1/13(♂)、0/18(♀)となり、DMNだけでは3/31(♂)、0/33(♀)であった。その他チアアセトンアミド0.035%併用は促進、タンニン注射も促進。
四塩化炭素の併用も著明に促進した。またDABを連続投与すると肝癌が多く、断続投与すると肝硬変が多くなった。
我々の発癌実験に於ても、発癌因子の相乗効果を狙って、何種類かを併用することも考えておいて良いのではあるまいか。
6506:◇今号は研究費の確定申請やら何やら、色々なものが一ぺんにやってきて、いささか発行がおくれました。欠席の堀班員はあとから報告を送ってきましたので、23頁に入れました。しかしやっぱりスライドか標本を見せて説明して頂かないとね。 ◇とにかく今回の班会議は全く記念すべきものでした。佐藤班員もあれだけ熱心にやってきていたのですから、そこで腫瘍ができた、ということは本当に結構なことで、佐藤班員の努力も報いられました。何とか、あとは再現性が主張できるようにしたいものです。 ◇班会議へ行く前にnewbornsの色々なところへRLH-1〜4を入れて行ったのですが、これがどうも面白いようです。腹腔へ入れたRLH-1とRLH-4では腹水がたまりかけていますし、殊に后者の方は分裂がかなりあるcell
islandsがみられます。あとはラッテの死ぬのを待つばかり。癌学会〆切には間に合うでしょう。その他なぎさとDABを組合せたのが面白いのですが、これは来月の月報にかきましょう。予告篇まで。 ◇Prof.Moskowitzは7月末に帰米の予定ですが、その前に日本婦人と結婚式をあげる由です。私も未だ逢ったことがないのですが、若い御婦人で仲々activeな人のようです。いま幸福の絶頂のような顔をしています。
◇今年は山極・市川両先生の世界最初の人工発癌の50周年記念です。奇しくも我々が培養内発癌に成功しつつあるというのは山極先輩の霊のおみちびきかも知れません。(市川さんはなお御存命)。
6507:◇梅雨どきの雑菌シーズンですが、皆さん如何ですか。仕事が新幹線みたいにならぬよう祈ります。 ◇当室に滞在中のProf.Mosikowitzはこの間とうとう結婚しました。アキ子さんという人です。7月7日の班会議のときには出席して、是非皆さんにgood
byeを云いたいと申して居ります。7月28日横浜発の船で帰米します。彼の仕事を手伝っていた笠原君も6月一杯で慶応病理に帰ります。 ◇先日、50年前の山極さんの発癌第1報のレポートを探していましたら、たて書きでカナ入りなものですから、佐藤班員のところから来ている難波君が、「ウァーこれはヨメンですネー」と悲鳴をあげました。昔の論文をみていると面白いのがあります。吉田、木下のアゾ色素発癌当時のを見ていましたら、京府大の田中秋三氏が、癌の本態について「それは化学物質なりと余は信ず。しかもその化学物質は硫黄そのものなりと信ず」というのがあって、思わずふき出しました。昔から変だったんですね。 ◇伝研の将来計画も着々と第2次が進行し、東大の昭和41年度概算要求にも組込まれ、今度こそは文部省をパスさせようと張切っています。医科学研究所創設です。◇今月は佐藤班員が大量なデータを寄せてくれました。仲々面白くなってきました。何とか別の株を使っての再現がうまく行くと良いですね。1種類だけですと、その株に何か
Virusのようなものがcontamiしていて出来たなんてことにならないとも限りませんから。
◇日本光学の倒立で写真や映画をとる方におすすめしますが、フィルターにZissの(口惜しいですが)干渉フィルター#467807を使ってごらんなさい。解像力がぐんと上ります。このフィルターは吸収ピークが非常に細長いピークになっているからです。 ◇医学コースに入ってしまった学生をつかまえても仲々うまく基礎に入ってこないので、今年は教養の1年生をつかまえることにしました。7月初めから2人やってきます。しかしこういう何も知らん連中に話をするのは実にむずかしいことですね。 ◇Exp.Cell
Res.,37(3):552-568,1965のSndstromの論文をみても、本号P.14に紹介した本のBangの章をよんでも、外国の連中は肝実質細胞の培養、まして株化なんでまるで出来ないのだから愉快ですね。
◇では7月7日に!
6508:◇今年度の研究費、未だ来ません。毎年おくれて困りますね。何とかもう少し仕事に支障のないように出来ないものでしょうかね。8月9日にパレスホテルで癌関係の班長会議があります。そのときよく相談しておきますが。それから今年度は、この班長の連絡班である〔癌の基礎的研究〕班が解消し、〔腹水化腫瘍諸系の細胞遺伝学的研究〕班がその任を兼ねることになりました。やはり合同の報告会やシンポジウム、その他、略昨年通りに行われる予定です。 ◇今年度は研究費の扱い方が若干変りました。いずれ送金するときその注意書を一緒にお送りしますから、よく注意して御よみ下さい。 ◇この1月ほどは論文の書き通しでした。2篇半ほど書いたら、UICCからこんど発行するInternational
Journal of Cancerの〆切が迫ってしまい(7月一杯にHelsinkiに届くこと)、途中でそれにかかって、やっとぎりぎりで26日朝にNAGISAの論文を発送することができました。その前の数週間というものは毎晩伝研で12時寸前までタイプを打って疲労の極に達しましたが、何とかやっと仕上げました。これで約1月間に3.5篇書いたことになります。残りの0.5もこの月報の上りしだい仕上げにかかる予定です。 ◇今号から、この頁を除いて、字が変わっているのにお気付きでしょう。やっと代りを見付けたところです。まだ不馴れで読みにくいと思いますがお許し下さい。その内だんだんに上手になると思いますので。
◇9月上旬に東京で国際生理学会があり、培養屋も若干来るようですから、東京で半日位講演会を開きたいと思っています。では皆さん、お元気で。
6509:◇先日の班長会議のとき“発癌機構の研究をうたっている班が大分多いようであり、且生化学者の考えている発癌と病理乃至生物学者の考えている発癌との間にはまだ谷間があるように思われるので、そこを一緒に話し合える会を持ったら如何”と提唱したところ“それならお前が立案してやれ”ということになり、12月上旬に開くことになりました。一切を委されましたので、あまり多人数でなく且closed
systemでやりたいと思っています。出席御希望の方がおありでしたら至急御一報下さい。 ◇やっと研究費が届いて(それでも他の班よりは早い方ですが)やれやれです。当班は昨年度よりも減額となり、不本意な思いですが何とか頑張りましょう。先日の班長会議のとき“研究計画もそれに必要なスタッフも班長が揃えるのだから、成果がうまく上らない班の班長は懲罰にしたらどうだ”と云ってやったら、皆あわてて反対していました。愉快だね。がん関係は他の分野よりも(少いとはいえ)研究費を多くもらっているのですから、余程そのことを自覚して謙虚に行動せねばならぬ、ということを暗示してやったのですが、仲々真意の判らぬ人もあるようです。 ◇学校の夏休で東大の教養学部の一年生(理三)が二人、学部の二年が二人、実習に来ています。みんな熱心にやっています。 ◇ラッテの新生児に復元接種しながら足の爪を切ってマークしている高岡君“ハイ次は腹這いにして右の手の爪”これに対するネズ公の反論が右図の通り(イラスト・腹這いでも仰向けでも右手は右手だよ!!)。
◇ついでにもう一つ、先般モスコビッツ教授の送別会を伝研内でやったとき、日本人である新婦と「試験製造室」の前を通りかかったところ「まァ、この部屋は試験問題を作る部屋なんですね!!」マイリマシタ。 ◇愈々秋になって研究に好適のシーズンです。皆さん、いよいよスパートして行きましょう。
6510:◇今月は月報がすっかりおくれてしまいました。月はじめの組織培養学会の研究会の準備、とくにシンポジウムの座長役なんかですっかり疲れた直后、癌学会の準備があり、その間にはちょっと編集する暇がなく、帰ってきてからやっとはじめたのですが、今号はごらんのように分厚い号なので、すっかり手間どってしまいました。もう月はじめの研究会はこりました。次回からは月末にして、その原稿を次の月報に用いるようにします。◇癌学会では高木班員に大変お世話になりました。2、000人以上集まって、癌学会も全くマンモス化しすぎて困り物ですね。生化学、ウィルス、と続けていた人はすっかりくたくたになったことと思います。◇TC学会も10年の歴史を持つことになったわけですが、この独特の運営法はやはり若い人に評判が良いようで何よりです。来春は福岡ときまりました。高木君も仲々大変と思います。我々もできるだけ多く参加して盛会になるようにして上げたいものです。 ◇最近日本光学で新しく顕微鏡のカメラ装置を作り目下テスト中です。
6511:◇〔がんブーム〕とか〔がんノイローゼ〕などと急に世の中がさわぎ出したが、おかしなものである。我々の班の研究費など昨年より減らされたし、第一、金を出しさえすればそれだけですぐ研究の成果がすぐ上ると思うのがおかしい。前にもかいたことだが、建物や施設は1年で揃えられても、肝腎の研究者は即製できない。どうしても一人前にするには10年や20年はかかる。それだって打率は10割ではない。10人仕込んで1人と考える方が安全である。それにも拘わらず政府は研究所の助手の定員をふやそうとしない。否むしろ、伝研などは減らされつつある。おかしな話である。全く、成ってない話である。
◇この秋は学会の連続で月報の発行がだいぶおくれてしまった。申訳ない次第である。それにこりて、第14回の連絡会は月末に持って行きました。その材料で12月号の月報を作ります。1月号は12月末か1月はじめに原稿を送って頂いて作ります。 ◇先日12チャンネルのテレビの〔乳癌は全治するか〕というのに、例の肝細胞と肝癌細胞を混ぜて撮した顕微鏡映画のフィルムを貸してやったら、それを見てあちこちから依頼がきます。マスコミというのはどうしてこんなに泥縄を好むのでしょうね。これもおかしな話の一つである。◇土井田君も11月1日朝の飛行機で無事に羽田を発ちました。高岡君が見送りに行ったら、小さな子供さん二人をつれて大変のようだったそうです。子供連れは船の方が良いですね。
6512:◇こんどの班会議は“班としての問題を班員全部が、自分たちの問題として真剣に考え、討論した”というところに非常に大きな意義があり、他の班の班会議では決してみられないような、立派な班会議でした。そして今后も、大きな問題の出たときは同じようにやりたい−という希望の班員が沢山ありました。班として一応、実態の把握ができ、今后の方針も立てられた、ということは成功だったと思います。どうもありがとう御座いました。 ◇来年度の新班の班員の内、皆さんにお図りしないで決めた方が1人あります。免疫の方も・・・という声によってえらんだのですが、伝研外科の藤井講師です。移植免疫をやっておられますので、頂度我々がいま問題としている色々な点についてアドバイスを頂けると思います。来年度の第1回の班会議は5月福岡ですので、及川(杉村)、永井、藤井の諸氏には御出席いただけない可能性がありますので、その代り、2月の班会議のとき出席して頂くようにしたいと思っています。 ◇来年度の新班の班名は前と全く同じですとまぎらわしいので順序を少しひっくり返しました。苦心のほど御了解ください。
◇UICCの〆切も迫りました。皆さんもお忙しいでしょう。大いに頑張って良い新年を迎えましょう。
《巻頭言》
細胞の培養内悪性化
かって紹介したが、Intern.Rev.Cytol.Vol.18,p.249-311にSanfordがこの題名でreviewをかいている。これは仲々教えられるところの大きい記述である。Goldblatt
& Cameronの例の嫌気培養によるラッテ・センイ芽細胞の悪性化についても、これはcontrolが1種しかなく、また似たことを彼女がマウスの細胞でやってみたが変化が起らなかった、と書いている。またtransformationということをはっきり云うためには、細胞をcloningしてから使わなくてはならない、さもないと、初めからそのcell
populationの中に混っていたことを否定できないことを強調している。彼女はマウスのセンイ芽細胞のcloneを作り、これを17系に分けて長期培養し、その間におけるspontaneous
transformationを復元でしらべた。その結果、18月間に、2系はtumorを作り、7系は時々tumorを作り、8系は作らなかった。これは有名な実験である。またunpublished
observationとして、C3Hのadult mouseのskin
epitheliumの株でもspontaneousな悪性化の起ったことを記している。
復元接種の項でToolanが人の悪性腫瘍をコーチゾン処理した異種動物に接種したがtakeされなかったこと、Lの1cloneは、C3Hにはtakeされるがheterologousにはtakeされぬことなどから、cortisoneやX線の効果の限界を説いている。また、培地の組成如何で同一系の細胞でもtakeされるようになったり、されなかったりすることも記している。
発癌剤による悪性化の記載はほんのわずかで、1頁余しかない。しかし、注目されるのはBenevolenskaya(1948)の仕事の紹介で、mouseのfibroblastsにメチルコラントレンを投与すると、可移植性肉腫になった、という報告である。Mogilaも同様の結果をラットの
fibroblastsで得ている。これはラッテに復元して、19月及び21月后に肉腫を得ている。しかしこれらではcontrolの培養が中途で失われているので果して発癌剤による変化か否か確定できない、としている。
結論には、これまで得られている報告では、発癌剤によってたしかに悪性化したと認め得るような例のないこと、ウィルスによる発癌でもウィルスがspontaneous
transformationを促進したのでなく、本当にoncogenic
virusとして働いたのだと云える論文は少数である、と述べている。
6601:◇新しい年を迎え、皆さんさだめし新しい想をこらして今年の研究に着手しておられることと存じます。今年も、いや今年こそ関ヶ原のつもりで大いに頑張りましょう。◇昨年のいまごろは私は印度にいました。ずい分前のような気がしますが、まだ1年なのですね。今年もあっという間に秋のUICCがきてしまうことでしょう。今日がUICCの演題申込の〆切ですが、皆さん何か出されましたか。 ◇9月にアメリカへ行く予定と知らせたら、あちこちからseminar依頼の手紙が毎日のように舞込んできます。文部省の短期海外留学のに申込むつもりですが、狭い門ですからどうなりますか。しかし是が非でも今年は行きたいと思っています。 ◇秋の我々の国際会議に備えて、高岡君以下お嬢さんたちも毎日昼食のあとの時間“Labo"をかけて英会話の練習に励んでいます。自発的に質問する練習のため近い内に英語でやる“20の扉"もはじめようかと思っています。皆さんもやっていますか。秋にそなえてこの方もしっかりやりましょう。
◇Leo Sachsにはやられましたね。しかし黒木君のいうようにpolyomaのcontamiかも知れませんね。我々はいろいろな細胞といろいろな薬剤という多様性で行きましょう。詳細な観察と、よく頭を使って計画を立てることが必要と思います。そして1月位でtransformさせることを狙いましょう。 ◇ラッテの胸腺の細網細胞の株4種の内、RTM-3だけが抗ラッテβ、γグロブリン家兎血清による蛍光抗体法で顆粒が光りませんので、これを使ってin
vitroでの抗体産生実験をはじめています。過渡的な方法ですが、死菌をI.P.に入れて数日后のラッテの腹水細胞をとって
RTM-3と混ぜておきますと、2w后位にどうも顆粒が少し光るようになってきました。これも面白いことになりそうです。
《巻頭言》
1966年を迎えて!
ついに1966年がきましたね。この年は日本の癌研究界にとっても、われわれ組織培養による癌研究者にとっても極めて意義深い年です。10月に日本ではじめて国際対癌協会(UICC)の総会が開かれますし、世界でもはじめてですが、国際癌研究組織培養会議が我々の手によって開かれます。癌研究の組織培養界において、こうして日本が国際的にイニシアティブをとるということは非常に結構なことですから、折角開くからには“出席して本当に良かった”という印象をすべての参加者に与えるように、内容の充実した会議にしたいものです。 それと同時に研究成果の上でも、今年こそは各班員ともぞくぞくと培養内発癌に成功し、その発癌機構の研究に突進できるようにしたいものです。来年度の班の申請書をかくため、過去1年間の各班員の成果をふりかえってしらべてみましたが、そのときつくづく感じたのは、みんなもう一歩というところ迄行っているなということです。今年の前半に精一杯の努力をすれば、少くとも4〜5人は発癌まで持って行けるのではないか、ということです。我々の国際癌研究組織培養会議の演題申込〆切は6月ごろにしようと思っています。開催するからには、その国の研究発表が最も目ざましいものであるようにしたいものです。2日間の内、できれば第2日はそっくり培養による発癌機構の研究の発表にあてたいと思います。できれば、というのはそれだけの量の発表があれば、という意味です。そしてそれには当班の班員のすべてが自己の義務をよく認識して粉骨砕身の意気込みで研究に突進する他はありません。本号に黒木君がかいて居られるように、イスラエルのLeoSachsがハムスター胎児細胞を使って培養内で発癌に成功しています。われわれ日本の培養屋がこんなのに負けていてはたまらない次第で、日本ではグループとしてmassiveにいろいろのがわっとできた、そしてその機構も判ってきた、というようにしたいものです。1966年、この記念すべき年こそ我々がそれを成しとげる年にしましょう。
6602:◇皆さん、実験は如何ですか。2月25日に集まる原稿を楽しみにしています。こちらは早速ニトロソアミンの実験をはじめました。しかしDEN,10γ/ml位では細胞は平気で分裂して行きますね。もっと思切って濃度を上げる必要があるかも知れません。しかし
Leo Sachsの報告では、継代は間遠くなったが一応おこなっている位ですから、これで
Murantsが出ないとは云えません。 ◇東京は連日雨が降らず、乾燥オーバーで色々障害の起っている向きもあるようです。全日空の墜落があったり、世の中色々さわがしいようですね。 ◇ラッテが仲々仔を生まないので実験に困っていましたら、やっと最近1腹生まれました。寒いといけないと思って電気ヒーターを飼育室に入れたら、空気が乾きすぎてしまったり・・・動物の飼育も仲々理想的条件というのが判りませんね。天井うらのネズミのように、余り環境を良くしすぎない方がかえってよく生むのかも知れませんね。
◇秋の国際学会の方もやっぱり何やかやと忙しくなってきました。金あつめに今日これから頭を下げに行ってこなくてはなりません。それにしても国内からほとんど反響のないのはどういう訳でしょうね。
6603:◇ここ半月以上、Businessに忙殺されました。班研究と機関研究の報告書はかかなくてはならぬし、アメリカへ行く旅費の申請もあちこち書かなくてはならぬし、秋の学会のための問合せの返事や登録など・・・。3月中旬まではこれがつづきそうです。
◇高井君がDr.Liebermanのところへ今春出発するそうです。どうも班としては困ったものです。他の班員方はその分もしっかりやって下さい。 ◇高岡君はこのごろ蛍光抗体法に凝って、さかんに「光った、光った」とよろこんでいます。春の病理学会とTC学会にはその成果もお目にかけられることでしょう。
6604:◇4月はじめというのに、やけに寒い日があるかと思うと急に暖くなり、また寒くなったり、桜の花もいつ咲いて良いのか、今年は大分迷ったようです。 ◇光研社製の新型CO2フラン器が入りました。特徴はコンプレッサーを使わず加温は温風循環式で、その空気の一部をとってCO2をまぜ、フィルターを通して内部に吹込みます。ですから雑菌の入り方はずっと少くなります。価格は60万円。なお、温度のレギュレーターはサーミスターを使い39℃になると電源の切れる安全装置もついています。使用テストはこれからです。 ◇オリンパスにも倒立顕微鏡のアイディア提供をたのまれ、この方はできるだけ安く簡単にして、routineの作業につかえるようにしろ、といったのですが、最近試製ができてきました。とても使い易くて当室では大好評です。ステージは固定。対物はx4とx10(3本レボですからx20も使えます)。単眼鏡筒なら6万円、双眼なら8万円で、6月ごろ一般発売になるでしょう。倒立の「ペン」というところです。試験管の底もよく見えます。◇2月号から月報の印刷にゼロックスを使っています。手間がはるかに省けますが、図などで広い面積を黒くぬったりすると、そこはよく出ませんので、柱グラフなどは斜線を入れる方が良いようです。なお編集の都合上、原稿を適当に切り貼りしたりいたしますが(例えば今月号の永井班員の分)、失礼の段、平に御寛容下さい。
《巻頭言》
新班の発足にあたって
この4月1日から顔ぶれも大分新しい第3次勝田班が発足する。生化学者や免疫学者も加わって、班の研究活動は一層多彩になることが期待される。しかし何といっても戦闘力の中心は、歩兵にもあたる組織培養の専攻者であるので、油断なく一層の努力を払われるよう、おねがいしたい。
今年はUICCの総会が東京で開かれる上、我々の主催する国際癌研究組織培養会議も初めて東京で開かれる。このような会議はこれまで一度も開かれたことがないので、おそらくこれが契機となって、以后4年ごとの総会のたびに第2回、第3回と開かれるようになるのではないかと想像される。その第1回を我々の手で開くということは、考えても全くうれしい話である。
しかしいくら会議を開いても内容が貧弱では意味がない。さいわい外国からはかなりの大物がやってきてくれるので助かるが、問題は国内の方で、折角日本までくるのだから、日本の研究者が何をやっているのか知りたいのは当然であろうが、余りお粗末なのを見せたのでは反って逆効果になってしまう。主催者としていちばん頭の痛いのがこの辺である。外国の方は6月下旬に演題をきめ、抄録もそれまでに出してもらう予定であるが、日本の方はそれ迄に見通しがつくかどうか大変疑問である。
この班は癌研究にたずさわる精鋭の組織培養家を集めている筈である。したがって日本人の発表の大半はこの班の班員がおこなうことになる筈である。私もそれを期待してやまないが、果して実際にそれがどうなるか、発表できるだけのデータを掴めるか、この班の内の何人が登壇できるか、不安がなきにしもあらずである。そのためには今が大事なところなので、これから夏までは特に必死になって研究に没頭して頂きたいと念願してやまない。
6605:◇班会議及び月報原稿については前月号にかいてあります注意をよくごらんになって下さい。班会議のときは、抄録のあとに討論を入れますから空欄があっても良いのですが、ふだんのときはなるべく頁一杯にかいて空欄を残さないようにして下さい。編集のときに大変に手間がかかりますので。(空けとくから原稿の到着順なんか書かれてしまうんですぞ。) ◇4月末日広島での病理学会のみぎり、夜間正常ならざる状態にて洋式バスに入ったため、スリップして肋骨2本位にひびを入れ、バンソーコーで胸を固定されて、小生は目下大変おとなしい状態にあります。それにつけても、翌日よろこんだ人の多かったこと。博多までには少しは大きな声の出るようにしたいと願っています。ではあと10日后にお目にかかるのをたのしみに!
6606:◇結班間もなく我班の班員に人事異動があり、岡大の佐藤助教授は今迄いた癌研・病理の教授に昇任、伝研の勝田は新設の癌細胞学研究部の教授に昇任。何れも4月1日附。東大・教養の永井班員は4月15日附で助教授に昇任となりました。初めて勝田班が独立したときには、班長以下総員が助手級であったのに、現在は助手は2人きりです。班も少し老いぼれたかな。 ◇部長になったら、たった一つ部屋を増やしてもらえました。そこはいままで居た2階の突当りですが、私がそこに追いやられることになり、顕微鏡映画撮影装置2台と、図書類と一緒に引越すことになり、この間から大変な引越しさわぎで、仕事も妨げられるし、月報の発行もおくれるで、閉口しています。只今の部屋のメンバーを御紹介しますと、私と助手の高岡君、技術員に星君と石木君の2女性、その手伝いが内田君、秘書が宗沢君で、女性5人に男が1人となりますが、理学部生物化学の大学院学生・松村君、目下インターンの山田君がときどき来てくれますし、台湾高雄医学院の周先生が滞在していますので、どうやら面目を保っています。では又班会議で。
6607:◇班会議后、連日悪戦苦闘し、7月10日午后9時30分、勝田班長はアメリカへ旅立ちました。最后までカメラを廻しつづけて、既成のフィルムの中の気に入らないカットを一つでも取り替えようという勝田班長の執念にふりまわされて、我々手下のものは身の細るここ数週間でした。そして翌日、電報は次のようなものでした。
NMI NAGARA BUJI TSUITA KATSUTA
これは原文のままで、タイプのミスではありません。
とにかく最后に録音したフィルムは仕上りの声も聞かずに持って行かれたのですから、どんな声が出てくるやら・・・心配しています。
前号で書かれていましたように、留守は女性5人で守っておりますから、ボディガードに自信のある方はどうぞ、来室歓迎いたします。(留守番頭)
6608:☆暑中御見舞い申し上げます。 ☆やっと編集後記にまでたどりつきホッとしたところです。月報は原稿を出すのも大変だが、まとめるのもまた一苦労。今までの勝田班長の苦労がわかりました。 ☆班長は元気でアメリカを歩きまわっているようです。しかし、国内航空のストで予定を大幅に狂はせられたのではないかと心配です。 ☆7月14日の毎日新聞に佐藤教授(春朗)が大きく紹介されて以来、我が研究室はマスコミにかきまはされ、それが一息ついたと思ったら「家伝の秘薬」についての共同研究の申しこみなど、おかしな手紙が迷いこんで来るさわぎです。(黒木登志夫)
《巻頭言》
米国西部における組織培養研究の現状
LosAngelesのCity of Hope Medical Centerを振り出しに、Southern
California
University、SanFranciscoのBerkeleyのDept.
of Zoology、DenverのUniv. of Colorado(Puck's
Lab)及び、Dept. of Pathology、National Jewish
Hospital、Indianaにきて
例のProf.MoskowitzのいるPurdue Univ.、Dept.of
Biological Sciences・・・と各地の研究所、殊に組織培養室の在り方をつぶさに眺めてきました。Dr.Puckは留守でしたが、その施設はよくみせてもらい、その電気関係の器械を改装或いは自製しているのには感心しました。Coulter式にcell
suspensionから細滴を作り、それを滴下の途中で荷電させ、さらにその下に電場をおいて落ちるdropletを振り分け、細胞の大きさによって2群の
suspensionに分けているのです。coulterで粒子分布を測ってはじめ(図を呈示)実線のようだったのが点線のようになってしまいます。いろいろなこと、synchronous
Cultureなどにもつかえます。しかしDr.PuckのところではTCそのものには余り力を入れていません。精密なCO2incubatorを作っている位がせめてもです。(pH.meterをつけ放し、温度、
pHのぶれ、などを自働的に記録しています。)
愉快だったのはColorado大学の病理をあちこち案内されている内、或室の机の上に例の私のtwin
tubeを改悪したのがおいてあり、案内役のDr.LaViaがこれはこういう意味のもので・・・と説明しはじめたから、一寸お待ちなさい、これのoriginalは私が1961年にはじめたのだと云ったら若い男が信用せず。それではその会社のカタログを持ってきてごらんなさい、と持ってこさせてみて、私たちの論文(Paraの第1〜第3報)の載っているのを見せてやったら、すっかりシュンとなってしまいました。
大体において西部では、ごく僅かの機械的設備を除く他は、培養そのものに於ては感心する所はありません。Southern
Calif.Univ.の病理のDr.Sherwinが組織片をカミソリで薄切して培養し、映画にとって切片の染色標本と比較していたものが一寸面白かった位です。
Seminarもこれまで5回やり、大分なれてきました。勿論原稿なしにスライドでしゃべって行くのですが、当地にいた藤田君がすっかり感心してくれましたから、御想像下さい。
6609:☆7月8月があっという間に過ぎ去り、来月はICCC、UICC、11月は組織培養学会、12月は癌学会と出歩くことが多くなりそうです。堀川さんのいうように、少し学会が多すぎるかも知れません。能率的にこれらの学会をさばきたいものです。 ☆今号で臨時編集は終りです。月報編集の苦労と楽しさが少し分りました。 ☆来月からは月報は勝田先生あてにお送り下さい。おくれないように。
《巻頭言》
米国と日本人研究者
米国やカナダへ来てみますと、ずい分沢山の日本人研究者が働いています。しかし大部分の場合、彼らはテクニシャンのように扱われています。地方大学の人など、テクニシャンの地位でもOKときている人すらあります。しかし独立した研究者であっても、発表のときにはボスの名前を一緒につけ、或はボスに論文をかいてもらったりするので、どんなに良い仕事をしても、それはボスのアイディアによるものと考えられ、ボスの声価をあげこそすれ、やった日本人の名前など決して知られないのです。ボスにしてみれば、日本人は頭は良いし熱心によく働くし、それに数年たてば帰国してくれるので先々の心配までみてやる必要がない。まことに使い易い相手です。それでは独立したLabを持ったらどうか。少数ながらそういう人もいます。しかしボスとなると頭の痛いのが金集めです。研究費が仲々入ってこないのです。日本とちがってテクニシァンから何から人件費もすべて研究費から出さなくてはなりません。自分の給料までです。こちらではアングロサクソンが一番えばって、次がユダヤ人です。これらが夫々コネをつくって金を分けるのですから、日系が入りこむといっても容易なことではありません。なぜそんな苦労までしてアメリカへ来たがるのでしょう。日本人の研究者をこちらへ留学させる目的をこの辺でしっかり考え直さなくてはならない、と私は沁々感じました。こちらにいると、研究の能率は決してあがりません。純粋にそのことだけ考えるわけには行かず、生活に馴応することや、色々日常のことにわずらわされます。渡米して神経衰弱になる人のあるのも無理ないと思います。日本で仕事を10やれるとすれば、こちらでは5か6でしょう。だから少し専門をやりはじめてごく若い人が何か特殊の技術を身につけるためか(日本だってできなくないと思います)、一応establishした人が視察や意見交換のためにくるか、この二つ位に絞らないと、日本人は利用されるだけになってしまうでしょう。后者にしても語学の試験ぐらいやった方が良いと思います。ニューヨークなどへ来る教授連は唖でツンボで、一緒に写真をとって帰るだけ、という人が多いそうですから。
皆さん、お元気ですか。先月の月報はひどかったですね。来年は班を解散しましょうか。私はきわめて元気で、いまニューヨークにいます。これまで18回セミナーをやってきました。何れも大変好評でした。大いに国威を発揚しています。こちらの培養は大したことなし。日本に習いにくるべきです。
6610:◇ICCCが迫ってくると、やはり何やかやと雑務に追われ、その上飛入りの外人訪問客があったりして本当に閉口します。ではお元気でICCCとUICCで。
《巻頭言》
The Second Decennial Review Conference
of Tissue Culture(Bedford Meetings)に出席して:
10週間に渉るアメリカ・カナダ諸研究所歴訪を了えて、5日前に帰国しました。最后の
1週間はBedfordでの学会でしたが、その前の9週間に計22回の講演をしました。週当り
2.5回位の割です。3種の話題を用意して行きましたガ、帰って計算してみると頂度どれも同じ位の回数話していました。各地に沢山の友人、知人ができたし、研究上にも直接色々の話をきき、意見の交換も充分にできて、本当に有意義な旅行でした。
あちらの研究上のレベルについて、一言でいいますと、組織培養に関する限りでは全く大したことありません。向うがこちらに習いにくるべきです。培養関係の研究室では親玉が女性というところがかなりありましたが、そういうところは研究上のアイディアの点で全く駄目です。但し生化学に於ては仲々優秀なのが沢山いました。生化学者が細胞培養に興味をひかれはじめていることは大変なものです。しかし彼等には腕がありません。そこで日本人を借用という訳で、ずい分あちこちの研究室で日本の培養屋の紹介をたのまれてしまいました。
Bedfordはペンシルバニアの山中にある小さな村で、軽井沢のような避暑地です。そこに仲々大きなホテルがいくつかあって、その一つで学会が開かれました。プログラムも提示しますが、シンポジウム形式で、午前に一つ、午后(或は夜)に一つ、という具合にやりました。
Waymouthのは合成培地での培養ですが、すごくlagがあって死んだ細胞の成分が使われているのではないか、と思われました。Amosのは細胞の分化を維持するのにアミノ酸、ビタミン、ホルモンなどの他に、未知の物質が必要だろう、という話でした。Bellの話は、主に
Chick embryosを使っての実験でlens placodeのoptic
cupの形成に阻害剤やC14uridine
のとり込みなどから、普通のribosomeの他に、蛋白合成をする他の新しいribosomeを見付けたということでした。SuttonはLeighton
tubeにAralditeを入れてそのまま包埋してしまい、60℃から0℃に急に冷やして合成樹脂を剥し、それからブロックを切り出して電顕用の標本を作っていました。Golgiでlysosomeの合成が盛であり細胞膜からlysosome内の
enzymesが外へdischargeされること、2核の細胞には、核の間の細胞質に細胞膜が残っているのが認められたこともあるなどが面白いところでした。Pitotは細胞の色々な酵素活性、殊にtyrosine
transaminaseやserine dehydraseについて、Rueber
H-35を用い、in vivoとin vitroとの比較をしていました。Gartlerは色々な株18種(ヒト由来)についてG6P
dehydrogenaseその他の活性をしらべ、ニグロはstarch-gelで分けるとG6PD(typeA)がslowbandとfast
bandの2本に分れる。つまりtypeAはニグロにだけ見られるもので、HeLaはニグロ由来であるから(+)。ところがChang
liver、Detroit-6、HEp6その他、殊にHeLa樹立以后5年間に作られた株は、しらべた18種すべてにtypeAがあって、HeLaのcontamiらしいと発表し、大変な反論を買いました。EarnesはHistochemistryで細胞の特性をしらべようとし、adult
human tissue、主にbone marrowのprimary cultureを使い、Histchemistryで示せるものとして、Alk.P、AcP.、Est(αNA)、Est(NANA)、β-gluc.(NASBI)、β-gluc.(8-HQ)、AtPase、AminoP.(β-LN)、Dehydrs:SD、LD、B-OHBD、G6PD、GlutD.があるがmacrophage(Monocytes)ではAlk.P.以外は全部存在すること、右図(箒星状)のような細胞にはAlk.P.が(+)、Glycogenはfibroblastsその他色々の細胞にみられるからmarkerにならない、などと主張しました。
WestfallはC3H由来で合成培地で継代している6clonesについて、その自然発癌について報告しました。Grobsteinの仕事はやはりがっちりしていました。Epithelio-Mesenchymal
interactionを培養内でしらべOrganogenetic
interactionのtime courseを追っていました。Abercrombieは相も変らずcontact
inhibitionで、大分皆からやっつけられました。
HerrmannはChick embryo muscle(leg)のcultureで、胎生日齢の進むにつれてin
vitroの増殖は落ちるがDNA当りのmyosin合成量はふえることなどを紹介しました。DeMarsはヒトの細胞、とくにfibroblastsを用い、X染色体の行方を追い、G6P.Dとの関連にふれ、inactiveXもFeulgenでうすく染まり、且replicateされること、静止核のheterochromatinはG2期の細胞だけ見られたことなどを報告しました。Hayflickはspontaneous
transformationの大部分はウィルス感染によるものであると力説し、Sanfordは培地組成を重視、FCSよりHsSの方が細胞が変り易く、embryoではmouse>hamster>ratの順にtransformしやすいと述べました。
6611:◇皆さん、お元気出すが。小生は一向にお元気でなくても困ります。この夏の海外旅行と秋のICCCとのダブルパンチですっかり身体の芯まで疲れてしまったらしく、朝など早く起きれません。休養などとると反って疲れが出て動けなくなると思い、ずっと続けて仕事をしています。◇インドのIndian
Cancer Research CentreのDr.BapatとDr.Bhiseyが当研究室に滞在中で、あちこち見学に行っており、皆さんにも大変御世話になってありがとう御座いました。Dr.Bhiseyは12月1日発の飛行機でボンベイに帰ります。皆さんに呉々もよろしくとのことです。 ◇この秋は本当に学会が多くて、本当にもう学会には飽きましたね。もう御馳走さま、と云いたいところですが、まだ来月には癌学会が残っています。早く平常ダイヤに戻して仕事の能率を上げたいものです。 ◇私の部屋の窓の前で、いま新館建築の工事が進められていますが、基礎の杭打ちだの何だのと、うるさいこと、振動のあること、私の部屋は伝研中で一番被害を受けています。 ◇また来年度の班の申請をする時期になってきました。こういうものを書かされると、過去1年間に何と遅々とした歩みしかしなかったか、沁々反省させられます。早く何とか“機構”の研究まで持って行けるように力を合わせて頑張りましょう。では又、来月の班会議に。
《巻頭言》
国際癌研究組織培養会議(ICCC)を了えて:
皆さんの御協力で我々の学会ICCCも無事に、しかも大成功裡に終ることができました。本当にありがとう御座いました。癌に関する組織培養の国際会議としては、これが世界で初めての企てであり、しかもそれが日本に於て開かれるというので、外国の研究者にもずい分関心をもたれていましたが、参加者すべてが満足してくれるような学会をもつことができたのは、日本人として本当にうれしいことです。会議の運営が本当にスムースに行って参加者に不快感を与えなかったことは、一重に皆さんの御協力によるものです。心配していた討論も、はじめの演題から活発に出ましたし、皆さんが云いたいことは一応みんな云ったような感じでしたし、満腹感を与えたことは事実のようです。欧米人は一般にお世辞がうまいから云ったことをそのまま信用できませんが、関係のない第3者を通しての批評でも、とても良い会だった、と云ってくれていますから、まあ本心と考えて良いでしょう。おめでとう御座いました。
なお、この席上で発表された成果の内、黒木班員の成果が翌日の新聞にセンセーショナルに取扱われていましたが、共同通信・科学部の伊藤氏が各紙に流した記事では、それが班研究の一部であり、他班員の色々な知見の上に立って築き上げられた成果であることを、不充分ながらもほのめかしていましたが、A紙の記事はこのような背景を全く無視して、むしろ培養瓶など触れたことがないと思われるような人の成果として扱っていたのは笑止のいたりでした。いつの世にも、どの世界にも新聞に名の出ることを無上の悦びとするような連中が居るものです。
我々の研究そのものと同じように、こうした会議もやり放しでは何にもなりません。あとにそれが刊行されてこそ、一仕事済んだことになります。これからこの会議の論文の印刷発行の準備にかからなくてはなりませんが、まだ原稿の入らないのもあって、事務的に世話のやけることです。出版は、東大出版会の手で単行書の形式で発行する予定です。書名は“Cancer
Cells in Culture"としようと思っています。ある期間までに原稿の入らない論文はオミットしてしまうつもりで居ります。
6612:◇学会さわぎの年も愈々終ろうとしています。来年は落着いて仕事をしましょう。がっちりと。 ◇当研究部の助教授が決まりました。東大の薬学部出身で、水野傳一教授の教室の助手、安藤俊夫君です。若冠32歳ですが、これまで8年半、RNA代謝を研究してきた男です。3年間ChargaffとGarenの処に留学し、この7月に帰国したばかりです。どうぞよろしくおねがいします。クリスチャンですから私と一緒に呑み歩く心配はなさそうですから、その点は御安心下さい。この部屋の仕事には大変興味を示していますから、良い相棒になると思います。そして今后は薬学系の大学院学生も入ってくることになりましょう。 ◇窓の下で新館の建築が進んでいます。目下地下室の床ができて、それに柱が立ちはじめたところです。はて、いつ入れることになりますやら。ではよい新年を!
6701:◇皆さんにお世話になったインドのDr.C.V.Bapatも1月2日羽田を発って帰国しました。皆さんによろしくとのことでした。 ◇去年はもう目の廻る1年で、論文は一つも書かず、しゃべることだけ31回もしゃべったので、今年は名古屋の総会へも行かず、ひたすら書く年に決めました。落着いて仕事もせっせとやります。◇今月は月報の原稿が仲々こないので心配していましたら、〆切の日までに約半分、翌日位に残りが全部着きましたので、ほっとっしました。
《巻頭言》
月報創刊80号記念号
皆さん、新年おめでとう御座います。1967年!
この年は我々の班にとって非常に記念すべき年になりそうな予感がします。発癌機構というものについて、何か一つの糸口がつかめる年になりそうな兆を感じます。しっかり頑張って悔いのない一年にしましょう。
今月号は我々が研究チームを作って月報を発行しはじめてから80号目です。考えてみると7年近く経ったわけです。その第1号を開いてみると、これは1960-6-17に発行され、
勝田 甫、遠藤浩良、高野宏一、奥村秀夫、高木良三郎、伊藤英太郎の6人でかいています。この号において既に培養内発癌実験の計画が色々と記載され、次の第2号では発癌実験の成果の発表のとき共同の総題名をつけることが決められています。以降の各号をくってみますと本当に感慨無量です。そして質的にぐんぐんと上ってきたことを沁々感じます。我々はよく力を合わせて努力してきたものです。この過去における向上ぶりから推して、今年度はきっと何か生まれるという確信が出てくるのです。
DAB、3'-Me-DAB、なぎさ、そして4NQOと歩んできた跡をふりかえることは、今后の進路を決める上に非常に有効です。そしてそれらの知識を整理しながら前進しなくてはなりません。班員の内で4NQOを最初に培養に用いてみたのは高木班員でしたが、昨年は黒木班員がこれの非常に有望らしいことを見出してくれましたので、今年はなるべく多数の班員によって追試確認や色々の検索、とくに発癌機構の研究への展開など、分担して進めたいものです。またDAB、3'-Me-DABの仕事も、せっかくあそこまで行ったのですから、今年はもう少し括めることを考えるのと、これまた発癌機構の問題にまで結付けられるように努力したいと思います。
では皆さん、今年こそ一層頑張りましょう。
6702:◇冬型の天気で、東京では来る日も来る日も晴天です。去る1月中で雨が降ったのは2回位でしょうか。異常乾燥です。実験小動物には温度や湿度が問題だと云われますが、一年中恒温恒湿という生活、刺戟のない生活が動物にとって果して本当に良いかどうか。そんなに弱いのなら天井うらや床下のネズミはとうに居なくなっている筈ですね。樹木も適当に剪定した方が良い花が咲くとされています。当研究室のラッテ、JAR系はF25〜
26のころ、仲々子供が育たなくなって、この系も中断かと思われましたが、その后なんとかまた続きはじめ、いまF28が四匹生まれています。廊下の隅でも純系はできる(やる気があれば)という証拠の一つです。 ◇本日をもちまして小生は満49才になりました。この年になるともうお目出たいなんて思われなくて、停年まであと11年しかない、一体どの位の仕事がその間にできるだろう、なんて悲しくなるのが落です。しかし何とかその11年の間に癌だけは片附けたいものです。力を合わせてぜひ一刻も早く解決するように努力しましょう。それには1月1月、1日1日を大切にしなくてはならないと痛感します。 ◇窓の向うで新館の建築が進んでいます。我々は2階を占領する予定ですが、もはや2階の天井までコンクリをうち終って、今日は板囲いを外しはじめたところです。4月末までにはほぼ完成の予定ですから、5月6月は引越しで大変だろうと想像しています。地下1階、地上4階で、上から、癌体質学研究部、制癌研究部、癌細胞学研究部と癌関係が入ります。
6703:◇この班会議は久振りに面白い班会議でしたね。今后はときどき顧問の方々の
Reviewみたいなこともお願いするのも良いと思います。次回は5月のTC学会の前日がよいか次の日がよいか、御意見をきかせて下さい。
6704:◇伝研の門のわきの桜もつぼみが開きはじめました。今ごろは名古屋へお出かけの人も多いでしょう。こちらは今年はなるべく出歩かぬことにして、仕事をやっています。◇今月から我々の研究部に新人の助手が入ります。大阪市立大の医学部を卒業し、インターンと国家試験をすませてから、名大の動物の大学院に入り、修士から博士コースに入って、この三月に卒業した、香川努(つとむ)君という人です。名大では発生学を、特に電顕でやってきました。早速五月の班会議から活躍すると思いますが、どうぞよろしく、おねがいします。 ◇昨秋ICCCでも手伝ってくれた教養理3の2年生が二人、春休みにやってきて、安藤君について色々の細胞のDNAの定量など嬉々としてやっています。矢張り若い人がいてくれると、学生さんたちにも良いと、つくづく感じます。 ◇窓の前で新館の建築が進んでいます。4月一杯で完成で、あと手直しが少しあって、5月中旬には引越しでしょう。第7回の班会議は新館で開けると思います。しかし建築とは、何やかやと、実に手のかかるものですね。高岡君は目下“Operation
Hikkoshi”を練っています。
《巻頭言》
新年度の発癌研究の展開法
いよいよ今月から新年度に入ります。ふりかえってみると、1昨年、昨年と、我々はずいぶん良い成果をあげてきました。そして今年度こそ念願の“発癌機構の解明”に入りたいものです。
そのためには、この辺でよほど想を練って、良いアイディアに基いたスマートな方針で研究を進める必要があるでしょう。これまでの問題点を充分に分析して、objection-freeの仕事をしなくてはなりません。
まずいちばん大きな難問として“淘汰か変異か”があります。これを明確にするための方法としては、純系クローンを用いるのと、目の前で正常細胞が癌化するのを把握する(映画などで)のと、いろいろな手が考えられますが、もっと他にもきっと良い方法があるにちがいありません。殊に材料として全胎児のような雑多な混合集団を用いている場合には、Gotlieb-Stematskyらの推測するように、各種の正常細胞の“干渉”によって、不良細胞が混在しているにも拘らず、その増殖と悪性化が抑えられているかも知れない。これは大いに有り得ることであるし、発生学的見地からも、それはそれとして大きなテーマになります。ですから我々としては、たとえ株でもよいから(但し悪性でない)単一種の、しかもなるべく純粋の細胞集団を扱うべきでしょう。
機構ということを考えるのは、そこにやはり変異を前提としているとも云えますが、直接そこを攻めてみるような、分子生物学的手法に近い実験も考えるべきでしょう。しかし人工的変異の場合には、よほどきれいな細胞標識の選定が必要となります。つまりマーカーです。
Hybridizationの仕事にもやはりマーカーが問題になりますし、如何にその効率を高めるかも大切な命題です。
とにかく、これから12カ月、最后の突撃のつもりで頑張りましょう。来春の培養学会のシンポジウムには、我班のメムバーによる“培養内化学発癌”を考えていますので、それも考慮に入れて、お互にしっかり頑張りましょう。
6705:◇次の班会議のお知らせがおそくなってしまって申訳ございません。今回は三宅班員と堀川班員がお世話をして下さって、関西医大における培養学会のあと、大津のビワ湖畔の良いところで開催させて頂くことになりました。前夜から泊りがけで“百酒騒鳴”かも知れませんが、研究協力者の方々もぜひ御参加下さい。詳細は(図を呈示)右の通りです。泊れる人数に制限がありますので、参加、不参加とも堀川班員に至急御連絡下さい。◇5月1日〜3日にかけて岡山の佐藤班員のところへ行ってきました。2日に講演をしたのですが、うちの香川君“何の記念の講演ですか”“記念?ホイなら3日の魚釣のための記念講演ヤ”どうも香川君が入室して以来、関西辨が導入されて変になりつつあります。とまれ、好天に恵まれて5月3日は瀬戸内海で実に気持の良い釣の一日を舟の上ですごしました。何年ぶりかの解放気分でした。もっとも高岡君が魚の上あごの皮一枚にハリをかけてつったりするので、仲々真の解放にはなりませんでしたが。まあ今回は遠目がねを逆に覗く光景はありませんでした。 ◇第6回の班会議の議事録で6月号の月報を作りますが。月末近いので、必ず抄録をそのとき御持参下さい。写真は12枚以上。 ◇新館の建築が週また週とおくれどうも本当に引越せそうなのは6月らしいですが、あまり覗きに行って文句を云うので“ここ当分はペンキ塗りだから来ないでくれ”なんて云われました。しかし行ってみると必ず不備なところが見附かるのですから、建築というものは厭がらせにやっているようなものですね。
《巻頭言》
変異か淘汰か:
最近培養内発癌実験において、発癌剤その他の作用が果して真の変異を起させているのか、それとも初めから混在していた悪性ないし準悪性の細胞を淘汰しているのか、ということが国際レベルで問題にされている。これは非常に重要な問題であり、生体内における発癌の機構にも、胎児では初段階、成体では第2段階の経過として、一応考慮に入れてよい現象である。それにも拘らず実際に研究に従事する者は、その点に虚心坦懐に疑問をおいて実験を組立てようとする者が少く、大部分は、何とか変異させたことを証明しようと、いわば初めから色めがねをかけて実験をおこない、しかもプランを立てている。これでは万一そのような事実が起っているとした場合、その事実を見逃してしまう危険性がある。我々は常に事実に忠実でなくてはならないが、我々のグループでも、一人くらい逆の目を以てこの点を追求してみようとする者が現われてもよいのではあるまいか。
Leo Sachsの仕事がこのごろ相継いで発表されているが、それらに共通していることは、ハムスター胎児の細胞を用いており、対照群がいずれも増殖しなくなってしまうこと、仕事がどれも実にきれいすぎることである。生体内の細胞、特に胎児の体細胞に、たえずどの位にVariantsが生まれているか。これは重要な問題であり、これまでも色々な報告が発表されている。しかし残念なことに、どうもまちまちの結果が記載されており、これなら、と全幅の信頼をおける報告がみられないようである。これは一つには技術的困難さが障害となっていると思われるが、Gotlieb-Stematskyらのようにハムスター胎児組織をexpelantで培養するとmalignantにならないが、細胞一個一個バラバラにしてcoloniesをつくらせるとtransformしたのが出てくる。従って、はじめからmalignantないしsub-malignantの細胞が混在していて、ただ周囲の正常細胞によって増殖が抑えられているにすぎないのだ、という知見が出てくると、これはEmbryonal
developmentの問題とも関与し、あらためて、このNormal
cell group内の解析の重要性が再び浮び上ってくることになる。以前の報告と同レベルでなく、精密な且信頼度の高いデータを出すためには、まず技術的に数レベル上の方法をとらなくてはならないので、今からじっくり考えてみる必要があるのではなかろうか。
6706:◇実に立派な会場での班会議でしたね。とくにおどろいたのはそのサービス振りで、出来る限り目立たず、しかも必要にして充分なサービスをきちんと行届かせた、奥床しいelegantなものでした。まことに学ぶべきものがありました。◇6月2日に九大へ行ってセミナーをやりましたが、その夜高岡君(TC学会の表現によればQueen
of Tissue Cultureと呼ぶべきか)が、高木君御一統のもてなしで遂に飲みすぎてのびるという一幕がありました。この16年間に4度目ぐらいでしょう。稀有なる現象で、翌日高木大先生にブドー糖の静注を受けたことも御報告しておきます。 ◇新館は下水の配管がうまく行かず、いまだに引越にいたりません。皆これまで狭いのに我慢をかさねてきたので、まさに“待ちきれない”といったところです。 ◇伝染病研究所も70余年の歴史をふりきり、廃止となり、6月1日から医科学研究所が“創設"されました。どうぞよろしくおねがいします。なお電話内線は、小生は255、256、培養室は257となりました。
6707:◇雑用に明けくれた1月でした。新館の最后の仕上げ手直しと、最も頭を悩ませていた“OPERATION
HIKKOSHI"。そしてそのあとの整理。しかしとにかく我々は非常に作戦がうまく立ててあったので、毎日予定の150%のスピードで水際立ってスマートな引越をすることができました。もうこの頃は落着いて、仕事を再開しはじめたところです。外は炎天下というのに5mmのガラスを隔てて空調の部屋でこれをかいているのも乙なものです。こんどの班会議のとき建物をお目にかけましょう。 ◇今月号はどういう風の吹きまわしか、頁の中途で終るような報告を送ってきた方が多かったので、御らんのような順送りの変な編集になってしまいました。班会議のときはあとに討論が続きますから中途でやめたかき方でも結構ですが、ふだんのときは出来得る限り頁一杯にかくようにつとめて下さい。雑誌の編集の練習にもなります。 ◇では次の班会議のときを楽しみに・・・。
6708:◇暑いさなかですが皆さんお元気ですか。班の研究費が近々配布されるという通知がきました。おそらく、15、16日頃には皆さんの方へ発送できると思います。入手なさったらすぐそのための別個の銀行預金口座を作って入れて下さい。即日拂出してもかまいませんから、必ず口座は一旦作って下さい。 ◇千葉大の安村君が帰ってきました。相変わらず元気ですが、以前より少し角がとれたようです。口の方も仲々元気です。とりあえず若干の研究費を差上げて班に入って頂きたいと思いますが、如何でしょうか。 ◇8月4日は当室の無菌祭で、関係者約30人の方においで頂き、最后は夜1時半ごろになりました。17年前はじめて第1号の培養を開始した日で、この日は例年、培養者の体内から滅菌する日です。私は例によって12時ごろから寝てしまいました。しかしまあよく呑んだという感じのした日でした。
6709:◇ようやく暑さも去って皆さんも張切り出されたことと思います。今月末の班会議が楽しみです。我々も昼は涼しくて夜家へ帰ると暑くてねられず参りましたが、これでどうやら内外同温でホッとしています。◇Drs.Heidelberger
& Paulを囲んでのmeetingは、小人数だけに、しかもうるさいのを集めただけに、活発に討論も出て良い会でした。夜のパーティになったら“もう英語は沢山だ”という御仁もあらわれましたが・・・。
Dr.Heidelbergerが日本人の顔を一人一人指さしながら、その名前を正確に云い当てて行ったのにはおどろきました。失敗は、日本人の演者の多くが指定時間の2倍近く(或は以上)しゃべったことで、こういうことは外国では通用しませんから呉々も今后は心して下さい。◇千葉大の安村君が帰国され、この9月10日には横浜大の梅田君も帰国されますので、今度の班会議に出て頂こうと思っています。
《巻頭言》
Informal Meeting on Cancer and Tissue Culture:
国際生化学会で来日した米国のProf.C.Heidelbergerと英国のProf.John
Paulを囲んで、在京の関係者および班員の一部で、ごく内輪の小さい会合をひらきました。プログラムと参加者のリストは本号の終末の方に綴込んであります。
Dr.Heidelbergerは、chemical carcinogenesisの場合には、i)真のtransformationであるか、ii)selectionであるか、iii)activation
of latent virusであるか、を区別しなくてはならないと前おきし、それらを明確にするため色々の試みをおこなったことを話しました。Virusの関与を否定するためには、cell
homogenateを色々な細胞の培養(CPの有無)や動物にいれてみるとか、電顕(粒子の有無)、免疫学的検査(高度の抗原性の有無)が必要であるとし、chemical
tumorsでは、或tumor cellsをX線で殺して動物に接種し、多種の生きたtumor
cellsをあとから入れてもrejectされない。12種しらべたがcross
reactivityがなかったことをあげました。(動物の脚に生きたのをうえ、後に脚を取去って別のtumorを入れてみる手も言及しました。)
彼の最近のexp.でmouse prostateのorgan cultureを1w.
1γ/mlのMCAで処理し、cell cultureに移すと1w.でpiled
upしたcoloniesができる。さらに1w.后これをかきあつめて無処理マウスに106コ宛入れるとtumorsができたそうです。全過程5wだとえばっていました。対照は107コ宛、X線処理マウスに入れたがtumorができなかった由です。
Dr.Paulは最近癌の研究所に移り、癌研究のまっただ中に押込まれたが、まだ癌のことは何もやっていないと、分化の話をしました。マウスのbone
marrowのexplant cultureで、erythropoietinを与えるとhemoglobinの産生が、24hr位をピークとしてきわめて促進される事、材料に用いるマウスの胎生期の如何によってこの実験に適不適があること、polyomaで変異させた細胞のm-RNAも正常のとhybridizationでは差がないことを話しました。
6710:◇今月号は月報発行がすっかりおくれてしまいました。仕事に追われ放しで、手が廻らなかったのです。来月号はちゃんと出しますから至急原稿を送ってください。これと折返し位におねがいします。 ◇今年の癌学会では組織培養がずい分沢山報告されていました。質の上ではピンからキリまでですが、培養内の発癌の仕事もずい分良いところまで来たという気がします。今后3〜5年間には相当のところまで伸びられるのではないか、と感じました。第3日のシンポジウムでは生化学者たちが“発癌の系に最適な細胞を細胞屋が作って、沢山にふやし我々に渡せ”なんて虫の良いことを云っていました。あきれた奴らですね。生化学者といえば面白いのは杉村君で、2/3以上のスライドが組織像の写真で、それも堂々としゃべっていたのですから、初めての人はきっと病理屋だと思ったことでしょう。 ◇第9回の班会議は、TC学会の前日にひらきますが、同日午後3時よりTC学会の委員会が開かれる由で、高木、堀川、奥村の三氏がそちらに廻られますので、三氏の報告はそれまでにすませ、以后もなるべく早く切上げるようにしたいと思っています。
6711:◇秋ともなるといやどうも学会ばかりで、全く落着けないですね。少し学会をボイコットする必要があるかも知れません。 ◇小生の高校後輩で、また当研究室の第1号研究生であった大石雄二君が、デンバーからひょっこり帰ってきて、この19日にまた米国に帰ります。12年5月ぶりで、東京の道の混むのには、すっかりおどろいていました。デンバーを訪れる日本人は大抵彼に世話になっているので18日夕のTC学会懇親会には招待したいと思っています。
《巻頭言》
最近不愉快なこと:
最近日本組織培養学会の機構を改変しようとする動きがある。しかしその狙っている点は、簡単に云えば二つに絞られるらしい。その一つは、会員入会資格制限の緩和であり、もう一つは会長をおこうということである。
組織培養学会ができたのは十年以上前のことであるが、そのときの主旨は、ありきたりの学会ではなく、形式よりも内容に主体をおいた会にしたい、ということであった。そして討論、意見の交換に重点をおき、またそれ故にこそ、あまり低いレベルの質問で時間を空費することをおそれ、会員資格に制限をおいたのであった。その后、いつの間にか、会員以外でも出席できるようになり(このこと自体は悪いこととは思わないが)、ついにはその枠も外されようとしている。以前に木村一派が、この学会をありきたりの学会にしようとして大いに運動したことがあった。我々は、形より内容ということで、あくまでたたかい、そして遂に勝つことができた。こんどは第二回目の試練である。研究者の人生の目的は立派な研究成果をあげることである。その努力がいとわしくなったとき、その自信がなくなったとき、人はややもすれば形にすがろうとする。何とか口実を設けて、抜殻だけを見かけの良いようにしようとする。日本の組織培養レベルが国際的にみて立派な成長をとげ、且世界をリードしかけているような現状に到達できたのは、やはりこの“実をとる”方向への努力の成果ではなかろうか。日本の培養研究が高く評価されるのは、会の運営法、制度その他のためではない。あくまで、そこで発表される成果が信頼のおけるものであり、価値ある内容のものであるからである。殻を見かけよくしようとする前に、何故中味を大切にしようとしないのか。会員はなぜもっとエリート意識をもたないのか。なぜ愚昧な輩にまどわされて殻を追おうとするのか。
私はこれまでの日本組織培養学会の歩んだ道は、世界に誇れる立派なものであり、これを改変する必要性は毛頭ないと信じている。改めるべきのは、殻にすがろうとする不逞の輩に踊らされて、研究に専念すべき中堅層の研究者が、下らない機構いじりに心をまどわせ、時間を空費していることであろう。情けない次代のヤツバラである。喝!
6712:◇あわただしい秋が、あっという間にすぎて、師走の風が吹きはじめました。振返ってみると、またもや学会、学会とふり廻されたような秋でした。情けないことです。病理学会などはサボってしまいましたが、何とか、本当に有意義な学会だけに出席して、あとは時間を節約するようにしないと、一生の間、学会に出るために生きているような始末にもなりかねません。 ◇来年度から研究費の配布の審議を二重システムにするということと、あとの報告の検討を厳重にするということをいま学術会議や文部省で検討中なので、来年度の申請の用紙がまだ廻ってきません。それだけに、来たら大あわてで書かなくてはならないと思います。皆さん何とぞ御協力下さい。
《巻頭言》
微生物株センターについての紹介:
学術会議では将来計画委員会が色々の計画を立てて文部省に勧告しているが、そのなかの一つとして、微生物株を保存、供給するセンターを作る計画があり、細胞株もそれに含むということで、勝田が微生物株センター設立準備小委員会の委員の一人に任命された。これは推薦は日本組織培養学会ということになっている。ところでその第1回の会議が11月10日午后に学術会議で行われたが、席上、勝田は微生物株だけでなく、細胞株の保存も本気で加えるつもりならば、〔微生物株・培養株・センター〕とか〔培養生物株センター〕とか両者を兼ねた名称にすべきことを強く主張し、名称の検討については次回(1月末頃)に討議することになった。また阻止この規模についても、微生物関係が6部門、その他が3部門、培養細胞部門が1部門で、しかもその構成が教授級1、助教授級1、助手級2、雇員、技術員3、というのでは細菌よりはるかにgeneration
timeの永い培養細胞の維持供給は不可能であることを強調したが、全般的な雰囲気として、学術会議が、或はその長期研究委員会がどこまで本気でこの案を推進させようとするのか、非常に疑問に感じられた。
6801:◇また新しい年がまわってきました。皆さん、今年もどうぞよろしくおねがいします。しっかりやりましょう。 ◇今夏は国際遺伝学会で、堀川君たちは忙しいでしょう。培養屋が来るようなら、また何か集まりをやりましょう。 ◇千葉大の安村美博氏は当研究部の、横浜市大の梅田誠氏は癌体質学研究部の、夫々非常勤講師として1月1日附で発令になりましたので、今后ともよろしくおねがいします。 ◇例のICCCの単行本はその后ようやくスピードが上り、目下校正の初校が終り、まもなく再校です。2月には発行できるでしょう。いやはや手間のかかる仕事でした。ではまた次号で。
《巻頭言》
癌研究の有効性
癌の研究が大切であるというので、とくに近年ずい分沢山の研究者が癌に手をつけはじめた。まことに結構なことだと云わざるを得ないであろう。しかし研究者自身の側から内省してみるときは、話は大分変ってくる。自分が果して本気で癌を癒す気で研究しているかどうか。道具として癌細胞を使っているだけで、しかもその方が金がとり易いから良い、などという不逞の輩はもちろん論外として、本人は大真面目に癌を研究しているつもりでも、実は研究方向が適当でない、或は非能率的である・・・というような場合が問題である。
新年を迎えて、私がもっとも痛感するのは、停年まであと10年3カ月という限られた歳月を前にして、それを如何に能率良く、有効にすごすことが出来るであろうか、ということである。あなたは癌で、残念ながらあと1年しか生きられません、と云われたとき、その1年間を如何にすごすか考えるのと同じように、その10倍にすぎない10年をいかに最も有効に活用するか、Efficiencyということをつくづく考えざるを得ない。
癌という相手は相当な難物であり個人プレーでは能率を上げ得ないことは当然である。かねてから私が、何人も癌の研究でノーベル賞をもらう気になってはならぬ、と力説しているのも、その点からである。我々は自分の研究計画、研究成果をつねに反省、批判しなければならないが、それでもなお自分だけでは批判しきれないところのあるのは、人間である以上仕方がない。そこにチームとしての研究の長所があり、幾多の面倒をもかえりみずに、研究班を組織し、年に5回も班会議を開いて討議を交わし、毎月、報告を各員に配布している所以でもある。班研究が意味ない、という人は、自らがきちんとして班研究をおこなわないから意味が出てこないのであって、そのような人の班はさっさと解散してしまえば良いのである。
今年こそは我々の班は、すぐれたチーム・ワークの下に、効率の良い研究をおこなって、多くの成果を上げ、第3年度をかざることにしたい。
6802:◇今月は私を除いてわずか3篇しか集まらず、びっくりしました。岡大の佐藤氏からは、間に合わないからの連絡がありましたが。もう少し何とかして下さい。 ◇こんどの班会議は2月15日ですからお忘れなく。16日、17日はシンポジウムです。18日(日)は今井班の班会議で小生はお相手はできません。 ◇先月下旬から研究班の申請書をかくのにうんざりしました。これだけかいて、皆さんどれだけ実績をあげてくれるかと思いながらかくと、思わず悲しくなってきます。しかしまあ何とか仕上げましたが、本当に今年はこの班の最后の年ですから、こんどの班会議ではこの1年間、いかに“まとめ”にかかるかを相談することにもかなり時間をかけたいと思います。 ◇1966秋の我々のICCCの単行本は、発行が少しおくれて3月になります。色々の障害があり、秘書の宗沢君がバドミントンの最中にアキレス腱を切り、私は10年振り位でインフルエンザにかかりかけ、目下消毒中です。では15日にまた!
6803:◇ようやく春めいてきましたね。それにしても2月の班会議のときの雪はひどいものでしたね。 ◇ICCCのmonographも目下第2校が終り、着々と進行しています。アートで400頁位です。乞御期待。
6804:◇一番快適な気候になりましたね。東京では桜の花がぱっと開いた4月2日から4日まで、虎ノ門の教育会館で病理学会が開かれ、三宅班員、佐藤班員も上京されてお逢しました。佐藤班員は脚の重傷も癒えて、こんどは重篤な風邪にあえいでおられました。もっとも少々は呑める位ですから御安心下さい。 ◇最近は大分沢山の班員が4NQOに手をつけるようになって、今月号のように色々な成果が出はじめました。夏までには相当の成果を収めるように努力し、秋の癌学会には当班からぞくぞくと演題が出せるようにしましょう。当班最后のしめくくりですから。 ◇光研社で新型式のケンビ鏡映画用タイマーを作らせたのがようやく出来上って、これからテストするところです。果してどんな結果が出ますか。フィルムのAnalyzerもミカミで試作中です。これはフィルムの分析用に大いに役立つと思います。
《巻頭言》
培養内自然発癌:
月報のNo.6710のP.18に黒木班員が極く簡単に紹介しておられるが、International
Journal of CancerのVol.2,p.143-152,1967に米国のウィスター研究所のDr.L.Diamond
(おばちゃんです)が、ハムスター胎児細胞の培養内自然発癌を報告しています。
2年間にシリアン・ハムスターのprimary cultureを23例おこなったが、その内の1例が(胎生13日の1腹の胎児をプールしたもの)細胞株2株となり、しらべると悪性化していた、というのである。2株はNil-1、Nil-2と呼ばれ、Nil-1の方は35代(TC、18w.)、Nil-2は66〜81代位に悪性化した。2株はTC内での細胞形態は夫々異なっているが、復元すると何れもセンイ肉腫を作った。
ここで重視すべきことは、両株ともSV5やlymphocytic
choriomengitisのウィルス抗原、polyomaウィルスやSV40、Rousウィルス、adenovirus(7、12、18、21、31型)による特異的補体結合抗原をもっていないこと、親株及びこの2株からCPEを示すagentやmycoplasmaが検出されないこと、新しい移植抗原もとくに発見されないこと、をcheckしてあるという記載であろう。
染色体数は両株ともhypodiploidであり且♂の細胞であった。(胎児が全部♂であったか否かは不明。)
この癌化の原因としていろいろのことを考察しているが、その内でも、1)初代培養中にすでに混っていたgenetic
variantから、或は継代后にできたものからふえてきたか、
2)これまで知られていないtransforming virusによるか、3)未知の、不明な物理的或は化学的agentによるものか、この三つが一番可能性が高いとしている。また、全部が♂の細胞だということは、胎児の♂の内の一匹のなかに、in
vivoで変なのがいて、それがselectされた可能性もある、としている。
Spontaneous transformationも、これからは一応はcheckできることはすべてcheckして、“自然”などという非科学的表現は消滅させて行きたいものです。
6805:◇英国CambridgeのStrangeway Research
LaboratoryのDr.Honor B.Fellが5月10日にはじめて来日されます。約1月の滞在の予定なので、5月25日に医科研で、6月1日に京都の培養学会で、講演をして頂くことにしました。Dameといって、男のナイトに相当する位をもらった老女です。動物学会の招待での訪日です。 ◇月報もこの9月号が通計第100号になります。何かよい企画がないか、皆さんもぜひ考えておいて下さい。 ◇研究費の配分法で一般の方は荒れているようですが、癌関係は割にスムースに進行中で、6月中旬までには結果が発表されそうです。今年の癌関係の総額は約3億5千万円のようです。とにかく早く決まってくれないと研究計画が立たなくて困りますね。
《巻頭言》
Cancer Cells in Culture:
1966年10月に我々が開いたInternational Conference
of Tissue Culture in Cancer
Researchに発表された論文の単行書がこのたびようやく発行のはこびになり、5月15日頃にはでき上ります。総頁401頁で3,600円です。東大出版会の発行で、日本組織培養学会、日本癌学会の会員には15%割引をします。初版は1500部印刷しましたが、Gann
Monogrphとはちがい、癌関係からは何の経済的援助もありません。(その代り装釘ははるかに感じが良いですが)。培養関係の本を出して割りが合うかどうか、東大出版会にとっては試金石なので、今后のために、是非この本をなるべく沢山売りたいと思います。こんどの京都の培養学会のとき、その受附でもうりたいと計画していますが、当班の班員もぜひ強力に御援助いただきたいと存じます。班員御自身には1冊献呈しますが、それ以外にぜひ10冊宛位は周囲の方に売っていただきたいと存じます。あの手この手を使ってぜひよろしくおねがいします。大学院学生ぐらいもいちばん適当な目標と思います。
6806:◇京都では、三宅さん、ほんとにどうもありがとうございました。あらためてまたお礼申上げます。◇どうやら今年度の研究班も内定したようで、やはり抗研の佐藤班が通っているらしい様子です。こちらの大型班はダメでした。従って先日の班会議が黒木班員との最后の班会議となりました。しかし彼の親方が少し考え方を変えることがあれば、また一緒にdiscussionをすることのできる日もくることでしょう。お元気で。大いにcompeteし合いましょう。◇Dr.FellはTC学会の名誉会員になったのが大変うれしいようでした。
6807:◇前頁にのせたように、旧班員の黒木君から私あてに挨拶状がきました。これは私だけでなく班員全部の方々によせられたと考えるべきなので、ここにのせました。
◇阪大・陣内外科の高井新一郎君が7月4日夜帰国され、5日に当室に来訪されました。かっての班員で、米国PittsburghのDr.Liebermanの研究室で動物実験で生化学の研究を2年間やってこられました。 ◇旧班員の奥村氏は米国NIHに留学が決まり、8月末か9月上旬に出発の予定です。期間その他の細かいことは未だ決まっていないそうです。 ◇この8月初旬に英国でVirus
vaccineの研究をやっているMiss Hunterという女性がやってきて、当室をbaseにしてあちこち見学して歩きたい由です。9月上旬まで滞在ですが、どうも
“見物"の方が主体かも知れません。各地を遍歴の節は皆さん何とぞよろしくおねがいします。 ◇いよいよ梅雨に入って、うっとうしいことです。各研究室のボスにおすすめしますが、この機会にぜひルームクーラーをおつけ下さい。1年で充分元はとれます。何しろ、女の子にいたるまで、朝あつくならない内にやってきて、夜、そとが涼しくなるまで研究室に残っていますから。では班会議でまた。
《巻頭言》
癌研究のあり方:
現在の癌研究の進み方を見ると、ある目でみれば“着々と進歩している”といえるし、別の目でみれば“いつまでたっても癌は癒らんじゃないか”ということになる。もちろん癌という相手がこれまでの医学の常識をこえた難物で、その本態をつかむことすら並大抵でない、ということもあるが、研究のあり方というものもこの辺で一度考え直してみる必要があるのではなかろうか。
その第一にあげたい点としては、これまでの他の研究分野でみられることであるが、研究成果の厳密な批判のない、ということである。やればやり放し、計画の甘さ、反省力の不足、前に誤った説を報告し、その後それに反した所見を得ても堂々とそれを訂正しない。お互にあまり痛いところは突き合わないようにしよう、等々・・・。このような“ぬるま湯”的な雰囲気を根本から改めない限り、研究者としてのきびしい根性は確立されず、研究の急速な発展ものぞみ得ないのではあるまいか。
かって癌研究班の班長会議で、申請したような成果のあげられなかった班長には制裁を加えよ、と主張したが、容れられなかった。国民の期待により、その税金を使って研究するのであるから、研究の見通しの悪さ、或は努力の不足により、また班の編成法の不適性のため、公言した予定計画の達成されないとき、それに対する罰を受けても仕方がないのではあるまいか。そのような“きびしさ"を研究体制に加えることが、他の科学分野の研究者に対しても“頂門の一針"となるのではないか。とにかく、はじめない内に、その研究計画だけをよんで、お前は300万、お前は1000万と決められる能力のある審査員が、実際の成果をみても、お前の成果は不足だ、お前のは充分だと決定できないというのは、どういう訳であろう。また、審査員の班長ををしている班のほとんどが、他の班より研究費が多いというのはどういう訳であろう。審査の任に当るものは、むしろ公正額以下に遠慮するのが常識ではあるまいか。研究者には、まだまだ自省すべきことが山のように残っているのである。
6808:◇夏もいよいよ盛りとなりましたが、皆さんお元気ですか。7月30日に、ようやく班の確定の通知がありました。500万円です。確定申請をすぐにかいて出しましたので、その写しを月報と同封でお届けします。はじめが全部消耗品の申請でしたので、こんども全部消耗品として申請することにしました。よろしく御了承下さい。とにかく、癌を早く退治しろなんて口には云いながら、やることといったらこのテンポなんですから、あきれるばかりです。実際に研究費の手に入るのは9月中旬でしょうね。それまでに文部省や大蔵省のえらい人たちがぞくぞくと癌になれば面白いでしょう。研究者には超人的な努力を要求しながら、自分のやっていることは平均レベル以下、商事会社ならとっくに首になっているような仕事ぶりで、根本からものを改革するなんて“根性”はまるきり無いのですから厭になってしまいますね。4月から9月まで、どうやって仕事をやれ、というのでしょう。こんな調子だから青医連などにふりまわされることになるのだと思います。 ◇9月号月報、8月31日までに原稿をお忘れなく。
6809:◇とにかく物騒な世の中になったものです。警官をよぶと、それがさわぎの種となるし、しかしのめのめと研究室を占領されては、いろいろな細胞株や、折角作った純系ラッテまで絶えまねないので、我々は目下自衛を講じています。ヘルメット、ハンドマイク、樫の木刀など用意しました。備えあれば憂なし−とは云いますが、暴力団にたいしてはやはり機動隊の助けを借りても良いのではないでしょうか。最后のときには自動車で突込んでやろうと覚悟はしていますが。 ◇HeLaが完全合成培地で継代できるようになりました。まだ増殖率は低いのですが、培地の改良によって次第に上げて行こうと思っています。 ◇高岡女史が食中毒で8月3日から6日まで入院しました。今日はもう呑んでも良いと云われ、うきうきしているところですが、とにかくその間の機能停止ぶりは大変なものでした。お察し下さい。お見舞いはウィスキーにして下さい、とのことです。 ◇奥村君が8月28日羽田発でアメリカに行きました。1年の予定ですが延びるでしょう。NIHDr.Saltzmanの研究室です。
《巻頭言》
癌の班研究に組織培養のグループが初めて加わったのは昭和34年(1959)で、勝田甫(伝研・現医科研)、高野宏一(予研・現在米)、奥村秀夫(東邦大・現予研)の3人が、放射線の班の片隅に入れて頂いて発足したのである。翌35年(1960)にはウィルス・グループと半分宛混成の班となり、上記3名にさらに遠藤浩良(東大・薬学)、高木良三郎(九大・一内)、伊藤英太郎(阪大・二外)の3名が参加した。このとき、班員間の研究連絡を緊密にしようとして考えたのが、1)毎月、研究の中間報告を出し、これを月報として班員間に配ばる。2)年5回の班会議をもつ、の二つで、月報の第1号は1960.6.17発行となっている。巻末の編集后記をみると、〔年3回以上月報を休んだ人は、研究に熱意のないものとして、来年度には班にいれません〕となっている。
月報も班会議も、ともに今日まで励行され、本号の月報にいたって、ついに通計第100号に到達した。ふりかえってみると、この二つの制度を欠かさずに続けるということは非常に大変なことであったが、班員間の知識の交流には実に貢献した。
これだけの経験の上に立って“有益"と判断したので、ぜひ他の班の方々にもおすすめすべく、今号だけは特に他の癌研究班の班長の方々にもお配ばりすることにした次第である。
6810:◇いよいよ癌学会も迫ってきて、みなさん大忙しと思います。生化学は東大で開くことになっていたので、あわてて都内のあちこちの会場を分けて借り、実際的に各種分科会の同時開催のような形になってしまうそうです。その点癌学会は助かりました。仮に会長が雲がくれしたとしても、学会だけは開けますから。(注釈・学園紛争中) ◇東大小児科の古川君(TC学会員)が先日ドイツへ発ちました。TCの仕事ではなく、小児科の病院の由です。 ◇9月20日午后、癌関係の班長会議がありました。こんどの班会議のとき、その議事の報告をいたします。今年も12月と2月にシンポジウムを開くそうです。 ◇東京ではいま国際外科学会をひらいていますが、Type
Culture Collectionの方も国際会議をひらいています。 ◇先日の班長会議のとき、いろいろな株の維持のことから、培養細胞の維持の問題も討論されました。私はその件は吉田班から日本組織培養学会にその検討を依頼することにしてはどうか、と提案しておきました。保存法の検討も大切と思います。
《巻頭言》
今年度研究費について
10月に入ったが未だに今年度の研究費が配当されない。ほのかにもれ聞くところによると、がん以外の一般の研究班の方で、不満を訴えて辞退する者が出たため、再配分に手間どり、それと一緒に扱わねばならぬため癌もおくれているという。なんともひどいものである。10月上旬になろうというから、4月からかぞえると半年以上国家予算を死蔵したことになる。大きな枠内での配分はきまっているのだから、決まっているものからさっさと渡すのが当然である。研究を助成するというのが第一の目的である筈なのに、いたずらに形式にとらわれ、目的の方はなおざりにされてしまうというのはまことに困ったことである。極端にいえば職務怠慢である。
来年度からは年度のはじめに金の渡せるようにしたい、と文部省は云っているが、この調子では“したい”だけに終ってしまって、結局は同じことというのではあるまいか。これだけの間寝かしておいた金は利子だけでも相当な額になると思われるが、そんな利子などはどこでどのように使われるのであろうか。
皆さんも本当に辛い思いをしておられることと、重々お察ししますが、どんぞもうしばらく御辛棒頂きたく存じます。
来年度の班の申請について
発癌機構の研究を主題とした班がこれで3年宛、2回目が終ろうとしている。来年度も勿論申請したいと思うが、似たようなテーマでよいか或はもう少し絞るか、という問題がある。私見としては、悪性細胞の出現ということが、本当のmutation或はtransformationによるものか、それとも薬剤などによってのseleectionであるのか、という点あたりに絞るのはどうかと思っている。こんどの班会議でも相談申上げたいと思うが、それまでにも各人それぞれ考えておいて頂きたい。なお班員の構成については当然若干の変更がおこなわれるべきであろうと信じている。
6811:◇やっとこさで研究費が届いたと思ったら、あっという間にあちこちに支払いで、あとは元のモクアミとは! どうしてこんな変なことになっているんですかね。月給を女房にとられるのと全く似たメカニズムですね。これでまた来年の秋(夏ではありませんぞ!)まで雌伏ということになります。 ◇いつも暮近くになってあわててクリスマスカードを出すので、航空便の高い料金を払わされていましたが、今年ははじめて船便で全部出せるように手配でき、やれやれというところです。皆さんもお忘れなく。 ◇先日、東大でストをやっている全学連の学生を5〜6人呼んで、ここの教授総会でいろいろ話し合ってみましたが、半分ぐらいは無理もないと思うことで、半分位は彼等も自己批判が無い(足りないのではない)という感じでした。しかしいま文学部長をカンズメにしている連中が果してこの連中と同じ程度かどうかは疑わしく、こうなるともはや東大を廃校にして、大学院大学として新しく出発させた方がよいのではないかと思います。
6812:◇これで1968年も終りです。ふりかえってみると、我々の班も今年になってずい分成果を上げたものです。一応これで発癌の系を作り上げたようなものですから、次からは念願の“機構”の解明に入って行けるというものです。 ◇来月号の月報原稿は1月8日〆切とします。2月号は1月31日〆切です。2月の班会議の記事は3月号にします。1月号は年頭所感などでも結構です。 ◇1月1日から医科研の培地名が下記のように変りますので御注意おき下さい。“芝"と“町"が抜け、番地番号も変ります。 ◇さる19日夜の帰途、高速道路で道脇の堤とキスしてしまい、私は高岡君の石頭でアッパーカットをあごに食うし、高岡君はハンドルに顔をぶつけて、右頬がお岩さんみたいです。でも二人とも翌日からちゃんと仕事をしていますから御安心下さい。車の方ですか。これはもう一ぺんにポンコツでした。
6901:◇暮から正月にかけて研究費の申請書をうんうん云いながら書き(その内の甲−4様式のコピーは御手許に届いたことと存じます)、ひきつづいて東大紛争のあおりで、仲々落着いた気分になれません。この間は三派がくるかも知れぬというので、また泊り込みをしました。10日には医科研のスタッフの半分が秩父宮ラクビー場へ出かけ、あとの半数はこちらで防衛の待機をして居りました。方向としてはどうやら良い方向にむかってきたようですが、入試がどうなるのか、休校はどうか・・・など皆目予想がつきません。
◇12月からときどき細菌の動くところや増殖するところを顕微鏡映画にとっています。これはside
workです。どうすれば良いのか、という基本的データがとれましたので、今後必要なとき役にたつことと思います。 ◇日本病理学会の演題申込〆切が1月10日でしたが、うちからは〔培養細胞の増殖に対するリゾチームの影響〕と〔L・P3細胞の染色体〕の二つで、発癌に関するものはありません。 ◇東京も今日あたりから寒くなってきました。晴れわたった空の下を寒い風がヒューヒュー吹いてきます。本格的な冬です。
《巻頭言》
年頭にあたって:
新年を迎え、来年度の研究費の申請書をかきながら痛感したことは、我々の班はこの3年間に実によくやったということである。黒木元班員の4NQOによるハムスター胎児細胞の培養内悪性化の成功からはじまって、佐藤班員の4NQOによるラッテの胎児細胞、胎児肺あるいは肝細胞の悪性化、勝田のラッテ肝細胞の癌化、高木班員のニトロソグアニジンによるラッテセンイ芽細胞の肉腫化とつづき、培養内の発癌の実験系はいまやほとんど確立されかけている。梅田班員も発癌剤処理直后の肝細胞の初期変化の検索に着手し、堀川、安藤、三宅各班員は発癌剤作用機構の研究に入りはじめた。山田班員は独自の領域で、正常細胞と悪性細胞との間に電気泳動像に相違のあることを見出し、今后の癌化過程の研究に重要な武器をつかんだ。藤井班員は正常細胞と腫瘍細胞との間の抗原性の差を検討するための免疫学的手法の基礎をかため、永井班員は癌細胞の毒性代謝物の本態追究が進展しはじめた。吉田班員は染色体の、とくに癌化初期の細胞についても分析をおこない、今後の研究の手がかりを作り、安村班員は実験系のためのクローニングに着手した。
このように我々のチームは、実験系を掴んだこと、チームワークがますます緊密になってきたことから、今後1年間の躍進ぶりは大いに期待できるのではあるまいか。それも我々がこれまで長い間コツコツと地味な、しかも大変な努力をつみかさねてきたからこそ、その上に花が咲きかかってきたのだ、としみじみ感じると共に、今後は一層慎重に研究をおこない、浮かれ足になって梯子をふみ外したりすることのないように、十分気をつけたいものである。
6902:◇おかげさまで東大のさわぎもようやく静まりかけています。どうしてこんなチンピラ共にこれだけのさばらせたか、という原因についての私の個人的な解釈は:1)大学人があまりに自己反省的であった(学生も教官もともに悪いところがあったが、教官だけが反省した)。2)大学人が暴力に対してあまりに恐怖しすぎた(しつけの悪い学生はズボンを脱がせて尻を叩くべきである)。etc、etc。とにかく研究者としては理解のできにくいことが沢山あるようだ。彼等のいうことはもっともと思うところがかなりあるが、それを貫徹するだけの永続的意志力があるかどうか、いろいろ問題のところがある。そして彼等の力をまたずに我々は研究機構を改革すべきであろう。
6903:◇これが旧班の最后の月報です。通計で第106号にあたります。いよいよ今後は“機構"の研究に入って行きましょう。来年度こそ奮起すべき年です。しっかりやりましょう。
6904:◇どこもここも学生さわぎで、落着いて研究できないところも多いでしょうが、やっぱり研究はすててはならないと思います。いよいよ出来なければ、出来るようなところを探して移れば良いのです。 ◇堀川班員が金沢大・薬学部に新設の放射化学教室の教授に決まり、5月1日附で発令の予定です。本当によかったですね。おめでとう。ますます頑張って下さい。 ◇東京では4月になって雪の降ることはよくありますが、今年は4月中旬すぎて降り、みんなをおどろかせました。はて、凶年が吉年か。
《巻頭言》
新班と今年度の研究
今年度は新しい班を申請しているが、今までのところでは認可されるかどうかは判らない。しかし仮に認可されなかったとしても、我々は予定通りの研究をおし進めて行くことに変りはない。それが我々の務めであって、金をもらうためだけに紙上プランを作り、班を結成したのではないからである。今年度から来年度にかけて、研究機関によっては研究にかなりの支障をきたすおそれも考えられる。しかし、それでもなお我々はやり抜かなくてはならないのである。
米国における培養内化学発癌の研究
今年の3月23日〜25日、サンフランシスコで開かれた米国の癌学会では培養内の化学発癌が3篇発表されており、なかでもHeidelbergerの仕事は、細胞1コ1コからのclonesを使っての非常にきれいな仕事であり、大変好評だった由である。
他の2篇は、DiPaolono仕事はLeo Sachsらの追試に近いが、coloniesからclonesを作り、復元している。木下良順さんのは4NQOで悪性化した細胞のLDHやM4isozyme
patternをしらべている。3者はいずれも胎児細胞で、できたのは肉腫である。我々ものんびりしていてはならない。
6905:◇私の研究部の廊下に直通電話がひいてあります。夕方5時半すぎや、日、祭日など交換手のいないときに有効ですから、御利用下さい。番号は443-8126です。 ◇新班が通るかどうかは未だ不明です。 ◇このごろせっせと、貯まってしまった論文をかいています。書きぐせがつくとおっくうでなくなるから不思議です。 ◇培養学会のプログラムをみると、やたらに演題が多すぎて1題が20-10分とは、培養学会の折角の長所が失われてしまうのではないでしょうか。
《巻頭言》
研究論文の書き方:
実に不思議なことであるが、大学の専門過程でも大学院の過程でも、私の知っている限りでは、研究論文のかき方を教えている大学がない。研究室ですら教えないところがかなりあるのではあるまいか。私の経験では、私の部長は教えないどころか読みもせず、仕方がないので他の部長に英文を直してもらいながら、書き方もボツボツ注意してもらった。 良い論文を作る上に最も大事なことは、やはり何と云ってもはじめの実験計画がきちんとしていることである。実験に穴があったり、対照が不足していたりしては問題にならない。実験をはじめる前に周到な検討が必要である。
いよいよ書くとなったら、まず論文全体の構成を考える。雑誌によっても形式が異なるので、投稿予定の雑誌をきめることも同時に必要である。構成リストを作ったら、次に必要とする図、表、写真などを決定し、それをどこにはめ込むか、及びその番号をきめる。雑誌によっては図、表、写真などにかなり色々な要求をつけているところがあるので、投稿規定を詳細にしらべる必要がある。
これは書くことに馴れてきたら必要性が減るが、序文、総括、材料と方法・・・など、夫々の章の書込用紙を1枚作り、そこで書き落してはならぬことを箇条書きに、気のつく度に記入しておく。
文献は、それこそ雑誌によって形式がまるで異なるので、目ざす雑誌中の実例を注意深くしらべておく。そして必要な分をまとめ、それに仮ナンバーをつけておく。これは最後に論文をかき終えたとき、正しい順序に並べ、本番号に直す。
いよいよ書きはじめるときは、材料と方法からかきはじめると気分が楽である。それから、結果、序文と討論、最後に総括をかくようにすると書きやすい。長さはその雑誌の実例による。国際雑誌はあまり長すぎると反って通りにくい。
6906:◇こんな具合に化学発癌がポコポコ出来はじめると、やはり、いわゆる癌ウィルスの抗原がそこに無いかどうかをcheckしておかなくてはならぬという必要性が生じます。その意味でこんど予研から癌ウィルス部長として医科研に移られた下条教授に班友として加わって頂き、Negative
dataの多いことでしょうが、いろいろ御援助頂くように、独断ですが手配いたしました。吉田俊秀氏を含め、班友は2人ということになります。
◇うちのmembersで三浦半島へ魚つりに行きましたら、いろいろな魚がつれたのですが、一番傑作なのは、安藤助教授がカニを釣ったことです。カニを釣るという話はこれまで私は聞いたことがありません。6月1日附で同助教授は当医科研のウィルス研究部の助教授で横すべりします。人事交流の自由な証拠の一つです。ではまた7月5日にお目にかかりましょう。
6907:◇この次の班会議は9月と11月が予定されることになりました。日時場所はあらためて月報でお知らせします。 ◇対癌学会の態勢もようやく整いました。新班の第1回の発表になるわけですから、皆さん、よろしく頑張って下さい。
6908:◇元班員の京大・放基医の土井田幸郎君がまたアメリカへ逃げ出しました。行先はこの前と同じところで、1月末までの予定の由。はて、それまでに騒ぎが収まるかどうか。 ◇医科研は現在の新館と同じ大きさの建物を増築することになり、来週からドンガラドンガラがはじまりますので、頭が痛くなるでしょう。
6909:◇医科研は新館建築のため、私のすぐとなりで頑丈な旧来コンクリ建物のとりこわしで、この所、映画はとれません。◇黒木君は9月7日夜発。
6910:◇学会つづきで10月号の発行がすっかりおそくなってしまって申訳ありません。◇癌学会では色々な連中に噛みついて(高岡君の言によれば)猛犬ぶりを発揮したとのことで、またさぞかし敵がふえることでしょう。しかし人癌の培養の例をとってみても、癌を培養したという証明法を考えておかないで培養したのでは、これまでよりも何も進歩していない訳です。中原さんのTetrahymenaの4NQO処理にしても、単細胞動物では、変異したことは示せても、癌になったことは証明できない訳で、癌研究の材料としては、はなはだ不適当な細胞と云うべきでしょう。 ◇今井班の班会議のため、明朝福岡へ発たねばならず、大急ぎで今これをかいています。それから2週間目には大阪のTC学会と、いやはや秋はかないませんね。では大阪でお目にかかりましょう。
6911:◇何とも訳の分からぬ世の中で、本気で佐藤訪米をやめさせる気なら、蒲田あたりであばれたりしないで、セスナ機でもチャーターし或は奪って、首相のヘリコプターに体当りするか、滑走路の特別機に爆弾を落せば良いのに。これは日米交渉のときの条件を良くするための馴れ合い芝居ではあるまいか。ヘリコプターの音をききながらの寸感。
◇京府大・三宅班員からあずかっていた大学院学生の井上幹茂君が明日京都へ帰ります。1.5年の滞在でした。送別会では彼は涙をこぼしていました。
《巻頭言》
驢馬は世界を制覇すること:
ロバという動物は馬のなかでも小型で愛嬌があるので沢山の人に可愛がられている。馬のなかには奔馬だの、悍馬、駿馬、競走馬などいろいろ用途や性質によって呼び分けられるものがあるが、最も手こずるのは駄馬であろう。しかし実際問題となると、レース場へも驢馬が出場したがり、且したりするので始末に困るわけである。青二才というのも馬の方からきた言葉らしいが、サラブレッド3才駒が首を揃えてスタートを待ちかまえているところへ、のこのことロバに顔を出されるとゲームはおじゃんである。しかもそのロバの世話をして何とか一人前に走らせようとすると大変な手間がかかり、レースらしくしようとすると他の馬までゆっくり走らせるということになる。そこでサラブレッドもロバの歩調に合わせることになり、世界中のレースがロバ・スピードで展開されることになり、見事ロバは世界を制覇したという次第である。
組織培養学会のこと
組織培養学会も創立してから10年以上経ち、そろそろ反省してみる必要の時期にきたと思われる。制度としては創立当時から非常に進歩的で、いまに至っても全学連に難クセをつけられるところはないが、内容的にどうかという問題である。創立当時の30分演説、30分討論という主義を崩したため、下らない内容の発表が多くなって、聞く必要のない演題のふえたことは誰しも否定できないと思われる。いっそのことこの辺で解散するか、或は他に、極めて限定されたメンバーで構成するclosed
systemの同好会形式の会を作ることを考えたら如何であろうか。これにはほとんど金がかからないので、会費は通信費だけ位で済む。来ない人はどんどん退会処分にすればメンバーの過剰になやむことも起らない。会員も一応establishedの人ばかりだから討論も低調にならないで参加者も夫々満足感を味わえるであろう。如何なものでしょうか。
6912:◇すっかり発行がおくれてしまいました。来年度の研究費の申請やら何やらのためで、申訳ありません。 ◇1月号の原稿は1月7日までにおねがいします。例によって新年の抱負でも何でも結構です。 ◇この建物にエレベーターを取附ける予算をもらい、コンクリの壁をこわしはじめましたので、ドスンドスンと、映画の撮影はこのところ休業です。皆さん、充実した新年をお迎え下さい。
7001:◇とうとうやられました。大晦日から熱の出ていたのを、元日の午後に医科研に出かけてこじらせてしまい、その晩から5日まで、完全な寝正月でした。典型的なインフルエンザで、38℃台の熱だけが主症でした。こんなに寝たのは10年振り位ですが、鬼のカクランだとか、人間であるのが判ったとか、影の声はうるさいものです。暮に家内の兄がインフルエンザをこじらせて、肺炎から心疲労のため急逝しましたので、家内も一生懸命サービスしてくれました。 ◇今春は、病理学会も培養学会も大阪ですが、萬国博のあおりで、泊るところが空いていないとの噂も高いので、果して学会がやれるかどうか。
◇永井君は暮の28日に帰国しましたが、目下風邪で休んでいます。香川靖雄君は無事アメリカ着とのことです。
新春を迎えて:
皆さん、おめでとう御座います。1970年と、遂に70年代に突入しましたね。
ふりかえってみますと、この月報の第1号の発行された年が1960で、実に感慨無量です。6月17日発行となっていますから、この5月で満10年経ったことになります。人の出入りこそありましたが、皆で力を合わせてよくここまで歩んできたものです。
物事を仕とげるには10年が単位だ、とよく云われていますが、これまでの10年間での我々の成果の内、最大のものはやはり“培養内での化学発癌実験の系を樹立した”ということでしょう。
今后の10年間に我々がどんな成果をその上に積み上げ得るか、楽しみであるとともに、ますます責任を重く感じなければならないと思います。
歴史的にみても科学の進歩はめざましいもので、Kochが細菌を発見してから未だ100年経っておらず、組織培養法も、それらしいものが形をとってきたのは今世紀の初めです。残生だけであったのが、細胞の増殖をひき起せるようになり、組織片単位でしか培養できなかったのが、細胞単位で扱えるようになり、さらに1コの細胞からの純系培養も可能となり、異なる細胞のF1も作られ、そしてここに細胞を化学発癌剤で確実に変異させられるようになったのである。
殊に過去20年間の培養界の進歩を考えると、今後10年間にどんな躍進がなされるか、想像を絶するものがあるかもしれない。我々としても、たえず前進していなければ取残されてしまう。ましては他をリードして行こうと考えたら、並大抵の努力ではなし得ない。
年頭にあたって皆さんお互いによく覚悟しましょう。
7002:◇この建物の4階の癌体質研究部部長の斎藤教授がニューギニアに“かび”の調査に行ったまま、予定日になっても帰ってこられないので、あの山奥の人喰人種に喰われてしまったのであろう、と目下研究部では専らの噂です。肥っていて見るからに旨そうですし、ロックフェラーの息子が近年喰われたという報道もありますから、かなり真実に近いのではないかと、一同目をこらし、耳をすませているところです。 ◇東京は永いことカラカラ天気で、そのあと気狂い低気圧で少し降ったと思ったら、またカラカラがはじまりました。どうも原爆実験に世界中が支配されてしまったのではないでしょうか。
◇1月31日に長女の息子が生まれましたが、こんなのは決してお目出度くなく、絶対にオジイサンとは呼ばせない、大兄さんとか、親々とか、色々の説が出ているところです。
《巻頭言》
“LYSOSOMES IN BIOLOGY AND PATHOLOGY"
“なぎさ”発癌説、あるいはcell hybridizationなどについて考えると、どうしても関心はlysosome及びその機能に向けられてくる。ふだんは外界から取込まれる異物を分解する酵素をそなえているにもかかわらず、ときには分解せずに、極端な場合には遺伝物質の融合さえも許す。あるいはその分解酵素の作用で、その細胞自体をも自己融解する。この辺の機構がもう少し解明されると、発癌機構の研究にも大いに役立ってくるのは当然である。発癌剤と細胞成分との結合にしても、薬剤が細胞にとり込まれて最初にぶつかる成分がlysosomeであるから、なぜlysosomeが細胞質あるいは核までもの薬剤の侵入を許すのか、生死判定に用いるdye
exclusion testにしても、なぜこういう場合には細胞成分と結合させずに素早く細胞外に追出してしまえるのか、考えると誠に興味のつきない対象である。
7003:◇医科研の新館ももうほとんど出来上りました。やっぱり二つ並んでみると立派に見えます。こんど御鑑賞下さい ◇Texasへ行く準備も徐々ですが進んでいます。Dr.LeoSachsなどと初対面の勝負ですから緊張します。こちらは肝細胞の悪性化というテーマを与えられていますから、いくらか優位の態勢にありますが、この機会に日本のTCグループの活躍をできるだけ紹介したいと願っています。最後の日にHoustonを早く飛び出してNewYork大学でセミナーをやりたいと思っていたら、昨日になって映画の予定表がとどき、その日の午前に私たちの映画を上映ということでおジャンになりました。CanadaのDr.Morganのところからまた招待の口がかかり、急遽予定変更です。Madisonでのセミナーを終えてすぐCanadaへ飛び、またすぐ飛び帰ってアメリカ・コロラドのDenverを経由、SanFranciscoのStanford大学へ行ってセミナーです。この前よりも密度の高い旅行になるかも知れません。胃が無事に保ってくれれば良いですがね。 ◇東京も大分暖くなって春めいてきました。もうすぐ桜のつぼみもふくらんでくることでしょう。 ◇前にきていた英国のお嬢さんから日本語の手紙が届きました。立派な書体で、間ちがいもなく、堂々たるものです。山田君、堀川君、松村君たちは舌でも噛んだら如何なものでしょうか。
7004:◇UICCの提出原稿の〆切が4月15日迄に必着というので、この数週間実に忙しい思いをしました。それで月報の発行がすっかりおくれてしまいました。 ◇当研究部に新しい助手が一人入ります。野瀬君といって、東大薬学の水野研究室で博士過程を今春卒業した男です。今後ともどうぞよろしくおねがいします。
7005:◇Houston行きが迫ってきて、何となくテンヤワンヤしています。よっぽど早目早目と準備したつもりでも、何かしら思いがけないことが起り、おくれを生じます。殊に映画の録音では、こちらの責任ではなく事故が起り、余計な手数がかかってしまいました。◇今年の癌学会も大いに張切って、我班から立派な仕事を沢山出しましょう。6月27日には、抄録の御用意できる方はCopyを作ってきて下さい。 ◇今年は月報の写真は16枚宛用意して下さい。
7006:◇3週間の旅行でやっぱり疲れました。Houstonのあとは、N.Y.へ行きN.Y.大学でDr.Green、Albert
EinsteinでDr.Eagleに初めて逢いました。次にMadisonに行き、McArdle
Lab.で色々な人に話をし、North ChicagoのAbbottという大きな製薬会社の研究所に寄り、Denverに移り(ここは週末で、休養だけ)、CaliforniaのStanford大学ではDr.Hayflickと逢い、最后にハワイで一晩泊ってRentacarを借りて島内をまわり、“オバサン"にサービスしました。Houstonを含め、合計8回しゃべり、講演料550ドルをかせいで来ました。Houstonの一般演題の部と、McArdleのセミナーは録音をとってあります。班会議のとき、前者だけでも御紹介しましょう。
《巻頭言》
第10回UICC国際会議に出席して:
Houstonにあつまった人たちは4000人近いとききましたが、その内日本人は400人に近く、街を歩いていても時々日本語が耳に入る始末でした。しかしそのなかの果して何人がきちんと演説をし、討論もできたかどうか、その辺にかなり問題があると思います。
学問的には、外人はもうすでに読んだことのあるような話ばかりで、すこしも面白くなく、これはまさに「お祭り」である、という一致した結論でした。日本人ばかり生まじめに少しでも新しいことを、と努力していました。
学会の運営はきわめてずさんで“東京のときの方がよっぽど良かった”ともっぱらの評判でした。当研究所の外科の人の発表のときなど、あらかじめ手紙で磁気録音の映写機を用意しておく、といったにも拘らず、用意してなく、大あわてでした。スライドを落したり、逆さに入れたりするのは朝食前です。
シンポジウムの方は、LeoSachsが実に実におしゃべりで、とめどなく一人でしゃべりまくっていました。SachsとHeidelbergerの部屋の仕事は、どちらもきれいすぎるので疑問をもつ人が多く、殊にSachsは、一旦腫瘍性をもった細胞がそれを失なったのを、revertantと称し、大ぜいの人に攻撃されていました。いずこも同じようなものですね。Sanfordの話は4年前にきいたのと全く同じようで、血清の種類により自然発癌率がちがう、という類いでした。Heidelbergerの話は、例のMondalとの連名で出した仕事で、小さなカバーグラスに細胞を1コずつ附着させ、それをMCAで処理すると、高率に癌化するというのが主体でした。黒木君のは日本にいた時の仕事で、皆さんもよく御承知のところです。小生はDAB系の仕事から4NQOにいたる班のこれまでの仕事をまとめて、紹介しましたが、上皮性の細胞を悪性化させたという点で注目され、司会者のDr.Geyも特にその点を強調して紹介してくれました。
7007:◇暑くなってきましたね。しかし頑張りましょう。8月号用の原稿は8月5日までにおねがいします。
7008:◇研究費が9月10日ごろ届くだろうというニュースがたった今入りました。例によって若干のおくれがあると思いますが、一応その位だろうということは御承知おき下さい。届き次第に各班員の皆さんにお送り申し上げますから、そのとき同封する注意書きに従って落度のないように処理して下さい。◇黒木君から最近手紙がきて、仕事が仲々うまく行かぬとこぼしていました。例のMondal
& Heidelbergerの仕事やChenの仕事の追試が少しもうまく行かず、自分で作った株でtransformationがうまく行ったと思ったら、3週后にはそれもspontaneous
transformationをおこしてしまって、がっかりとのことです。我々のグループは主にラッテを使っているので、その点の心配はずっとすくないことは有難いですね。彼は2年以上居ようと思っていたが、これではwaste
of timeだから早く帰ろうかとも考えはじめたと書いていました。 ◇イタリーのPadova大学から恒例の科学教育映画祭への参加勧誘状がまわってきましたので、Houstonへ持って行った映画を出してみようかな、と目下考えて準備しています。 ◇東京も暑さは峠を越えかけています。光化学スモッグの警報を出すことにしたと云いますが、そんなものを出されても我々は何をしたら良いのか、肝腎のところを教えてくれませんね。 ◇2年前の夏にきたことのある英国のお嬢さん、Miss
Frances Hunter(Ph.D)がまた先日やってきました。当研究部をbaseにしてあちこち歩いています。想不変かわいい人です。どなたか名のり出るbachelorはいませんか。とても日本びいきです。
《巻頭言》
癌化機構の研究の将来
培養内の化学発癌の実験系は一応は整ってきて、これを横に展開することは容易になった。しかし、前回の班会議で話したように、我々としては次の段階的進捗を図らねばならない地点に到達している。この我々の頭上にそびえている難関にむかって、どうすれば、水平ではなく、垂直方向に進み得るか、である。この際、想を深くこらし、できるだけ有効な途をかぎ分けて歩かなくてはならない。
この問題を大きく分類すると、まず根底としては、なぜ癌ができて、結果としてなぜ人間が死ななければならないか、であるが、第1段階の問題としては、どのような機序で変異細胞が生体内に生じ(その大部分は生体の綜合的抵抗によりselect
outされてしまうと考えられるが、実証はない)、残生し、増殖をはじめるか、である。第2段階としては、なぜその癌細胞が生体内で増殖をつづけることができ、或は転移巣までも形成できるか、である。第3段階は、癌ができることによって、なぜ患者が死ぬか、である。
これらの段階の問題は、さらに細分して分析的に考えなくてはならない。しかしいずれの場合にも、生体との相互関係をたえず念頭におきながら思考することが必要である。たとえば変異の時期だけでも、どんな機構で変異するのか、selecting
outの現象が実際にあるのかどうか(あるとすればその機構は?)。癌としてdormantなものがどうして活動をはじめるようになるのか。dormant状態の時期があるとすれば、なぜその時期において宿主は変異細胞を始末してしまえないのか。どんな原因で増殖を開始するのか・・等々である。
培養内で上皮性細胞、癌、を作ったという点で日本は世界をリードしている。このリードをうばわれないために、我々はさらにさらに努力を続ける必要がある。
7009:◇やっとのことで研究費がきました。皆さんさぞお待ちかねだったでしょう。例によって、その内、業績のあがり方に応じて班長手元金のなかから第2次配分をいたしますから、大いに張切って仕事をやって下さい。 ◇黒木君から先日便りがあり、ウィスコンシン大学もしだいに学内が騒然としてきて、この間はキャンバス内にある陸軍の数理研究所にダイナマイトが仕掛けられ、隣接の建物をふくめ、約600万ドルの損害だそうです。その上、また別にも仕掛けたぞ、との電話があり、やはりアメリカの学生は日本のよりも規模がちがうと思います。何しろ警官の方でもすぐに射殺してしまうのですから。
7010:◇いよいよ学会シーズンに入りましたが、皆さん如何お過しですか。今年は東京の天気も不順で、いやな毎日を送っています。 ◇このところ鬱病にかかって“とても癌などは、なおせないようだ”とぼやいています。誰が癒してくれる人はありませんか。
◇上に書きませんでしたが、班会議の最后にアメリカから帰朝された奥村氏にpm4.35より5.10まで体験談をお話して頂きました。班会議はpm5.10閉会でした。
7011:◇Dr.J.Leightonがその内あちこち廻って歩くと思いますからよろしくおねがいします。日本食とくにスシが大好きです。
7012:◇会計報告をこの前おねがいしましたように、1月末日までにぜひ送って下さい。訂正を要する報告も例年かなり見られますので。 ◇先日、当研究部の忘年会として、皆で箱根へ行ってきました。行った日はすごく風の強い日で、駒ケ岳の頂上にのぼったら、Dr.Leightonがすっとばされそうになり、奥さんに手をひっぱられて救かりました。しかしその翌日は無風の日本晴で富士山のきれいな姿を充分たのしみました。 ◇このときは同行、車8台でしたが、内1台がいきなり横から飛出した車にぶつけられ、ドアを大破しました。三重県からきたという自衛隊員の自家用車でしたが、女2人を同乗させ、口論していたため、頭にきたのだそうです。“女を2人のせたりするから当然の結果だ”と笑い合いましたが。 ◇1971年度はすでに班研究の申請を終了しましたが、1972年度については、このごろ小生少し考えているところです。当班も大分永く続きましたし、班を二つに分けて、例えば堀川氏に発癌関係をやる班を持ってもらい、私は正常腫瘍細胞間の相互作用の研究班を作るということも考えています。
7101:◇今冬は暮から正月にかけ、母と一家で南伊豆をまわり、母にとてもよろこばれました。しかしマイカー族のすごいラッシュで運転する方はクタクタになりました。バリバリ音をたてながら海岸線を突走る車も多かったのですが、同時に事故も多く、いたるところで車が裏返しになったりしていました。我々も仕事の上であまり暴走しないように気をつけましょう。 ◇この新春は当研究室では人の入れかわりが大分あります。名大からの留学生・横田君は帰り、こんどは東医大から新人がきます。有能なtechnicianだった新田君も大学の卒業準備のため1月一杯でやめるため、いま代りを探しているところです。てんやわんやというところです。
《巻頭言》
新年おめでとうございます
我々の班もこの4月から3年目になり最后の年を迎えるわけです。したがって班としてのしめくくりにそろそろ入らなければならぬ時期になりました。
その次の編成をどのようにし、何をねらうか、はいずれ班会議で討議するにして、いかに今次の班研究をしめくくるか、を考えなくてはならないわけです。
たとえば発癌剤処理後、なぜ一定期間以上培養しないと動物にtakeされるようにならないのか(細胞数の問題か、悪性度の段階的進行か)。変異した系でもなぜtakeされないものがあるのか(抗原性の強度と細胞膜、接種部位などの問題)。さらにDNAの切断と発癌とにどの程度の相関性があるのか(生化学関係の班員は復元実験をしていないので、その修復につながるものであるかどうか判らない。DNAの切断後、その修復に際して果して本当に“mis-repairing"が起るものかどうか。DNA以外の因子が発癌に関連していることを検討しなくて良いかどうか・・・等々)。
要するに我々は細胞生物学の研究をしているのではなくて、癌の研究をしているのであり、何とかして一日も早く癌を治療を可能にし、或は癌の発生を予防できるようにしなくてはならない。したがって細胞生物学的な手技で研究していても、たえずその奥の壁に癌の映像を意識しながら研究を進めることがきわめて大切であると信じます。
我々は研究費が欲しいから班を作っているのではない。癌を制圧するために共同研究をしたいから班を編成しているわけです。
その意味で、これから如何になすべきか、各班員ともよく沈思黙考して頂きたいと思います。
7102:◇どうも今回の班会議は欠席してしまって申訳ありませんでした。39℃〜40℃の熱がしばらく続いたあと、38℃台、37℃台としだいに下り、2月17日午后やっと退院し、家から通っていますが、まだ少し不安定で、少し忙しいと37℃台に戻ります。まあ当分はゆっくり出てきて早く帰る生活をするつもりです。入院中は、しゃくだから入っている内に論文を一つ仕上げてやれと思ったのですが、3割位残ってしまい、いざ出てみると他の雑事が押寄せ、まだ仕上らない始末です。それに今週中に医学会総会の癌学会の部の展示パネルのレイアウトも済まさなくてはなりません。
7103:◇医学会総会の展示パネルには、いやはや恐れ入りました。癌学会では“自然及び化学物質による発癌”をテーマに絞り、私は上皮性細胞のTC内癌化のパネルの作製と、且全体のレイアウトを依頼されていたのですが、各パネルの係が、てんでんばらばらの案で、しかもひどいのは、学会の展示とまちがえて、自分のデータしか出さないという人もある始末で、一々の人にあたって交渉し、或は上京して頂いたりして、ようやく3月9日にレイアウトだけは出来上ったのですが、まだ写真や図表の方が揃い切らず、これからも余波が続きそうで、とても病後静養など出来たものではありません。 ◇病気の方はお陰様で全身症状も良くなり、客観的所見としては、血沈と白血球数がまだ下らないだけです。 《巻頭言》
癌研究について−きわめて随筆的に−
世のなかに、癌の研究をしていると自称する人は多いが、その内果して何%くらいの人が癌の研究を本当にしているのだろうか。癌の細胞を道具にして、且それを口実にして研究費をかせぎ、なかば公然と“癌なんて看板だけだよ”とうそぶいている人がほとんどではあるまいか。そして、そのような人にかぎって、自分の家族が癌になったりすると“癌の研究者はいったい何をぐずぐずしているんだ”と云いたがるのである。真の意味で自分も癌研究の重要な一端を担っているのだという自覚がないのである。
考えてみれば、臨床家は気の毒である。目の前に患者をかかえて、何とか可能な限りの最善の手をつくしてやらなければならないのである。駄目と判っていてもあきらめる訳には行かない。基礎の研究者は、その苦衷をよく察し、且自分自身の苦悩としてもっと感ずることが必要なのではあるまいか。ここに純粋な基礎的癌研究のほかに、基礎と臨床とのさらに進んだ歩み寄り、或は共同研究といったような、別の研究進展方向も、焦眉の問題として考慮に入れ、実行して行くべきではなかろうか。基礎の各領域のなかでは、病理学が色々の問題の提起者となっているが、それと同様に我々はもっと臨床家に癌の、及び癌患者の問題点について、その提起を求めるべきではあるまいか。
癌の研究費の使い方、或は配分法についても、この辺でもう一回じっくり考え直してみる必要があるのではなかろうか。日本の癌研究の特徴として、班研究活動がまずあげられるが、それならばそれで、何故もっと徹底した班研究を奨励しないのであろうか。およそ存在価値を認め難いような研究班の多いことは残念の極みで、我々自身もこの辺で充分に反省する必要があると思う。
7104:◇三宅班員が健康上の理由から班をやめさせてもらいたいとの御希望ですので、4月からそのように取計らいます。その代り黒木登志夫君を4月から班員に入れたいと思いますのでよろしくおねがいします。
《巻頭言》
第18回医学会総会を了えて
4月5日より7日にかけ、東京で例のお祭りさわぎが行われた。今年は会費がきわめて高くなったので、基礎はあまり出席せず、話はどうしても低い次元でしかできなかった。
我々のもっとも縁の深いシンポジウムは“細胞のtransformationと癌化"で、司会は釜洞醇太郎教授であった。演題は次の通りである。
DABによるtransformation 佐藤 二郎
4NQOによる培養細胞のtransformation 佐藤 春朗
化学物質による細胞のin vitro悪性化 山本 敏行
RNAウィルスによるtransformation 山本 正
DNAウィルスによるtransformation 内田清二郎
2番と3番の間に追加討論として、角永君が4NQOの仕事を一人前以上にしゃべった。
内容はあまり新しい話ではなく、きわめて啓蒙的であったが、きわめて印象的なのは、病理関係と微生物関係との間で“transformation"という語に対する解釈が全く相異していることであった。すなわり。ウィルス屋は、transformation=malignant
transformationと考え切っているのである。これは前夜の予行演習で判ってお互にびっくりしたとのことであるが、そのまま席上まで持ち越され、結局パネル討論もなしに、統一のないバラバラの話で終ってしまった。司会者が“自分は編成が決ってから押付けられたのだから”と投出してしまっているのだから、話にならないわけである。次にまたお話しにならないのは、聴衆からの質問や討論がさっばい無いことである。(仕方ないから私ひとりで頑張ったが)。つまり聴衆のレベルが非常に低いことを意味している。
終って考えてみると、このような3万人もあつめ、東京中の会場や宿を全部占領してのお祭りさわぎが、果してどれだけ医学に貢献するものであろうか、何かもっと別の方法の方が、適しているのではあるまいか、ということになる。
7105:◇班長の独断ですが、杉村隆教授の門下の佐藤茂秋君を班友として迎えたいと思います。同君は昭和40年東大医学部卒で、現在aldolaseとhexokineseのisozymeの分析をやって居られます。癌細胞の像について仲々面白いことを見出しているので、今後発癌過程の細胞の変化をしらべて頂くことになるでしょう。次の班会議のとき御紹介します。
◇Dr.Joseph Leightonの旅先からときどき便りが届きます。パリでは日本人旅行者が多いのでびっくりしたそうです。 ◇東京は桜が終って、いまツツジのシーズンです。医科研のキャンバスでも実にきれいに咲き乱れています。 ◇花が咲くのが美しいというのは我々の自分勝手な考えで、何も人間に美しく見られたいために咲いているのではない、ということを忘れては困りますね。細胞も同じことで、その気持が判らなければ何をやっているのやら判らなくなってしまう訳です。“細胞よ、何処へ。”
7106:◇今春のTC学会に出席しなかったら、やっぱり落着いて仕事がはかどり、実にうまい具合で、やっぱり学会なんか多すぎるのは良くないことだと痛感しました。 ◇山田班員が英国から絵はがきをよこし、Londonの学会も終って、これから本業の絵描になるような様子です。
7107:◇どうもこの号の班会議はあまり議論が盛り上らず、面白くなかったですね。少し夏ぼけというところかな。 ◇班のシリーズの第13報が(安藤、加藤、高岡、勝田)、International
Journal of Cancer,vol.7(No.3),P.455-467,1971に出ました。L・P3及び
JTC-25・P3細胞のDNAへの4NQOの結合の論文です。いまもinositol要求に関する論文をかいていますが、皆せっせと書きましょう。
7108:◇東京はいま猛暑のさかりです。◇朝の出勤でも、車から降りると汗がダーッと流れます。皆さんお元気ですか。もうちょっとすれば涼しくなりますから我慢しましょう。◇今年はどうした訳か文部省から研究費が例年より早く届いてびっくりしました。例年といっても昔は6月末までには来ていたのですから、このごろの怠慢ぶりが少しは改善されてきたというだけのことでしょうが。 ◇黒木班員が9月4日羽田着で帰国するそうです。彼のことですから色々と帰国談も面白いことと期待しています。9月の班会議がたのしみですね。 ◇11月の組織培養学会を担当する梅田班員からシンポジウムの内の一つの司会をたのまれました。目下演者を考えていますが、化学発癌に関するものです。 ◇この秋は、財団法人“高松宮妃癌研究基金”が東京で国際シンポジウムをひらきます。そのなかの培養内化学発癌のsessionのspeakerに私がえらばれました。主として前に班会議で提議した“悪性化のparametersへの疑義”について話したいと思っています。
《巻頭言》
Dr.Hans Lettre逝去さる
我々が1966年に東京で“International Conference
of Tissue Culture in Cancer
Research"を開催したとき、御夫妻でドイツから出席されたDr.Hans
Lettre。その奥さんから数日前黒枠の葉書が届き、去る7月27日に御夫君が急に狭心症で歿くなられたとのことです。Dr.はGottingen大学を1932年に卒業され、化学、生化学、微生物学を専攻されたPh.D.で、Heidelberg大学の教授であり、Heidelbergにある実験癌研究所の所長でした。行年63才。ドイツでの癌のボスでした。
まことに惜しいことをしました。早速、日本組織培養学会の名と私個人からとで弔電を打っておきました。
心から追悼いたしましょう。
ドイツは日本とちがって、ボスが死ぬと研究所は解散してしまいますので、奥さんをはじめ、残された人たちは路頭に迷うことになります。きびしいものです。
7109:◇この4月の午后黒木君がやっと帰ってきました。18日の班会議には出席できますから、久方ぶりで御歓談下さい。おそらく9月10日附で医科研に移ることになるでしょう。オバサンはもう嬉しくてワクワクしています。やっぱり若い人の方が良いらしいですね。アメリカにおける最近のTC内発癌の研究状況をこれからよく説明してもらいましょう。これを書いていたらオバサンが覗き見て私の右のホッペタをつねりました。癌になるかも知れません。 ◇18日には山田班員がマグロのトロ提供の予定。
《巻頭言》
癌はどうしたら癒せるか?
佐々木研の人たちを中心として癌の多様性が見出され、制癌剤は、今日の段階では、癌細胞集団のすべてを殺すことは不可能ということが明らかにされてきている。汎方向性をもった画期的な薬剤でない限り、この方向でのアプローチは絶望的ではあるまいか。とくに癌細胞の正常細胞とは異なる決定的な特性が未だ掴まれていない今日、非常に困難な途である。もちろん我々はその特性の解明には努力を続けなければならないが。
放射線などによる治療は、周囲の正常組織を障害することが必至であるし、場合によっては反って癌化させている可能性もある。
残る途として今日考え得ることは“今日の段階では”免疫しかない。宿主の抵抗力にたよる他はないようである。これははなはだ無力な発言のようにひびくかも知れない。しかしこれまで克服されてきた病気のほとんどは、医者が癒したのではなく、患者自身の抵抗力によって治癒したものということができる。但し、免疫といっても、これまでの癌免疫屋のような考え方、研究の進め方では、何百年経っても癌は癒せないであろう。もっと全然別個の観点に立って、考想をこらした研究でなくてはなるまい。
7110:◇山田班員御手料理のまぐろのえらの刺身は美味かったですね。腕前も見事で一同感嘆しました。どうもありがとう御座いました。 ◇いよいよ癌学会が迫ってきましたね。最後の追込みに皆さん入っておいでと思います。しっかりやりましょう。それにしても癌学会の報告にTCのふえたのはおどろくべきものですね。去年よりももっと多くなっているでしょう。アメリカ式に数だけは増えて行くのでは困りますがね。
7111:◇12月号の原稿をお忘れなく11月30日迄に必着でお送りください。
◇11月16〜
18日と高松宮妃基金の国際癌シンポジウムが東京で開催され、当班の関係者では、勝田、黒木、梅田、安藤などの諸班員が出席しました。 ◇東京も寒くなってきました。医科研の庭もきれいな紅葉が目を楽しませてくれます。沖縄問題に関して色々とさわがしい時節ですが、自然はどうしてこんなにきれいなのでしょうか。
7112:◇1月号の原稿は1月7日までに到着するように送って下さい。新年の抱負も書いて下さい。 ◇歳末が迫って東京もゴタゴタ混雑して困っています。 ◇ニトロソ化合物がすっかりジャーナリズムにさわがれ、一般の人はこれで癌の原因が全部判ってしまったと思っているようですね。
7201:◇皆さん、新年おめでとう御座います。今年も大いに張切ってやりましょう。 ◇暮近くから雑務が減ったので、たまっていた論文を次々と書いています。論文といえば、Univ.ColoradoのProf.Prescottから先日高岡君のところへ手紙がきて、貴女のExptl.CellResにかいた合成培地の仕事は面白いから私の編集している“Methods
in Cell Physiology,Vol.VI"にもかいてくれ、とのこと。彼女は目を白黒しているところです。
《巻頭言》
1972年を迎えて:
いよいよ新しい年に入りましたね。この班もこの3月までで解散ですが、我々の研究は今後もたえまなく続けられることでしょう。
振返ってみると、当班も最近ようやく次のステップの目途がついてきたようです。最近、あるいはこれから我々が進もうとしているところを概別してみると、
I. 細胞に対する化学発癌剤の機作
これには、細胞内の化学発癌剤の代謝と発癌剤の作用機作、その他が含まれ、一コの変異細胞の出現の過程を追うわけである。しかし“兎を追って山を見ず”では困る次第で、たえず自分のとらえた現象が癌化と如何なる関連があるかということを反省していなければならない。
.変異細胞が変異細胞集団となるまでの過程
培養環境や他の細胞による淘汰もからむ。軟寒天や細胞電気泳動法もその解明に有効ではあるが、さらにもっといろいろの解析法も考えてみる必要がある。我々の検索法のほとんどが、細胞を集団として材料に用いている以上、ここも大事な過程である。しかしここでもやはり、生体内における癌の増殖と転移などの過程も頭にとどめていることが必要である。 .復元接種後の変異細胞と宿主との相互作用
復元接種された変異細胞が、なぜ或時はそのまま直ちに増殖を開始し、ある場合は消えてしまうのか。また増えてくる場合も、しばらくの期間姿をかくしてしまったように見え、数カ月に突然増殖が急速になるのは何故か。これは変異細胞自身の特性の相違とさらに宿主との相互作用の問題のからんでいることは当然で、classicでない免疫学的検索も勿論導入されなくてはならない。
以上のようにきわめて大まかに問題点を整理してみましたが、これは新春にあたっての、いわば“頭の体操"のようなものです。皆さんも一つ試みられては如何ですか。
7202:◇先日のがん研究班々長会議で、文部省の原氏が、今年は3月中に研究費の審査を終えて、6月には実際に研究費が皆の手元に渡るようにしたい、と云って居られました。しかし四次防のさわぎなどで国会審議がおくれていますので、どういうことになるか、皆目判りませんね。毎度のことですから。 ◇岡大癌研の難波君がいよいよ今月の22日にDr.Hayflickの処に向けて出発することになりました。しっかりやってもらいたいと思いますが、班としてはやはり一寸淋しいですね。 ◇日本人と結婚したスエーデンの夫人がtechnicianとしてどこかで働きたいという申出があり、目下考慮中です。(予算の面からです。)日本語がしゃべれないので仲々仕事場が見附からないようです。
7203:◇3年間の当班の研究も終って、振返ってみると色々のことがありましたね。月報もこの号で第142号になりました。各班員夫々活躍して下さって有難うございました。◇この年に入ってから色々の事件がありましたね。オリンピック、ニクソンの訪中、軽井沢攻防戦、それに東京附近では震度4のちょっとした地震まで附録について皆をびっくりさせました。ついで来年度はびっくりするような研究費でもついてくれないものですかね。◇英国マンチェスターにあるPaterson
Laboratoriesで今年の10月上旬に“Carcinogenesis
in vitro"というclosed symposiumをやるから出席しないかと所長のDr.Lajthaから招待状がきました。全部で30人位で、MadisonのDr.Heidelbergerも参加者リストに入っています。梅田班員も秋3カ月ほど同じ研究所に滞在しますので出席することになっています。私には欧州ははじめてなのであちこち廻ってみたくもありますが、そのあとに癌学会、TC学会とつづきますので、あわてて帰ってこなくてはなりません。
7204:◇今年は暖冬だった為か、医科研の桜は3月の内にもう咲きはじめました。
◇先日昼食のとき“高松宮妃はとてもお若く見えて、私と同じ年頃かと思ったら、60才位なんですってね"と高岡君が云ったら、すかざず黒木君が“向うもそう云っているんぢゃないですか。"あとのさわぎは御想像にまかせます。 ◇16mmフルム自動現像機は快調に働いています。班員の方なら現像してあげますよ。(但し実費1000円/100フィート)。
《巻頭言》
実績報告書−2(研究報告書)について
昭和46年度の報告書から記載形式が少し変りました。当分はその形式が続くと思われますので、班としてもそれに合った方式を採りたいと思います。
報告書には、まず申請のときに記入した「研究目的」をかき、次に「研究計画」を箇条書に示します。報告は、その各箇条について各班員の成果を列記する訳です。従って申請書に記入する研究計画は報告書をかくとき書き易いものでなければなりません。昭和47年度用の申請書には次のように記載しました。若し都合の悪い点がありましたら、確定申請書を出すときに改めますから御申出下さい。そして昭和47年度の各班員から班長に送られる研究報告書は、その各箇条に分けて書いて頂きたいと思います。46年度では分けるのに大分手間どりましたから。
〔研究の目的〕
正常細胞や非腫瘍性株細胞を組織培養し、これを化学発癌剤で処理後、癌化にいたるまでの細胞の特性の変化を各種の面から併行的に追究し、細胞の癌化機構の解明に努める。 特に今後は発癌剤と細胞の各種成分との結合の特異性及びその発癌における意義の解析にも重点をおく。
〔昭和47年度の研究計画・方法〕
1.化学発癌剤は4NQOとその誘導体及びニトロソグアニジンその他を中心とし、細胞はラッテ、ハムスターなどの細胞を主として用いる。
2.培養を発癌剤で短時間処理し、以後細胞の動的形態変化を顕微鏡映画撮影により連続的に追いながら、隔時的に培養の一部を資料として、形態的、生化学的、免疫学的検索、染色体構成および細胞電気泳動度の分析、動物への復元接種試験に供し、癌化と細胞特性の変化との関連を多面的綜合的に併行して検索する。これは多数班員による共同研究であり、すでに進行中のものである。これらの綜合的データを集約し、或は統計学的に処理するため〔マイクロコンピューター〕が使用される。
3.精密な発癌実験には細胞をクローン化して分析し、或はクローン化された系を癌化に用いる必要がある。〔炭酸ガスフラン器〕はこの目的に用いられる。
4.旅費は、当グループが永年励行している年5回の班会議の旅費である。
以上の通りですが、これは昨秋に書かれたもので、確定申請のときはNo.7201の巻頭に記したような研究計画も少し書き加えたいと思います。確定申請書のコピーはその時お手許にお届けします。
7205:◇ストライキの影響はいかがでしたか。地方の方はあまり苦労はなかったと思いますが。東京はマイカーの洪水で、大震災などが起ったらこんなことになるのでは、とぞっとさせられました。秘書の宗沢君などは医科研にたどり着くのに3時間半以上もかかった始末です。 ◇いよいよ今年から新班が認可になり、また新しく3年間続けることになりました。皆さん、どうぞよろしく、しっかり頑張って下さい。
7206:◇今日は5月31日、堀川君がアメリカから帰ってくる予定の日です。当分は時差で使い物にならんことでしょう。 ◇医科研の庭は、この間までは“つつじ"いまは“さつき”の真盛りです。もうすぐ梅雨と、暑い夏がやってくるのですね。 ◇これまで二度ここに来たことのある英国のFrancis
Hunterというお嬢さんがパレスチナのアラブ人と結婚したといって、Wedding
cakeを一片送ってきました。なかなか風雅で良い風習ですね。◇今年こそは班の研究費も少しは早くもらいたいものですね。 ◇このごろ国内各所から内地留学で来る人が増え、当研究部は目下超満員です。培養の有用性の認識と且培養をやれるだけに研究費がふえたのでしょうか。
7207:東医歯大の松村外志張君が7月1日附を以って当研究部に配置換になりました。皆さん御存知の“はねっかえり”ですから、今后ともよろしくおねがいします。
7208:◇いよいよ夏がさかりとなりました。私は9月27日東京発シベリア経由ロンドン行きに乗ります。私が途上呑みすぎないように、警備員がついて行くことになりました。高岡君です。 ◇8月下旬までにMethods
in Cell Physiologyの原稿を書かなくてはならず、これから大奮戦をはじめます。
7209:◇秋の気配が迫り、人はオリンピックの放映で朝ねむい顔をする候となりました。◇梅田君は英国にむけて発ち、乾君もスイスのローザンヌに向いました。二人とも3カ月の予定です。◇私は9月27日に発って11月10日に帰国しますので、その間何とぞしっかりやっておいて下さい。癌学会の示説の準備まで済ませておかなくてはならず、目下大忙しです。
7210:◇これが御手許に届く頃には、我々はもうManchesterでSymposiumに出席していると思います。班長が留守だからって余りさぼってはいけませんよ。 ◇梅田班員からは無事にManchesterに着いた旨の第一信が入りました。とても気分よく迎えられているようです。行く途中でスイスに寄り、マッターホーンを見てさすがにびっくりしたようです。◇来月号は創刊第150号になりますが、今回は全班長に配るということは止めました。むしろ反感を買うだろうとの報告がありましたので。
7211:◇癌学会、組織培養学会とあわただしく2週間がすぎ去って、これから腰を落ち着けて実験してはげむことができると思います。勝田班の申請書も今日やっと完成しました。 ◇最近6価のクロムの規制が強められ0ppmになりました。クロム硫酸はisotopeなみ、あるいはそれ以上にとり扱はねばならない訳で、医科研でも対策委員会ができました。クロム硫酸にかはる洗滌法にきりかわるのも時間の問題です。 ◇勝田先生と高岡先生は11月10日(金)20時20分羽田着で帰ってきます。次の班会議(11月30日・木)はいろいろおみやげ話がきけることでしょう。(黒木代行)
《巻頭言》
月報創刊第150記念号
我々の研究グループが癌の共同研究を志し、たえずお互いに情報を交換し合い、研究の進展に励み合おうと決心したのは1960年で、月報の第1号はその年の6月17日に発行されている。
それから算えて今月は第150号に達した。皆さん毎月よくがんばって書いて下さいました。こうしたことはやはり実際に仕事の成果を上げていないと、続けられないことですし、各班員がよく班長の目指す方向にむかって努力してくれた、という何よりの裏書きで、まことによろこばしい限りです。
今後もますます協力して研究成果をあげ一日も早く癌をなおせるように努力しましょう。
[旅先より・勝田甫]
いまNewYorkのRackefeller UniversityのGuest
Houseにいます。すごく立派な部屋で
2.5室+トイレバスです。ホテルだと70$位だろうとのことです。昨日は一日中、東大薬学部の高野君の世話になってしまいましたが、実に色々の機械が揃っており、金工、木工などの専門家もいるので、器械は買ったあとどんどん改造してしまい、超遠心器のローターなどは自分のところで作ってしまうという始末です。構内は実にきれいで木も茂っており、感じの良い大学です。今朝(10月19日)起きてみたら、おどろいたことに雪が降っています。積もるかどうかは判りませんが。
ManchesterのSymposiumはとても愉快でした。30人だけのmeetingに2日半を使いましたのでDiscassionも盛んで、マイクの奪い合いという感じでボヤボヤしているとマイクが廻ってこない状態でした。全体の総論としてはbiologistsとbiochemistsとの論争で、とにかくさかんな討論でした。一部は録音してありますから御希望の方にはおきかせしましょう。
Heidelbergerは二題しゃべりましたが、epoxideが有効であることの主張で、〔うちの黒木がハムスターembryonic
cellsを4NQOで発癌させた〕などと云ったのにはおどろきました。しかしepoxideの不安定性については、ずい分たたかれていました。ある人がHistoneが癌細胞をやっつけるなどと云うことをしゃべったら、これも物凄くやっつけられていました。Lasnitskiは例によってorgan
cultureでしたが、histological specimenの写真が抜群にきれいで感心しました。Dr.Iypeはratのadultからliver
cellsを培養し(F-10)、色々の酵素活性の維持を、各種にわたってしらべたもので、形態的にはうちのliver
cellsとよく似ていました。ただし発癌実験にはまだ全然成功していません。色々な人がCarcinogenesisという言葉を使うことに遠慮して、sarcomagenesisとかoncogenesisとか云っていたのは、少くとも一歩の進歩だと思いました。Paulは癌とは何か、などと私が去年云ったようなことを別の面から云っていました。
7212:◇いよいよ年の暮が迫まり、1972年もすぎ去ろうとしています。この1年間に何をやったか、反省のときです。 ◇乾班員が12月4日に帰国されました。梅田班員は12月末とか。新年に入ると発癌関係はやっと全メンバーが揃ってきますね。しっかりやりましょう。 ◇小生の身体の調子もお陰様でグングン良くなりつつあります。一外科医曰く“呑みながら胃潰瘍が癒ってしまうと、これから医者は患者に何と云ったら良いか困ってしまいますね。" ◇衆議院の選挙をみていると何となく研究費の申請を思出しておかしくなりますね。“これこれの計画だから、いくら寄越せ”などと云って、問題はそのあとどれだけの成果が得られたかにあると思いますが。 ◇皆さん、どうぞ良い新年をお迎え下さい。忘年会で胃をこわさないように。
7301:◇東京はお天気は好いのですが、さすがに次第に寒くなってきました。 ◇梅田班員が元日に日本へ帰って来られて、班も大分メンバーが回復した感じです。Dr.Iype式の肝の培養法も近い内にじっくり教えてもらおうと思っています。 ◇癌の基礎的研究シンポジウムについては、あと1週間後位にプログラムが来るそうですから、すぐコピーを作ってお送りしますが、2月8日(木)、9日(金)ですから御承知おき下さい。
《巻頭言》
新年おめでとう御座います。
1973年がきましたね。皆さん、どんな御心境でこの新しい年をお迎えになりましたか。 我々は癌を治したいと願い、その線に沿って努力してきました。しかし実際の成果として、我々はどこまで到達したでしょうか。振返ってみると、その進歩の遅さに我ながらがっかりするのではありませんか。
ある意味からいえば、癌の研究は色々の領域において、行きずまり行き悩んでいるのではないでしょうか。
このような状況にあるときは、じっと想をこらして、たとえ一つ宛でもその壁を打ち破ることを考えなくてはならないでしょう。飛躍的な、これまでの次元をとび越えた考え方を得るようにすることが大切でしょう。平面的な、横への広がりばかりでは駄目です。これはやはり、自分の手で癌を治さなくてはならない、という決意が根底にないと生まれてこないことだと思います。
癌の研究を細胞レベルでするということは、実に有効な研究手段で、かってはとても不可能とされていたことですが、それが次第に可能になってきた訳で、その進歩の跡を顧みても、今後の進歩の可能性が示唆されていることが判ります。これから10年、20年后にどんなレベルに達しているか、他人事ではなく、自分たちがそれをやらねばならぬ仕事として、熟考する必要があります。
我々の最も近い内に仕上げなくてはならない仕事の一つとして、培養内の化学発癌の実験系を、色々な細胞と各種の化学発癌剤について、もっともっとしっかり確立することがあります。そして、自然発癌と化学発癌との関連性の追究も焦眉の問題です。今年こそは何とか重要な一歩を踏み出せるように、力を合わせて努力しょうではありませんか。
7302:◇“In Vitro"という雑誌が手に入らないので困っていましたが、昨秋小生がアメリカのTC学会に入りましたので、今后は自動的に入ってきます。コピーの御必要の方はどうぞ。 ◇今年6月初旬にボストンで開かれるアメリカのTC学会に演題を2題提出しました。一つは私の肝癌の毒性物質、もう一つはうちの野瀬君のDNase、Alkaline
Phophataseなどの細胞より培地中へのreleaseの問題です。これまで貯めてきた金で彼の飛行機代だけは出すということで、彼も行くことになりました。若い人にそのような経験をさせておくことは良いことと信じます。
7303:◇4月号用の月報原稿は3月31日までに届くようにおねがいします。どうぞお忘れなく。 ◇医科研の地域は一番良質の重油しか使用を許可されません。ところがそれが品不足のため、時々暖房が止まります。今年は暖冬だからまだ助かりますが、これから先どうなることでしょうか。原子力暖房でも考えることになりますかね。 ◇今月末に内地留学で当研究室にきている、阿部君(岩手大)、渡辺君(東京教育大)、丸野内君(三菱生命研)が卒業して帰ることになります。研究室も大分淋しくなることでしょう。
7304:◇桜が咲きはじめ、もうすぐ満開です。今春は病理学会をスキップしたので、ゆっくり仕事をして居られます。いま今年5篇目の論文をかいているところです。Rat
thymusreticulum cellsの第1報です。 ◇3月末で国内留学生がtraining
courseを終えて続々と帰り、当研究室もずいぶん閑散としてきました。 ◇いまアメリカのDr.Hayflickを日本に招待するべく色々の努力を続けています。推薦状を、培養学会、ウィルス学会、病理学会、癌学会、細菌学会からもらい、それに主推薦者として当研究所から申請しましたのでかなり有望と思います。若し旅費がとれたら10月ごろ、日本の各地でseminarをやってもらおうと思っています。どうぞそのときはよろしく。
7305:◇がん特別研究(I)が決まりました。今年度は850万円+25万円(高木班員のところの若い研究者の分です。文部省からの正式通知が東大本部までは来ているのですが、そこでぐずぐずしていて未だ当方へは届いていません)
《巻頭言》
吉田富三教授の御逝去
吉田先生がなくなられた。杏雲堂に入院して居られて、大分軽快されたので、間もなく御退院と伺っていたのだったが。
先生は福島県の御出身で、非常に賭ける精神に富み、運の強い方だった。
佐々木研究所では、実験的肝癌など出来るか判らぬとき、敢然と立向われた。
その後長崎(当時医専)の教授に招かれたとき、先生は長与先生のところに相談に行かれたところ“長崎は良いところだよ。行きたまえ。”と即座に答えられた。そこで決断して長崎に赴任されたのだが、実は長与先生の郷里は、長崎のすぐそばの長与村だったのだ。しかし吉田先生はそこでも精力的に発癌実験をなさり、長崎肉腫(吉田肉腫)を作られた。そこに東北大教授の口がかかり、郷里の東北に戻られた。ところが長崎で後任の教授が講義をしておられた最中に例の原爆が落下、教授は学生諸共爆死された。吉田先生にとっては実に運の良い話であった。
先生は御自身の研究成果もまことに立派なものであったが、癌の世界の後輩たちの世話も実によくして下さり、全癌研究者はその恩恵に浴してきたので、全員が御逝去を悼んでいる。
7306:どうも今度の班会議は発癌以外の話が多くなってしまって困りました。しかしこれも一時的な現象と思ってあきらめています。7月号の月報は6月末必着で送ってください。7月の班会議もお忘れなく。
7307:◇そろそろ夏らしくなってきましたね。先日アメリカへ行った時は暑かったり寒かったり、変な気候でした。そのときの色々な話はこの次の班会議のときお話しします。◇癌学会のシンポジウムが本号1頁に記したように開かれましたが、どうもあまり面白くありませんでした。細胞生物学とか生化学とかには貢献するでしょうが〔癌を治す〕という方向に果してどれだけ貢献するか、またその意識がどれだけあるのか、聞いていて淋しい思いをしました。
7308:◇今日は当研究室の創立記念日、無菌祭の日です。考えれば昭和25年の8月4日に第1号の培養を初めて以来、ずい分永い間培養をやってきたものです。そしてウチのおばちゃんの髪に白い毛が混ってきても仕方がないでしょう。実習生を一人仕込み、班会議の月報の速記を一つするたびに白髪がふえてきたのだそうです。私の飲むこととは何の関連もありません。(当局はこの通報に関して一切責任を持ちません。テープは自動的に消滅されます。) ◇この間、今年になって9番目の論文を仕上げました。今年はまだまだ書けそうです。皆さんもしっかりやって下さい。 ◇クローム硫酸のたれ流しが問題になっていますが、うちの松村君が考えたアイディアで、クローム硫酸から出した容器を洗った水にアルミホイルの使い古しを入れて一晩位おくと、6価から3価、さらに0価位にまでにクロームが変化し、問題にならなくなります。液の色も消えてしまいます。ガラス器の洗浄には何といってもクローム硫酸が最高ですので、当研究室ではこの方法を用いています。
7309:◇暑いですね。うちでは15年位使ったクーラーがとうとうパンクしてしまい、あわてて新しいのを買いました。残り3台もパンク寸前のようです。予定外の金がかかるので困っています。 ◇東京は近い内に大地震がありそうだと、みんな恐慌をみたしています。皆さん如何ですか。
《巻頭言》
長く暑い夏:
こういう言葉がよく使われて居る。癌の研究のことを考えると、まさにこの言葉がそのままあてはまるような感じがする。何とかせねば、と思いながら研究が仲々進捗せず、じりじりとする気持を抑えて研究を続ける。長く暑い道程である。
8月6日午后、癌研究所において、文部省がん特別研究の班長会議が開かれた。その世話人は故吉田富三教授に代り、桜井氏が任命された。この件に関して私はずい分異論をとなえ抗議した。
1) 任命前に全班長に相談してしかるべきであったのではないか。
2) 癌研の所長という意味、M.D.という意味からむしろ新所長の菅野博士の方がふさわしいのではないか。(桜井氏はPh.D.)。
〔文部省の返答〕 桜井博士の方が年が上だったから。
〔私〕 年が上というなら一杯人がいるでしょう。医科研でも斎藤教授や山本教授がいる。(この発言が、さも医科研勢がこの権力の座を狙っていると大阪勢に思われ、あとであいつには来年度の研究費は出すまいという声になったという。)
3) これだけ沢山の班がありながら、そのなかのどれだけの班が本気で癌を癒したいと思っているのか、私には判らない。
こんなことで私はあとで山本教授からさんざん叱られました。しかし何故この発言が悪かったのか、いまだに私には理解できません。殊に私の強調したいのは、政治ではなく、癌患者を癒す方向にみんなちゃんと向いて欲しいということです。現在では癌を道具に使って、研究費をかせぐことばかり考えている研究者が多すぎます。それらは何らかのたしにはなるでしょうが、切迫感がありません。そういう連中にかぎって、自分の子供や奥さんが癌になると、大さわぎすることでしょう。自分の怠慢を棚にあげて。
7310:◇いよいよ秋らしくなりましたね。明日から癌学会で、いまごろ皆さんさぞ大忙しでしょう。しっかりやって下さい。それに月末には組織培養学会も控えていますからね。◇私はいま今年に入って10番目の論文をかいています。吉田富三先生の記念号としてGann
monographを出すというので書かされるのですが、新しいことは余りなくて恥しい次第です。 ◇窓の外に飛行機の音がきこえます。あんな風に人間が空を自由にとべる時代になったのに、どうして我々は癌を癒せないのか、これまた恥しい次第です。
7311:◇東京も大分さむくなってきて、研究室のなかで風邪が流行して困っています。皆さんもどうぞお身体をお大切に。 ◇いよいよ明後日(7日)に台湾に出かけます。ほんの短期間、11日までの旅行ですので、本当のカケ足旅行ですが、国交がなくなったからといって、公用旅券を出してくれず、はじめて私用旅券で出かけます。むごいものですね。あっという間に手のひらをひっくりかえす感じで、びっくりしました。こんどは女房がぜひ一緒に行きたいというので、むこうにもさぞ迷惑をかけることと思いますが、私とても足に鎖をひきずって行く感じです。
7312:◇私の手ちがいで、11月迄に送って下さった原稿が12月用にまわってしまったのが若干あります。御寛容下さい。
7401:◇乾班員の夫人が1月6日(日)夜、Influenzaで急逝されました。小さな子供さんが2人残されて、乾君もこれから大変なこととお察しします。梅田班員が班を代表して御葬儀に参列してくれました。 ◇東京は連日晴天で、乾燥しきって居ります。先日ごくわずかの雨と雪が降りましたが、公式にはこれは雨量零と記録されました。今も依然として冬型の気圧配置ですので、いつになって雨が降るのやら、皆目見当がつきません。火事の心配だけでなく、健康にも良くありませんね。
《巻頭言》
新年おめでとう御座います。
と云いたいところですが、研究費の増額よりも物価の方がはるかに何倍も値上りし、実質的には研究費が減額されたのと同じことになってしまいます。
アラブがくしゃみをすると、こうも日本の経済がガタガタになるとは、何とも情ない極みです。日本には本当の政治家が存在しないということですね。苦難の年になりそうですが、しっかりやりましょう。
7402:◇Dr.Hayflickの来日の希望がきわめて強いので、何とかしてそれをかなえて上げたいと、努力しています。しかし仲々金が集まらなくて困っています。 ◇東京はこの間の降雪が終って、そのあと、また降る、また降るとおどかされていますが、さっぱり降りません。前の雪はまだ陰のところに残っています。 ◇班会議を月の初めにやるとなると、どうも前月の月報の原稿の集まりが悪くて困ってしまいますね。
7403:◇皆さん大変御心配をおかけしました。もうすっかり気分が快くなって一日も早く研究室に出かけたいと思っております。まあ少し働き過ぎたから、一寸休息をとるつもりです。 ◇世の中の物価上昇は困ったものですね。昨年の始に60万円で買えた日立のクリーンベンチを今年になって見積らせたら、何と110万円になっていたということです。科研費のベースアップも、この位上昇するといいのですがね。出る方ばかりが、上昇するのは困りものです。 ◇Dr.Hayflickの来日は今年の秋9月ということになりそうです。資金集めも大分軌道に乗ってきました。講演と観光との盛沢山の旅行日程表を目下作成中というところです。
7404:◇思わぬ長い病院生活になってしまいました。朝は7時に食事、夕食が5時で、9時には消灯です。一日中“めし"を喰わされている感じで、2週間もつづけて1.5キロづつ体重が増えました。 ◇医科研のさくらが今年も見事に咲いたのにこの二日続きの雨でしょんぼりしています。天気さえよかったら、花の下で一杯と思っていたのですがね。
◇今週は交通関係のゼネストをやるようですね。誰と誰が来られるのか、ネズミの世話は大丈夫なのか、ドライアイスはどうなるのかと、今からヤキモキしています。 ◇「風が吹いたら眼医者がもうかる」という話をご存じですか。東京では風が吹くとアレルギー性結膜炎の患者が多発するそうです。アレルギーの原因は花粉だとか。
7405:◇もういつの間にか春も盛りをすぎて、我々の班も第3年度に入ってしまいました。ふり返ってみると、どれだけの能率をあげ得たか、慚愧にたえません。 ◇難波君も5月18日に帰国される由です。早速また班に入ってもらいましょう。◇京大の翠川氏が今年は班友として加わられます。
7406:2月22日に入院してから長い病床生活でうんざりしましたが、さる7月20日にやっと、4カ月振りに退院しています。まだ出勤の準備期間ですが、1日おきにタクシーで通っています。皆さん、お見舞ありがとう御座いました。
7407:◇長い梅雨であきれますね。お陰様で私も大分元気をとり戻し、日、水曜の他は出勤しています。身体も大分動くようになったので今日から自分で車を運転してくることにしました。 ◇大雨があちこちに降った、というNewsを聞くと、ああ金沢はどうしてるかな、博多は、岡山は、なんて、いつも心配しています。 ◇まだ論文はかきはじめませんが、まず訂正ぐらいからはじめて、Polyamineの仕事のをかこうと思っています。とにかく、ここしばらくはpolyamineを相当突込んで行かねばならぬと覚悟しています。 ◇今年でうちの班も3年目ですが、来年以降どうするか、どんな方針にするか、大いに考えてみなくてはならず成果がそれに伴うか、惰性的な班では存在意義がないと感じているところです。 ◇癌センターの塚本さんが歿くなり、世の政治的癌屋立ちは大いに暗躍しているところでしょう。手先に使われないように機をつけて、仕事に専念しましょう。
《巻頭言》
がん研究の将来の展望
吉田富三先生が歿くなられたあと、沁々と感じるのは、吉田先生は実に良い仕事をなさったということである。山極先生は癌を実験の段階にもってこられた。これは大きなstepであり“がん"が初めて研究の対象としての舞台に上ったといえるほどである。吉田先生が実に多数の肝癌その他を実験的に作られてそれを“実験室のなかに持込み”得る状態とし癌の多様性を発見なさったということは、実にこれまた大きな新stepといえるのである。ここにおいて、吉田先生は初めは、癌を化学療法ですぱりと治せると考えられたらしいが、その後その“多様性”に目ざめられて、各研究分野の研究者を総動員して、少しでも何とかしたいと考えられたらしい。我々培養屋や生化学者やその他その他・・が拾われたのも“ワラをも掴む”悲壮な御気持だったのではないかと感じる。
その御気持に対して、皆果してどれだけ奮起して思う存分努力したであろうか。どうも生化学者の悪口になっては気の毒だけれど、癌細胞を“材料”にして研究して、それが癌研究と思う人が多いのではないか。つまり、何とかして“癌”を治療し、予防する気は本当にはない・・という人が多すぎるのではなかろうか。勿論stepのできる陰には、そのような屑が一杯存在することは常であろうが。
いま、ここに大きく要望されるのは“次のstep”である。如何にして“step"を作るか。なまじ横の展開を図るよりもいま本当に必要なのは、そのことではあるまいか。私は4カ月寝ている間にずい分色々考えたが、病気のときに考えることはあだかも夢の中の良い考えと同じように、或意味では病的なところもあるので、これからまたそれらを練り直して、場合によっては来年度からは新しい班を作り直すことも考慮にいれながら、考えて行きたいと思っている。
いよいよ梅雨もあけようとし、本格的な酷暑が来るであろうが、皆さんも少し暑さで目でもさまさして、よく考えて頂きたい。
7408:◇待ちに待っていた研究費がやっと入りました。すぐ皆さんのお手許に届くように手配します。例によって新しい銀行口座を開いて預金してください。◇電気代の急騰のため、クーラーの使用が制限され、今年は暑い夏です。甲子園の高校野球がはじまって、何となく落着かないで困りますね。 ◇先日久振りに休みをとって、郷里の御殿場へ行って来ました。東名を走ったのですが、行きにトンネル内の工事でつまって、10kmを2時間かかり(時速5km)、これにはいささか参りました。お盆であちこちの会社が休み、都内の道路も空いています。
7409:◇あっという間に秋になり、またせわしない学会のシーズンになりましたね。留守の間に株が切れたりしないよう、よく御注意下さい。
《巻頭言》
発癌剤について:
我々が発癌機構についてしらべるとき、実験系のなかでは次の各段階の変化についてしらべなくてはならない。
1)発癌剤による細胞の変化。
2)細胞集団内での癌化細胞と非癌化細胞との間の相互作用。
3)動物に復元接種されたときの癌化細胞の増殖と動物の腫瘍死。
しかし、このどの段階についても、やればやるほど何だか訳が判らなくなってくるような感じである。1)についてみても、これまでの培養内発癌実験はほとんどが、対照群も時間的差はあっても、自然発癌している。つまり自然発癌しやすい系を使って、薬剤で引き金をひいている、或は自然発癌を一寸尻押ししている、とも考えられないことはない次第である。
また、発癌剤が体内で代謝されてはじめて発癌性物質に変って働くようになる−という最近のもっぱらの知見に従えば、一種類の細胞だけを使っていても、その細胞がその薬剤の代謝能を持っていなければ癌化させられない訳で代謝役をする細胞とtargetの細胞とを一緒にまぜて培養するような工夫が必要となる。このことは、未知の物質の癌原性をしらべるときにもあてはまる。それならば何と何の細胞をまぜたら良いのかということが問題になるが、まず肝や腎などはこの役に使ってみるべき細胞であろう。こうなってくると、ある物質に癌原性がある、ということは云えても、無いということは簡単には云えない訳である。また動物の種類によって上記の代謝がおこなわれるものとおこなわれぬものがある以上、人間を対象として論議するときは、人間の細胞を使わなければ駄目ということになる。あらためてヒトの細胞の培養の重要性が再認識されてくることになる。
2)と3)についてはまた機会をあらためて論ずることにしたい。
7410:◇癌学会(仙台)に行き、また1週間しない内に生化学会(岡山)に行きましたが、特にあまり疲れはしませんでした。岡山では合間に難波君に川崎医大を見せてもらいましたが、実に立派なので驚きました。アメリカの一流の研究所の内でも上の部ですね。その内、培養学会の研究会をやったら良いと思います。 ◇仙台では、学会に“生化学"が減って、“細胞"が増えたのにおどろきました。殊に組織培養が多くなり、人癌の株樹立の報告もかなり目立ちました。問題はそのような株を何の研究にいかに使うか、でしょうが。
7411:◇変な秋で、雨ばかり降ったりしている内に冬に入りかけましたね。この間ある新聞に面白い話が出ていました。第二次大戦の直前、日本の陶芸に魅せられたアメリカの青年が、日本各地を旅行したが、どうも日本の古い情緒が失われてしまっていて、がっかりした。そこで出雲の田舎の方へ行き泊ったところ、蚊帳のなかに青く光るものがあった。よくしらべてみるとホタルだったので、その旨を翌朝家人に話すと、そこの主婦が“お寂しいだろうと思ってホタルを入れておきました”と云ったそうで、実に感激したというのである。培養の仕事は茶道に通じるものがあるが、このような心根も何かしら相通じるところを感じさせる。 ◇論文を書くときは“この研究は文部省のがん研究費の援助によった”という文句ぐらいは忘れずに附けておいてください。もらうときだけはもらって、お礼も云わないというのは、それこそ日本人の心根に反するものです。 ◇培養学会も近附きましたね。皆さんにお目にかかるのを楽しみにして居ます。
7412:◇岡山の佐藤二郎君も無事にバンコックまではたどりついて、ヒトの肝癌の培養をはじめているようです。12月14日頃には帰国の由です。
◇うちの松村君は無事にStanford大学に落着いてあとから妻子も渡米しました。大学の寮が借りられたそうで、家具、暖房付きなのでほっとしているようです。 ◇先日の培養学会はなかなか盛況でしたね。運営もうまく行って、ひどい時間のおくれもなく、まずまず成功だったと云えますね。◇学会で出しているAnnual
Bibliographyの発行が面倒だから、もう止めようなんて若い連中が云い出しているそうですが、困ったものですね。日本で組織培養が盛んであり、且そのレベルも高いということが、世界中に知られるようになったのにBibliographyがいかに貢献したかを気付かないのですね。
7501:◇仕事にはあるテンポが必要で、これが崩れると、また建て直すのにしばらく時間がかかります。どうも正月というのは大崩れの因になり易いので困りますね。 ◇私も昨年は病気入院ですっかり崩れてしまいましたが、お陰様でこの頃はすっかり快調に戻り、軽い論文からはじめて、4篇、今年に入ってから1篇(これは去年暮からの持越しですが)仕上げました。テンポの崩れない内に、すぐ次のにかかろうと思っています。これはpolyamineの仕事なので少し緊張します。 ◇Polyaminesといえば、松村君の行っているDr.Hayflickの研究室の若い人が、この素早い定量法を見附けたと云ってきました。アメリカでは2、3年前からポリアミンブームでしたから、日本の生化学者たちもそろそろ真似をなじめる頃でしょうね。 ◇昨日岡山の佐藤君がやってきて話しましたが、あちこちの国でずい分タカリに逢ったようです。よっぽど金持に見えたのでしょうね。Thailandは新婚旅行で楽しかったようです。 ◇うちの野瀬君にスコットランドのDr.John
Paulから来ても良いとの招待状がきましたが、金の入るのは、来年でしょう。
7502:◇PhiladelphiaのProf.Joseph Leightonが2/24にまた来日します。初め仙台へ行き、名古屋へ行き、京都、奈良、大阪と廻り、3/4に東京に戻り、3/5医科研でセミナーをします。4/9の朝、帰国します。御都合のつく方は、どうぞセミナーにお出かけください。pm3:00〜4:00で“Heterotopic
urinary bladders in rats produced by an isograft
inoculum
of bladder fragments and air"が演題です。 ◇今週の22日は私の発病の1周忌になります。御心配をおかけしましたが、目下のところ昨年よりはるかに元気ですので御安心下さい。 ◇今月末までに3月号の月報原稿を送って下さい。これが当班の最後の月報になります。来年度どうなりますか、とにかく頑張りましょう。 ◇UICCのfellowshipに黒木君が通りました。フランス・リヨンのIARCです。今年前半に出発でしょう。
7503:◇日増しに暖かくなってきましたね。東京でも梅が咲いています。Dr.Leightonは予定通り3月9日朝羽田発で帰国しました。全くやれやれです。1977年にまたSabarticalYearなので、もし出来ればまた日本に来たいと云っていました。 ◇いよいよ新班の審査の時期になってきましたが、何とか両方の新班が通ってくれると良いですね。3年間皆さんどうも御苦労さまでした。今後もしっかりやりましょう。
《巻頭言》
班の3年度を終えるにあたって:
この月報で上記の班が3年目を終ることになる。ともに苦闘してきた仲間ともお別れである。勿論新しい班を申請しているが、その結果はまだ判らない。しかしその申請が通ろうが通るまいが、我々が癌の研究を続けるということは当然である。
考えてみると、我々もずい分色々なことをやってきたものである。しかしどうも決定打といえるような仕事がない。癌はやはり難物であり、及び腰の仕事では駄目だということである。言葉をかえて云えば相手としては不足のない奴だ。これからも一生懸命やるだけの価値のある敵である。
この班の前の班のとき、我々は肝細胞の培養内化学発癌に成功した。この班になったからは、ラッテ肺、ラッテ肝なぎさ変異細胞、ラッテ腹膜細胞などをニトロソグアニジンで培養内癌化させ(一回処理)、センイ芽細胞、肝細胞以外の細胞についても培養内化学発癌させることができた。また細胞電気泳動法についても新しい便利な方法を開発して、色々な癌細胞についての知見を得る事が出来た。次に新しい分解酵素の開発により、肝実質細胞の初代及び継代培養が非常に容易となり、今後の発癌実験に大きく貢献できるようになった。
昔は組織培養などは邪道とみなされ、いわば“草の者"的に扱われていたが、今日では色々の分野で必須の研究法とされるようになった。しかし一面、それに甘じて仕事への熱の入れ方が減った傾向があるのではなかろうか。チョコチョコと小手先でサロンサイエンスをやって、それで済ませる。それが“カッコ良い"と思っているわけである。
組織培養屋は今日ではもはや堂々と食って行けるようになったのであるから、私はこれからは彼らを甘やかさず、自分の実力で食って行かせる方針にしたいと思う。
7504:◇医科研はいま桜が咲きかけてとてもきれいです。京都もさぞきれいでしょうが、当研究室からは一人も医学会総会へは行きません。 ◇年度末の研究報告書がやっとでき上って、いまほっとして月報の編集にかかり、仕上げたところです。 ◇乾君が4月18日に再婚されます。おめでとう御座います。
《巻頭言》
新班の発足にあたって
いよいよ今月から新年度に入った。班が通るかどうかはまだ判らない。しかしどうであろうとも我々は今まで通りチーム力を結集して共同研究を促進したいものである。
今後の命題としてはやはりヒトの細胞を使うということに一つの重点をおかなくてはならないであろう。しかしヒトの場合には上皮細胞の培養法がまだ開発されておらず、上皮細胞を使おうと思ったら、そこからはじめなくてはならない。それまでは非上皮細胞を用いての実験もしておかねばならぬ。一方、復元試験法の開発も必要である。これももう一歩というところである。要するに対照の接種の成績がはっきりしないのである。
乾班員のはじめた経胎盤発癌の研究も今後大いに進展させるべき分野であろう。これはこんど仲間に入った三菱生命研の加藤君の協力の下にさらにさらに伸びて行くことが期待される。
7505:◇こんどの班会議は困りましたね。ストライキもしかし英国女王の訪日で或は回避できるかも知れませんね。 ◇今秋の癌学会は〆切期日がいつもよりも早いので、すこしまごつきますが、班研究の分はこんどの班会議のとき、提出と題名をきめましょう。用意してきて下さい。
7506:◇先日癌研の桜井氏より今年度のがん特 、 のリストが送られてきました。まだ文部省からは公式の通知がきませんが、とにかく、うちの班が通っていることは確実のようです。大蔵省が研究費の削減を命じているので、それでごたごたして遅れているようです。その位のことをはね返せないようでは文部省の存在意義がありませんね。
7507:◇またもや暑くて長い夏がきましたね。しっかり頑張りましょう。
7508:◇どうも今年は暑い夏ですね。暑中見舞に号外を1枚同封しました。誰もがヒヤッとしたそうですから、夏向きでしょう(今度は「学内調査班」で医学部教授の「醜聞」を追跡する岡山大学)。 ◇先日の朝日新聞に下のような記事が出ました。彼はかなりハッタリ屋なので他の人の追試を早く見たいものである。(がんの細胞には電磁場見られず:発癌に関する全く新しい理論が米国立のがん研究所のアルバート・セントジェルジ博士によって発表された。同博士によると、正常な細胞の増殖には電磁場が重要な影響を及ぼしているのに、がん細胞には電磁場がないというのである。電磁場がなくなると細胞増殖のコントロールがきかなくなり、癌化するとのことである)
《巻頭言》
真似ごとは止めよう:
他人が何か新しいことを始めるとすぐそれに飛びついて、ちょいと横に拡げるという研究者が日本には多い。右のマンガは非常に鋭くその点をついている(「ヤッパリ日本人に本物を見せるんじゃなかった。女王を大量生産し出した」−相も変らず日本人を物まね民族と、きめつけてウサをはらしている英イブニング・スタンダード紙のマンガ)。マウスを使った仕事がでると、ラッテで、ハムスターでと“本邦初演”をはじめる。全く情けない次第である。
研究をはじめるときはまず自分の目的をはっきりと確認し、それに最も適した研究方法をえらび、或は作り、その上に立って“自分”の研究を築いて行くことが大切である。他人のアイディアの借物では、せいぜい横の面に仕事を拡げる位で、新しいステップを作るような縦の仕事はできっこない。
7509:◇どうも今年は残暑が続いて驚きましたね。今日はやっと峠を越しそうな気配になりました。 ◇この間の班会議は午前中は長く、午後は皆駆足で新しい形式をとりました。これからもこのような重点主義はときには面白いと思います。いよいよ癌学会が近付いて皆さんお忙しいことでしょう。大阪でお目にかかるのを楽しみにして居ります。
7510:◇月報を一つ出したと思ったら、すぐまた次の月報なのでうんざりします。いつもおねがいしているように班会議のときにきちんと抄録をもってきて下さらないから、遅れ遅れになってしまうのです。今月末は11月号用の〆切ですからお忘れなく。 ◇うちに実習にきている東大医学部の学生が電顕を大分きれいにとれるようになりました。来春の培養学会にでも出させようかと思っています。 ◇東京もだんだんと寒くなってきました。独協大でお目にかかるのを楽しみにしています。
《巻頭言》
第34回癌学会総会に出席して:
御承知のように10月1、2、3日と大阪のRoyal
Hotelで癌学会が開催された。これまでの例で(たとえば東京UICC)、ホテルを使うと会場の広いのがなくて困ったので、今回もきわめて心配していたが、Royal
Hotelは仲々良くできて、その点の心配は解消した。企画は成功したと思う。来秋の会長が山本正教授なので、我々は大いに手伝わねばならず、こういうことも心配の種なのである。
日本の癌研究の流れをふりかえってみると、初めは化学療法万能で、ほとんどの研究費をこの面にばかり注いで、何とかして一発で癌を治せる薬を、と求めていた。ところがその内、癌の多様性が判ってきて、これではいけないと、癌とは何であるか、をしらべるようになった。生化学の面からの研究も激増した。それは華やかに見えたが、その内やっぱりどうにもならないことが悟られ、こんどは免疫学とウィルス学に移った。しかしこれも、どうも、ということで細胞学に移ってきている。近年における組織培養による研究の発表が、癌学会では実にふえてきた。これは良いことでもあるが悪いことでもある。粗製濫造にならないように、よく監視している必要があると痛感する。
7511:◇寒くなってきましたね。来年度の特 の研究費申請書をやっと昨日書き上げてほっとしたところです。毎年のことですが、うんざりですね。自分だけのことならもっと楽な稼ぎ方があったのですが、ずい分永い間苦労したなあと、つくづく思います。私がやめたら、あとを誰がやってくれるのでしょう。解散してしまえば良いと云えば、それも手ですが。 《巻頭言》
日本組織培養学会について:
先日独協医大で開かれた研究会は大変成功であったと思う。これは私だけの意見ではなく、他の沢山の参加者がそう云っていた。特にユニークなのは、Symposiumなどをやめて、Work
shopにしたことだと思う。これまでのSymposiumは概してParaposiumに終っているのが多かった。それに比べればWork
shopなどはまさに培養学会向きの催しであると感じる。ただ、ヒトの肝の培養は実に評判が悪かった。九大・仁保君の発表は、仲々しっかりしていると云われていたが、カナダのオンタリオ癌研に留学中になされた仕事であったためだろうか。吉田俊秀君の映画は私は4度目であったが、やっぱり面白かった。しかし私が不思議に思うのは、この映画のタイトルに吉田君の名前が全然出てこないことである。
培養学会のはじまりの頃について私は話をさせて頂いたが、当初はきわめて進歩的にすべてを運営したのに、その後若い人たちがしだいに保守的な形に変えて行こうとするのはどういう訳であろうか。若いほど保守的なのである。下のコピーは“組織培養”という名の雑誌の10月号の編集後記の一部であるが、この雑誌が培養学会の機関誌的役割とは誰が決めたのであろうか。総会の承認も得ていないではないか。学会が一介の営業誌にサービスすることは全くない。雑誌を作るのなら、米国のIn
Vitroとか欧州のExptl.Cell Res.のような国際的な雑誌を作ることを心掛けるべきではなかろうか。日本細胞生物学会ではすでにその線で歩き出しているのである。情ない規模の考え方である。
7512:◇あっという間に1年がすぎて、12月号の編集後記を書くことになりました。早いものですね。この1年間に何ができたと云えるか、反省にたえません。 ◇2カ月間国内留学で来ていた難波正義君が昨日倉敷へ帰りました。短い滞在期間でしたが、よく色々の成果をあげられ、我々もうれしくなりました。いまに続々と発表して下さることでしょう。 ◇東京もようやく冬型の気象配置に入って、晴天で寒風という日がつづきます。九大の高木班員がむかし悲しくなったという気候です。これを書いている私のそばで、うちのオバチャンがこわい顔をしてにらんでいます。何故でしょうか?
7601:◇いよいよ寒い冬が来ましたね。今年は何が起るのかと考えてしまいます。培養学会関係では5月に九大の高木君が博多で研究会をひらき、秋は高野君が東京で開きますね。私は来秋にでも第2回の国際癌組織培養学会を開催しようかなと思案しているところです。
《巻頭言》
謹賀新春
新しい年がまた廻ってきたが、まだ癌は治らない。悲しくなりますね。我々の研究構想の立て方が悪いのと、努力の足りないことに因るというのは判りきっているが、それではどうしたら良いかとなると困ってっしまう。当分はじっくりと地道に攻めて行くより仕方がないであろう。
大蔵省は医大を地方都市に3校作ることをきめたが、我々にはその神経が気になる。金さえ出せばすぐに良い学校が作れると思っているのだろうが、たしかに建物は作れる。しかしそう簡単に人の方は作れない。何年も年年もかかって先輩たちが教育し、そだてて行くのである。それには時間がかかる。効率も良いとは云えない。要するに辛棒強く、労力と捨金を使わなければならないのであるが、その辺のメドが役人にはよく判っていないと感じる。
定員削減を研究機関にまで押しつけてくるのは、やはりその典型的な1例であろう。
今年も我々はしっかり仕事をやりましょう。研究費をもらうためだけの仕事などは当班では今年はさらにきびしく批判するつもりです。
7602:◇東京は毎日々々からから天気で、もう2月位つづいていることでしょう。
◇今日から雨が降り出しました。慈雨です。昨4日は好天気でしたので、中原先生の御葬儀も1日の差で無事に済みました。 ◇2月19日高岡オバさんが科学映画のセミナーで演説をします。 ◇本物のインドホエジカ(ムンチャック)が♂♀各1匹入りました。近い内に細胞を少しとって培養してみます。
《巻頭言》
中原先生逝去される:
国立がんセンター総長の中原和郎先生がさる1月21日早朝に心筋梗塞で急逝された。1月3日午后に心臓に痛みを感じてがんセンターに入院されたが、お元気だったので皆油断していて、歿くなるとき、福岡文子さんも杉村隆君も他所に行っていて同席できなかった由である。
中原先生は米国コーネル大学を大正7年に卒業され、生化学を勉強されて日本へ帰ってこられたが、行くところがなくて、しばらく伝研病理に籍をおくよう、長与先生、三田村先生が取計らい、その後、癌研に移られ、癌研の所長となり、さらに国立がんセンターの設立されたとき、その初代研究所長として着任された。昭和49年がんセンターの総長をおしつけられた。
中原先生のいちばんの特徴は、とにかく「研究すること」が好きで、政治的、事務的業務は大嫌いで居られた。そういうことは杉村君にまかせ、自分は最後まで研究室にこもって実験を楽しんで居られた。実に79才までである。
我々研究者のなかには、禄に研究をしないで政治ばかりやりたがる者がかなりいるが、それは研究能力の低い者のすることで、中原先生の研究態度を我々はよく学ぶべきである。
7603:◇この班会議は珍しく超スピードですっとばして早く終りましたね。 ◇東京では日一日と春めいてきました。樹々の芽もふき出しています。昨日はめずらしく凄く雨が降って、外においた車がすっかりきれいになりました。洗車場の洗い以上でした。 ◇新刊紹介でお知らせしましたが、John
Paulの培養法の新判が出ました。内容が大分変っています。
7604:◇堀川君はもはや班員ではないのですが、長い間のおつき合いの最後ですから掲載してくれと抄録を送ってきたので、のせました。野瀬君は4月1日附で富山医科薬大の助教授に正式に発令されました。それにこの6月からスコットランドへ行きますので自然退班のようなものです。 ◇榊原君が新たに入班して、復元実験の方で大いに活躍してくれる筈です。 ◇選抜野球も終り、桜の花も散って、いよいよ学問のシーズンですね。しっかりやりましょう。
《巻頭言》
今年度の研究
我々の研究は、目前の生物学的興味だけでなく、“癌を治す"という方向にむかっていなくてはならない。つまり生物学研究ではなく、医学研究なのである。しかしこの頃次第に生物がふえてきて、医学が忘れられている。これは班員各人としても反省しなくてはならず、班としても考えなくてはならない問題である。
今年度としてはもっともっと新しい実験系を開発するのと同時に、発癌剤の選択にも気をつける。ヒトの正常及び腫瘍細胞の培養にも手を拡げるが、この際注意しなくてはならないのは、これまでの培養とは逆に材料にウィルスが感染しているものと考えて取扱うことである。従って細菌やウィルスを取扱う場合と同じように、使った器具はすぐ消毒液につけ、ものによっては高圧滅菌する。ヒトの材料だけに若しそれが感染していれば、実験者にうつり易いからである。
経胎盤発癌の方ももっと進展させたいもので、何なら誰か復元の方でも手伝ってあげたら如何でしょう。
7605:◇雨つづきの連休があけたら、すばらしい天気になって、毎日研究室にきていた我々は、ザマアミヤガレといいたいところである。 ◇福岡で久し振りに皆さんにお目にかかれる日が近づいて楽しみです。 ◇ヘイフリック氏の件は前から少し宛耳に入っていたのですが、確実なデータがないので今まで抑えておきました。もうこうなると製薬会社の研究所位でしょう。
《巻頭言》
Hayflick's Tragedy:The Rise and Fall of
a Human Cell Line.Science,192,125-127,1975.にこんな記事がのっていました。主にWI-38を囲んでの問題で、HayflickがWistarからStanfordに移るとき、WI-38の大部分のアンプレを持って行ってしまったこと、これはNIHからもらった研究費を使って作ったものなので、当然NIHに属すべきものなのに、それを私してしまい、ワクチン製造用に売っていたことなどがまず指摘されている。しかも世界中に頒布したアンプレのなかに、かなりの数がcontaminationをおこしていたという。彼は夫人の名と二人で細胞を売るための会社“Cell
Associates"を作った。そしてMerckとも膨大な取引契約をした。またampulesの保管リストもあいまいで結局contamiをごまかすためにそうなったのだろうという。なお価格は継代8代のもので1本5000ドル、10代のもので2500ドルの由。そしてmerckは100万ドルを払うことになっていた。
目下彼は反論をすべく準備中とのことであるが、ここまでやられてしまっては、彼も立直りが難しいかも知れない。
研究者はやはり金もうけなどに頭を使わないで、身のまわりを清潔にしておくべきだということを、あらためて教えられる。
7606:◇野瀬君が6月15日夜の便でスコットランドへ発ちます。子供2人をつれての旅ですから大変でしょう。1年間で家族連れでは仕事の成果はあまり期待できないでしょうが、いくら外から云っても若い者は自分で経験してみないと判らないものですね。
◇むしあつい梅雨期ですね。皆さんどうぞ、カビの感染に気をつけて下さい。CO2フラン器なども大掃除して下さい。
7607:◇変則的に涼しい7月ですが、仕事をする身には助かりますね。班長会議では海外との交流人事について、学会やシンポジウム出席はダメと云っておいて、1)実は事後承諾ですが、2)アメリカで開かれた癌ウィルスのシンポジウムに癌研の井川君を行かせました、と桜井氏よりの報告があった。皆あきれ返って、誰一人文句をつけなかったが、癌研グループが文部省の癌研究費を私しているという感を皆に与えたことは事実である。
◇野瀬君はスコットランドの生活を無事にはじめたようですが、エレベーターのないアパートの4階の生活でいささか参っているようです。 ◇8月4日(班会議の翌日)には当研究室の無菌祭を開きますので、是非皆さん御参加下さい。
7608:◇また夏になって、甲子園野球がはじまり、毎日落着かないですね。 ◇Tappingcultureの映画をとろうと考想をねっています。 ◇“組織培養法”の本の方もそろそろ始めます。今年はもうあまり論文をかくことは控えます。
《巻頭言》
Dr.Joseph F.Morganの逝去:
Canada Saskatoon大学のDr.Morganが5月20日に自宅で心臓疾患で逝去された。合成培地の研究などで我々には縁の深い方であった。腎臓も悪くて、この夏あたり腎移植をするか、というほどだったそうであるから、何れにしても永生きは望まれなかったろう。しかし実に人柄の良い男であった。
7609:◇酷暑といえるような日がすくなくて、いつの間にか秋に入りましたね。変な夏でしたね。いよいよ学会シーズンに入ります。皆さん、しっかりやって下さい。 ◇ムンチャクの細胞を培養している方は、この次の班会議にデータを御持参下さい。その結果によってまた材料を採ろうかということになっています。 ◇野瀬君は元気のようですが、癌細胞学研究部の施設は世界一流級であると云ってきました。但し英語の方はまだ仲々慣れないそうです。当り前でしょう。スコットランドではなまりが相当ですからね。
7610:◇癌学会もいよいよ押しせまって、皆さんお忙しいことでしょう。私もいま示説の準備をすませ、月報にかかったところです。明日会場でお渡しすることになるでしょう。 《巻頭言》
医科研の大さわぎ:
異常な放射能汚染を突然に発見して、大さわぎとなり、サーベメーターで所内をくまなく調べた結果、2号館(新館)の人が歩きまわって、まきちらしたと考えられたが、結果は天水の作用であることが判った。核質はモリブデン99(半減期67hr)が75%、セリウム143(半減期33時間)が25%と判り、我々の使用していないアイソトープだった。新聞記事には『中国核実験。原子力施設を走らす。相つぎ異常放射能検出。「事故か」一時大騒ぎ』とある。
7611:◇いよいよ培養学会が近付きましたね。皆さんにお目にかかるのを楽しみにしています。
7612:◇東京はすっかり冬型の天気で、からからに乾いています。12月も半ばをすぎて、いよいよ年が変ろうとしています。皆さん、しっかり頑張って、良い新年を迎えるようにしましょう。
7701:◇9月の国際シンポジウムのために目下金集めをしています。九大の高木君が自研究室の卒業生から2万円ずつ、計30万円、他に日本ヘキストから20万円をあつめて下さって涙ぐましい努力に感激しました。現在までのところ約120万円あつまりました。目標は最低350万円というところです。何とか行くのではないかという見通しです。招待客にDr.V.J.Evansも追加して、外人(米国人ばかりですが)5人、日本人は山根、安村、勝田の3人、計8人で1日という予定です。場所は椅子が悪いのですけれど、医科研の講堂にしようかと思っています。その日の夕、新館ロビーでビアパーティにします。Dr.Hamも来るとの返事、たったいま届きました。
《巻頭言》
新年おめでとう御座います。
あっと云う間に1年が経ちましたね。その間にどれだけの仕事ができたか、省みると誠に恥しい次第です。急がなくても良いけれど今年こそ何とか良い成果をあげたいものです。 今年は5月19日、20日と川崎医大で、木本・難波組により組織培養学会が開かれます。盛会であることを望むと共に、我々の発表の準備も着々とやっておかなくてはならない時期です。
6月には当研究所で当研究部担当の談話会があります。9月26日は小生が担当で組織培養学会を開き、翌27日に国際シンポジウム“Nutritional
Requirement of Mammalian Cellsin Tissue Culture"というのを開きます。アメリカから4人を招待する予定ですが、そのうちNCIのDr.K.K.Sanford、アルバート・アインシュタインのDr.H.Eagleから出席する旨返事がありました。あとはDr.WaymouthとDr.Hamの返事を待っているところですが、こちらは目下金を集めるのに悪戦苦闘です。
7702:◇裏日本は大雪というのに、東京はカラカラ天気で、濡れたタオルも部屋にさげておくと、あっという間に乾いてしまいます。いつも癌シンポジウムの頃には東京にも雪が降るのが例ですので、皆さんお気をつけて下さい。 ◇9月に開催予定の国際シンポジウムについては、おかげ様でほぼ予定額の資金のあつまる見通しがつきました。開催できます。ありがとう御座いました。
7703:◇あっと云う間に3月になりましたね。今年は東京は大雪がふらないで助かりました。しかし火事の多いのには困ります。我々も火事には気をつけていますが、皆さんもどうぞ万全の御用心を。
7704:◇病理学会で岡山に行ってきました。難波君や佐藤君には大変お世話になりました。ありがとう御座いました。佐藤君の新しい研究室も見せてもらいましたが、きれいに改装されていたのでびっくりしました。難波君には小豆島に連れて行ってもらいました。寒霞渓のスカイラインは初めて通りましたが、すばらしい眺めで、感激して讃岐うどんをたべた上、カレーライスまで食べて、昼寝までしてしまいました。 ◇東京はこのごろ天候が転々と変り、今日は青空に夏のような雲が浮いています。私の家では58年ぶりに鯉のぼりがひるがえっています。
《巻頭言》
Muntiacus muntjak(ほえじか)
これはインドホエジカとも呼ばれるが、染色体数が♂7本、♀6本という、細胞学者にとっては、こたえられない動物である。
第1回の培養は1976-3-3:♂より、血液細胞、耳、内股皮下組織であった。第2回は1976-8-15:死産した胎児を動物室で凍結してしまった。8-21にそれをとかして培養したが、やはり増殖はおきなかった。
第3回は1977-4-4.am11:40出産、4-5.pm2:30新生児をネムブタールで眠らせて開腹;心、腎、肺、胸腺、膵、胃、膀胱、脾、胸骨、皮下の諸組織をとって培養に移した。恐らく♂と推定される。材料の分配は班員に限った:梅田、榊原、乾、加藤、永井、山田、勝田であった。同日夕方、親の♀は死亡した。親♂は返還するように手配した。腎は上皮様の細胞が活溌に増殖している。これはすぐにも実験に使える。胃はbacterial
contaminationを起してしまった。脾は形質細胞株の形態を示す細胞がふえている。胸腺は細網細胞様の細胞が増殖している。肝は残念ながら大変のぞみ薄である。
7705:◇医科研の庭も桜が散り、そのあとのつつじももう盛りをすぎて、すっかり初夏の装いとなりました。 ◇成田空港もごたごたして厭ですね。しかし本音をはくと、出国にも出迎えにもあんな所まで行くのはうんざりですね。 ◇この頃は高岡君がすっかり顕微鏡映画付いて、撮影は勿論のこと、編集までやっています。 ◇第12回班会議は7月頃にしたいと思いますが如何でしょうか。それから来年度の申請をどうするかも御相談したいと思います。 ◇勝田家に58年ぶりに鯉のぼりがひるがえり、研究室の皆さんにおいでを頂いて鑑賞しました。
7706:◇上記のように当班からの癌学会への出題がきまりました。 ◇いよいよ梅雨に入って、むし暑くていやな天気ですね。身体に気をつけて下さい。
7707:◇いよいよ本格的な夏に突入しましたね。私は毎朝“母と子の水泳教室”というNHKテレビを楽しんでいます。水泳の教え方もずい分進歩しましたね。我々も培養の教え方をもっと改良せねばならぬかと痛感します。
7708:◇来月の培養学会と国際シンポジウムの準備も大分進行しました。プログラムもでき上り、会員に発送しました。しかしおどろいたことに、郵送料が9万余円でした。会場もここの講堂の椅子を全部修理し、演壇の大きな机も取払い、トイレも改修しました。問題は250名収容のところに300名もきたりしないか、ということです。Abstractは写真製版にしました。校正の手数がかからないからです。記念品は全部で100余万円です。
《巻頭言》
癌研究は不要か?
先般癌の班長会議が開かれたが、癌研究グループに対する一般の反感の激しさから、癌研究に対する批判がかなり生まれていることが判る。
1)これまで、がん、自然災害が“特別研究"であったが、こんど環境科学というのが特定研究から昇格して特別研究になった。これは工学、無機化学のchemistsなどが中心となる。
2)癌関係では“総括班"というのができて、内部では桜井氏、梅沢氏んどが化学療法にあたり、放射線の梅垣氏もこれにあたる。外部では山村氏、橋本氏などがあたる。結局グループ別に総括委員を設けることになる。この場合の“総括"とは“批判"のことである。各グループは3カ年間の計画を桜井氏に提出する。(審査はしない)。
なお特Iの研究は3年間毎とし、50%はproject研究、50%は従来と同じとする。特 は従来と同じ形式とする。
Project研究というのは一部のボスが自分で考えた愚案を提出するだけのものであり、厚生省システムに近い。
研究成果の批判ということは、私がかって吉田富三先生に提唱したが入れられるところとはならなかった。判定がむずかしいというのである。こんどの連中は果してどんな構想をもっているであろうか。しかしこれよりもprojectの方にもっと問題がある。どうせ禄でもないideaを出すのに決まっている。Research
projectというものは、ごく大まかなものにしておかなくてはならない。こまかいprojectは研究者にまかせるべきである。さもないと厚生省の例のように、一部のボス連の金のとりっこに終るであろう。
7709:◇とにかくくたびれました。学会の次の日など昼寝を4時間余にわたりねむりこけました。そのあとも数日間は2〜3時間の昼寝をせざるを得ない状況でした。皆さん、本当に御援助をありがとう御座いました。
《巻頭言》
INTERNATIONAL SYMPOSIUM “SUTRITIONAL REQUIREMENTS
OF MAMMALIAN CELLS IN TISSUE CULTURE"
無事に終了:
さる9月26日の日本組織培養学会例会につづき、翌27日に国際シンポジウムが開催された。これは各方面からの経済的援助に支えられて開催できたもので、そのほか数多くの方々の陰の援助を頂いた。これは大変ありがたいことだった。
お陰様で学会もシンポジウムも大変スムースに成功裡に終りました。本当にありがとう御座いました。
総参加人員数は会員98人、非会員89人で合計187人。この内で開催を手伝って下さった方は、癌細胞研究部10人、その他の機関の方16人で合計26人。
人数があまり多いと医科研の講堂では収容できず、大変なことになると心配していたのですが、頂度良い位の人数におさまってほっとしました。
講堂の改造、カーテンのとりかえ、トイレの洋式便器、手洗いの手拭紙、その他色々用意しましたが、ホテルの部屋を借りたりすると1日100万円近くかかりますので、とても無理でした。
ふりかえってみて、とにかく無事にどれもうまくすりのけて済んだような感じです。
7710:◇この秋は途方もなく忙しくて、次から次と、諸々の準備がおくれてしまいました。この間やっと9月号の月報を出したと思うと、もう10月号です。アゴを出しかけました。 《巻頭言》
木下良順教授逝去される:
木下先生は東大医学部出身で病理学の専攻であった。和歌山県の出身で、北海道大学教授を経て、昭和9年阪大医学部(病理)教授、22年には大阪市立医科大学学長を併任、奥さんが外国人であるが、第二次大戦前に奥さんがすでに危機を予知して、食糧、衣糧その他を買いためておられ、戦中、戦後の苦難時を突破することができた。これで以後、木下先生は奥さんに頭があがらなかったといわれる。昭和24年に渡米され、カリフォルニア、ロサンゼルスの郊外に“City
of Hope Medical Center"を作られ、所長として癌の研究に熱中された。以後日本人の留学生を多数引きとって面倒をみられ、例えば大野君、掛札君のような逸材が輩出した。阪大時代にはButter
Yellowによるラッテ肝癌の発生などで有名であった。39年から同研究所の名誉所長であった。その後脳溢血になられたが、かなり軽快した。しかしこの9月7日午后1時半、直腸ガンのため逝去された。
7711:◇今年の秋は変な秋で、なかなか秋にならない内に立冬になりましたね。
◇組織培養学会も国際シンポジウムもピタリと決まって、うまく行ったので全くほっとしました。これでもうこんなお役をしょわされることはないでしょうね。参加者もちょうど会場一杯で助かりました。多すぎても少なすぎても困るところでしたからね。
7712:◇いくら待っても抄録をよこさない人がいるので、今月号は大分おくれました。◇1月号は感想文のようなもので結構ですから、1月7日まで届くようにおねがいします。◇急に冬型気象になって寒いですね。今年中に片附けようとする仕事が重なってフーフー云っています。どうぞ良い新年をお迎え下さい。
7801:◇52年度の経理資料を2月20日までに送って下さい。 ◇先日は東京に21cmの雪が降り、街はすっかり静かになりましたが、夕方にはほとんどとけました。しかしやはり寒に入ると戸外は寒いですね。 ◇次の、そして最後の班会議は2月2日(木)am9:30〜pm?報告は短かに切り上げて、あとは大いに呑みましょう。私の誕生日ですから。
《巻頭言》
新年おめでとう
今年は私の年(ウマ)で、還暦となります。そしてこの班の月報で新年のあいさつをお送りするのは、これが最後です。大変残念なことですが仕方ありません。皆さんはまだ年に余裕があるでしょうが、定年なんてものは、あっという間にやってきますから、油断しないで、しっかり仕事をつみ重ねて行って下さい。本当に時の経つのはすばやいものですから。私が伝研にきたときの教授は宮崎先生で、55才のころ狭心症で急逝され、このとなりの癌体質研究部の斎藤教授は定年の半年位前に脳溢血で倒れ、いずれも仕事の最後のまとめができなかった。お陰様で私はいままだ元気ですのでなんとか後片附けができそうです。皆さんの御協力を深謝します。
7802:◇2月末日までに3月号用の原稿を送って下さい。これが最終号になるわけですから感想文を主体にして、おくれないように送って下さい。有終の美ですよ。
7803:
《巻頭言》
さようなら号:
長い間続いた研究月報も、今号でいよいよ廃刊です。忙しいなかを皆さんよく書いて下さいましたね。大変な努力でしたが、お互の研究のうえに裨益するところは大きかったと思います。この号で勝田班は事実上解散です。これでも癌研究班の内では永く続いた方です。 みなさん、よくやって下さいましたね。仕事というものは、やはり適当なところで一区切をつけるべきものでしょう。また若い研究者たちが力を合わせてその上のStepに進んでもらいたいものです。
思い返してみますと、1959年に初めて班を申請したところ、その内の3人だけが放射線の班に組込まれた。その次の年にまた申請したところ、ウィルスの釜洞さんと半分宛の合成班が認可されました。1961年からは遂に組織培養研究者だけの、しかも全員助手級のメンバーから成っている綜合研究班として勝田班が発足しました。
これらの研究は“Carcinogenesis in tissue
culture"のシリーズとして今日までに28篇が発表されました。その抄録集は主な班員にはお送りしました。癌をなおすところまで行きつけなかったいま、まるで甲子園の土を拾って帰るような気持ですが、とにかくうちの班はよくやりました。また次の戦を考えましょう。
『次回の班会議:
とき :1978・4月1日
ところ:某所の桜の木の下
各自ウィスキー1本宛御持参下さい。抄録は要りません。』
編集後記:◇とうとう最后の後記を書くことになりました。終後記とでも呼ぶべきでしょうか。まことに感無量です。椅子もすり減るわけです。 ◇私の部屋では、野瀬君は富山へ、許君は癌研、テクニシアンの中尾君はカイノスという会社の研究所へ、私と高岡君は某所(はっきり決まり次第お知らせします)へ、とわが研究室は崩壊に瀕しています。しかしそれで良いのです。変に人がつまったまま次代に渡すということは困りものですから。◇東京も桜がずい分ふくらみ今にも咲き出そうかというところです。海軍の歌ではないが“咲いた花なら散るのは覚悟見事散りましょう、国のため”オワリ。
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勝田 甫 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
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高野 宏一 ◎ ◎ − − − − − − − −
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遠藤 浩良 ◎ ◎ ◎ ◇ − − − − − −
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奥村 秀夫 ◎ ◎ ◎ ◇ ◎ ◎ − ◎ − −
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高木良三郎 ◎ ◎ ◎ − − ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
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伊藤英太郎 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ − − − −
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堀川 正克 − ◎ ◎ ◎ − − ◎ ◎ ◎ ◎
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山田 正篤 − − ◎ ◎ ◎ − − − − −
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佐藤 二郎 − − ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
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杉(高木代理)− − − ◎ ◎ − − − −
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黒木登志夫 − − − ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ − −
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土井田幸郎 − − − − ◎ ◎ − − − −
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安村 美博 − − − ◇ ◎ − − − ◎
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高井新一郎 − − − − − ◎ ◎ − − −
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堀 浩 − − − − − ◎ − − − −
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三宅 清雄 − − − − − − ◎ ◎ ◎ ◎
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螺良 義彦 − − − − − − ◎ − −
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及川 淳 − − − − − − ◎ − −
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藤井源七郎 − − − − − − ◎ ◎ ◎ ◎
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永井 克孝 − − − − − − ◎ ◎ ◎ −
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吉田 俊秀 − − − − − − − ◎ ◎
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山田 喬 − − − − − − − − ◎
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梅田 誠 − − − − − − − − ◎ ◎
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安藤 俊夫 − − − − − − − ◎ ◎ ◎
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下条 寛人 − − − − − − − − −
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難波 正義 − − − − − − − − −
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滝井 昌英 − − − − − − − − −
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佐藤 茂秋 − − − − − − − − −
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乾 直道 − − − − − − − − −
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野瀬 清 − − − − − − − − − −
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山上 裕司 − − − − − − − − −
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翠川 修 − − − − − − − − −
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加藤 淑裕 − − − − − − − − −
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久米川正好 − − − − − − − − −
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遠藤 英也 − − − − − − − − −
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常盤 孝義 − − − − − − − − −
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榊原 耕子 − − − − − − − − −
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関口 守正 − − − − − − − − −
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