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ヒトプロト型c-Ha-ras遺伝子を導入したトランスジェニックマウスを用いた
短期発がん性試験系開発の試み



浦野 浩司 ((財)実験動物中央研究所)
山本 慧  (慶大・医・薬理)



 発がん性試験は、医薬品の安全性を評価する上のみでなく、環境中のがん原物質の探索をする上でも欠かせない項目である。現行の発がん性試験はラットおよびマウスを用いて行われているが、多数の動物を必要とし、2-3年という長期間に及ぶため、膨大な設備、経費ならびに多くの専門研究者/技術者を必要とする。更に発がん性試験の結果如何によっては、長年にわたる開発の努力とそれに要した経費が無駄になることもある。一方、発がん性評価における変異原性試験等の in vitro 試験法は現時点では補助的な手段にとどまっている。また、実験動物の福祉/愛護の面からも多数の動物を用いる試験法は改善することが望まれている。そのため、できる限り短期間でヒトにおける発がん性を的確に評価できる試験法を開発し、実用化することは、新薬開発の効率並びに環境中のがん原物質探索の効率を高める上で極めて重要といえる。1995年のICH-3に於いても現行のマウスによる長期試験は廃止し、それに代わる短期試験法の開発の重要性が提唱されている。
 短期発がん性試験法を開発するには、がん原物質に感受性の高いモデル動物が必要とされる。各種のがん遺伝子を導入したトランスジェニックマウスやがん抑制遺伝子を欠失させたノックアウトマウスはそのモデル動物としての有用性が期待される。現在、我々はヒトがんにおいて比較的高頻度に活性化がみられるがん遺伝子、すなわちヒトプロト型c-Ha-ras遺伝子を導入したトランスジェニックマウス(CB6F1-TgHras2マウス、以下Tgマウス)を用いた短期発がん性試験法の開発を試みている。本プロジェクトは、現在進行中であるが本シンポジウムでは現在までに(財)実験動物中央研究所において行われた発がん実験の結果を中心に紹介する。
 2年間にわたる長期発がん性試験により、その発がん性の有無が明らかになっている化学物質を中心に(変異原性があり、且つ発がん性があるもの、変異原性はあるが発がん性がないもの、変異原性はないが発がん性があるもの、変異原性も発がん性もないもの)28物質についてTgマウスを用い26週間(約6ケ月)にわたる発がん実験を計画した。1996年10月現在、14物質について発がん実験が終了している。
 各実験には、Tgマウス80匹(雌雄各40匹)、Tgマウスと同腹で、ヒトプロト型c-Ha-ras遺伝子が導入されなかったマウス(以下non-Tgマウス)80匹(雌雄各40匹)の計160匹を使用した。投与量、投与経路および投与頻度は原則としてNTPによる長期(2年間)発がん実験に準じて設定した。マウスが7週齢に達した時点で実験を開始し、Tgおよびnon-Tgマウス共、雌雄別に、原則として低用量群15匹、高用量群15匹および対照群10匹として各化学物質を投与し、26週間観察した。実験途中で死亡した個体については発見時に、その他の個体については実験終了時に剖検し、標的臓器および主要臓器における腫瘍の発生を観察した。肉眼的に腫瘍が認められた臓器および標的臓器については組織学的に検索し、一部の腫瘍については導入遺伝子の変異も解析した。その結果、Tgマウスは種々の変異原性がん原物質に対しnon-Tgマウスに比べ明らかに感受性が高く、より早期に、より悪性度の高い腫瘍を形成することが示された。また一部の非変異原性がん原物質に対しても明らかに高い感受性を示した。生じた腫瘍の大部分は従来標的臓器として知られている臓器に認めれられたが、多くのがん原物質により、肺(腺腫、腺癌)、前胃(乳頭腫、扁平上皮がん)、または脾臓(血管腫、血管肉腫)などに腫瘍が誘発された。なお、実験終了時(33週齢)には自然発生腫瘍はほとんど認められず、ごく少数の肺腺腫または血管腫を認めるのみであった。一方、肝腫瘍の発生頻度は極めて低く、いわゆる肝がん誘発物質によっても肝腫瘍は認められなかった。腫瘍に於ける導入遺伝子の点突然変異の有無を検討したところ、点突然変異の有無は臓器並びに腫瘍の種類に依存することが明らかとなった。現在までに得られたこれらの知見よりCB6F1-TgHras2マウスは、短期発がん性試験法開発の上で有力なモデルになりうることが示された。