【勝田班月報・6407】
《勝田班長》
[月報第50号発行記念号]
 我研究チームが毎月発行している研究連絡月報も、いつの間にか本号で50号と通算されるに至った。この機会に一度、我々の歩いてきた路(それはまっしぐらの一筋の路であったが)を振返ってみることは、今后の進展のためにも、非常に有意義であろう。
 いま、月報ファイルのNo. を開いてみると、月報第1号は、No.6001、1960-6-17発行となっている。その巻頭に、月報を発行するに至るまでの我々グループの歴史が簡単に記されているので、ここに再録しよう。勿論これは文部省の研究班としての歴史で、我々の共同研究の歴史はそれより遥かに古いことを附言しておく。
 “癌研究班に於ける組織培養研究グループ”の歴史:
 癌研究に組織培養がきわめて有用の研究法であることは当然であるにも拘わらず、昨年度以前はこの班に1名も組織培養研究者は参加していなかった。そこで昭和34年度の綜合研究の申請にあたって、勝田を中心にして組織培養研究グループが新班編成を計画した。 しかしこの申請は全面的には認可されず、癌研究班の内の放射線研究グループに、勝田のみを収容しようとしたので、その他に高野宏一(現在在米)、奥村秀夫(当時、東邦大、解剖)、の両名も収容してもらい、各員10万宛の研究費(勝田は後に5万円追加)をもらって発足した。この班における3名の立場は全く自由であり、放射線の仕事を考慮に入れる必要、義務は全く負わされなかった。昭和35年度編成にあたり、新たにウィルス研究者と組織培養研究者とを合わせて一つの班を作ることになり、上記3名がそちらに移ると共に、さらに3名(遠藤浩良、高木良三郎、伊藤英太郎)を加え得たのである”
(このウィルスとの寄合世帯は釜洞班と呼ばれていたが、1年后の昭和36年度には分離独立して、組織培養だけの班を結成することができた。)
 月報の第1号→第3号は、Ditto刷りで、あまりきれいな出来上りではない。第1号を繰ってみると、“組織培養内悪性化のための研究”という言葉がすでに現れて居り、そのためにまず正常の細胞株を作ろうと計画している。当時としては仕方のない考え方であろ。う。高野班員は細胞の凍結保存のテストをはじめている。高木班員は腫瘍組織のマイクロゾーム、リボ核蛋白、デオキシリボ核蛋白などの分劃を抽出し、これを正常由来の細胞の培養への添加を試みている。
 なお組織培養内発癌研究の発表として、一連の総合題名を付けることが、このとき既に決められている。第6002号で面白いのは、細胞の腫瘍性はさることながら“正常性”とは一体何かと皆で論じあっていることです(寄稿)。このころ、株細胞は原組織の特性を保持していることがある、として、JTC-4、JTC-6などについて膠原質産生能を共同でしらべ、連名で癌学会に発表しました。遠藤班員は勝田との共同研究として、HeLaを用い、性ホルモンの影響をしらべはじめている。奥村班員はLやHeLaの無蛋白培地亜株の染色体分析をおこなっている。第6004号(9月)からはAgfaのCopyrapid判で月報を作りはじめたので、現在よりもきれいなcopyが得られている。昭和35年9月3日、伝研で行われた組織培養グループだけの第1回の班会議の速記が第6004号にのっている。毎号一人で書くのにうんざりして、各班員のかいた原稿をまとめて綴じるようになったのは、第6005号からである。そして第1回の月報寄稿星取表もこの号に現れている。このころ、勝田はL・P1のアミノ酸要求をしらべて居り、高木班員は腫瘍分劃をJTC-4に加えて悪戦苦闘している。第2回の班会議は12月20日、癌学会の翌日開かれ、報告と例年度の申請について相談している。
 月報ファイルNo. は、1961・1月からで、この巻から初めて年12册宛揃い出した。昭和36年度は(組織培養による正常及び腫瘍細胞の研究)という総合課題名で、班員は7人(勝田、遠藤、奥村、高木、伊藤、高野、堀川)。ここに初めて勝田班として組織培養が完全独立した。堀川班員は大学院を卒業して放医研に移った年である。第6102号には、勝田がはじめてParabiotic cultureについて報告している。高木班員は(PVP+LYT)の培地を用い、添加したRNA分劃のJTC-4による消費をしらべている。高野班員は殊に腫瘍のcrude extractを与えている。この年度から年5回の班会議がはじまり、第1回は5月14日、阪大癌研でおこなわれた。この第1次勝田班の研究目標は三つに大別され、1)培養内発癌、2)正常・腫瘍細胞間の相互作用。3)正常及び腫瘍細胞の特性の比較であった。1)でも2)でもないのは3)に入った訳である。研究費は120万で各人15万宛、高木、伊藤両班員の旅費が6万円、中央費9万円であった。班会議では発癌実験のための詳細な分担が決められたが、結果的には少数の班員がこれを実行しただけであった。この年は、勝田は正常・腫瘍間の相互作用の研究に全力をあげ、発癌に用いるための正常ラッテ肝細胞の培養の研究もおこなっている。高木班員は前半はRNA分劃の添加を粘っていた。堀川班員はL株を使って、色々な耐性を作ったり、耐性細胞の発現機構をしらべている。高野班員は10月30日、米国に“帰った”と記載されている。この年、勝田は4NQとラッテ肝を組合わせたが面白い結果が得られず(DABとラッテ肝)に変えたところ、年度の終りに近くなって、俄然DABによる増殖誘導の事実が見出され、大いに活気がついてきた。
 月報ファイルNo. (1962)の第1号の1頁に“班会議のあと全部を一人で書くのはかなわないから、自分の演説の分は自分でかいてきてくれ”と記してある。よくこれまで辛棒したもの、と今にして思う。この年から佐藤、山田両班員が加わり(高野班員と山田班員と入れ代り)、計8人で160万円にふえている。但し昨年度の“悪平等”にこりて、この年の配分は、15万円、10万円、5万円と3段階を作り、あとは成績により第2次配給という制度に変っている。
 高木班員はJTC-4にDAB、ハムスター腎にStilbestrol、・・・色々の組合せで頑張ったが、渡米のため11月で中途挫折してしまった。あとは杉氏がバトンタッチして今日に至っている。佐藤班員は呑竜ラッテにDAB、メチルDABでenergischによく働き、いずれも増殖誘導のおこることを見出している。堀川班員は京大に移り、Lに他の核を貪喰させる仕事をはじめている。奥村班員は凍結保存による細胞の淘汰の問題を染色体分析によってしらべ、遠藤班員は相不変HeLaとホルモンをしらべている。勝田はDABで増殖を誘導したラッテ肝に、さらに第2次刺戟を色々と加えて試みたが、仲々真の悪性化に至らず、その現状を、12月4日、大阪で開かれた(発癌の生化学)のシンポジウムで報告している。
 昭和38年度は、第1次勝田班が2年つづき、発癌について何か出そうなことが判ってきたので、班を解散し、改めて(組織培養による発癌機構の研究)として、新しい班を申請することとし、班員は勝田、佐藤、山田、伊藤、堀川、杉、黒木の7人で出発した。真の意味の初登場は黒木班員である。奥村氏は勤務先の都合上、この年は入班しなかった。これまでの月報ファイルにくらべ、この年のNo. はずしりと重くなっている。熱心に仕事をやり、詳細に報告する人が増えてきたからである。勝田と佐藤班員は(ラッテ肝-DAB、メチルDAB)の組合せで奮闘している。結局この年にはまだ復元接種試験陽性の細胞変化は得られていないが。杉班員は(Golden hamster-Stilbestrol)をつづけたが成果なく、堀川班員は前半L細胞の喰作用を利用して形質転換を図っているが、10月2日にはWisconsin大学へ留学にでかけてしまった。今となってみると、班のためには非常に惜しいことであった。この年は、4月には医学会総会で組織培養の演者5人の内3人を当班が占め(しかも格段と評判が良く)、5月には佐藤班員が岡山で組織培養学会の研究会開催を引受け(癌と組織培養)のシンポジウムでは名司会と評された。新入の黒木班員はハムスターポーチを利用しての、腫瘍の異種移植の基礎的データをがっちりとしらべ上げて行った。なお、この年の研究費は210万円で、大分増額された。
 昭和39年に入り、発癌実験は俄然進展した。勝田が偶然に“なぎさ”培養で細胞の変換を見出し、その原因究明につとめ、追試実験でも同期間の5週間でやはり変換が起こり、100%ではないが再現性をたしかめた。そして前月号に発表したような、発癌機構に関する“なぎさ説”が誕生したのである。
 この知見と理論は、他班員の発癌実験にも、その計画立案に有効に生かし得るものであるし、且活用されなくてはならない。第2次勝田班も、しかし、これでどうやら看板通りの実績を上げられる見通しがついて、ほっとしたものである。
 昭和39年度は、研究費は230万円に増額された。1年休班した奥村君もまた新たに加わり、各種正常細胞を初代からcloningしてpure cloneでのきれいな発癌実験を可能にさせるべく努力してくれている。前年度后半から客員となっていた安村氏も、今年度からは正式の班員として加わったが、惜しいことにこの夏から渡米されることに急に決まった。ただ在米中の高木氏が12月頃には帰国して、ピンチヒッターの杉班員と交代されることは心強い。関口班員は今年度はじめての入班であるが、7月16日から癌センターの室長として栄転することに決まった。しかし国内のしかも東京にいるのであるから、班会議には出席できるし、月報にも8月号から寄稿することになっている。
 月報を出しはじめてから、かぞえてみると4年2月になる。その間毎年5回宛班会議を開き、月報と会議とで、たえず班員間の連絡を緊密にとり合い、励まし合ってきた。他の綜合班では班会議をせいぜい2回、よくて3回、ひどいのは1回(例えば1960のときの釜洞班)というのもある。私としては、綜合研究班というものは、こうあるべきものである−という一つのモデルをおこなっているつもりである。それが良かったか悪かったかは(もちろん各個人の能力にもよるが)、班としての成果で評価されよう。班員が互いに切磋琢磨し合うということは非常に有意義なことである上、同じ畑の、しかも他機関の研究者に自分の仕事がたえず認識されているという自覚は、孤独感によるスランプの発生を防止する。将来たとえ班の結成が許可されないような不幸(我々自身がしっかり仕事をやっていればそんなことは起らないのだが)に陥ったとしても、月報だけは少なくとも続けて行く価値があろう。
 癌研究はこれからである。発癌機構が判っても、次には治療とか予防の問題が控えている。とにかく画期的な治療でなければなるまい、ということは想像がつくが、そこでもまた我々の決死の努力が要求されるであろう。とにかく癌という代物は、少くとも我々の代で解決して、次代までこの苦労を持越させてはならないものである。そのためには、並々の努力などでは絶対に駄目である。よっぽど疲れた場合以外は、日曜でも祭日でも研究をつづけなくてはならない。家庭奉仕などは死んでからゆっくりやれば良い。(ただし、癌をやっつけられれば、これは実に大きな意味での家庭奉仕である。)
 昭和39年度もすでに1/4が過ぎた。あとで振返ってみて、あああの年はよく仕事をやったと、自分でも満足し、悔いのない年にしよう。
 今后とも班員各位の奮励努力を期待して止まない。

《伊藤英太郎》
[月報50号を記念して]
 今回で月報50号という事で、月並みな言葉ながら、月日の経つのの早いのに全く驚かされます。
 振返ってみますに班全体としては、班員諸兄の御努力によって、in vitroでの発癌という大きい問題、出発当時には見当もつきかねたような問題に、一応の道標が出来つつある事は、大変に御同慶の至りです。
 小生の個人的な成果は、全くお恥かしい限りながら、班研究の進歩に寄与出来るような結果は皆無といってよい状態で申訳け無く思っていますが、それでも私自身にとっては、不成功の繰返しであった此の間の実験からも色々教えられる事が多かったと考えています。特に此の月報或は班会議での班員の方々の御意見をきかせて戴き、討論に参加出来た事は大変に得るところが多かった事を感謝しています。
 次の記念号が出る頃には、班として誇るに足る成果が出ている事を確信すると共に、私自身としても、それに幾分でもお役にたち得るべく努力する事を改めて心に誓う次第です。
◇前回京都での連絡会でお話ししたように、今后はbtkマウス→Actinomycinの系で実験を進めたいと考えています。現在までにbtkマウス(12日、16日)についてwhole embryo→細切→Trypsinizeにより得た細胞を培養してみましたが、割合と簡単に培養出来、しかも、subcultureも可能です。きれいなmonolayer sheetを作り、mitosisも多くみられて相当活発な増殖をやっているようです。
 此れについては今度の連絡会で詳しくお話し出来るものと思ひます。

《黒木登志夫》
[偶感:病理学から細胞生物学へ]
 最近、生化学、生物物理等の前衛的生物学の分野では、将来計画、若い何とかの集いが極めて活撥のようである。しかし、病理学の分野では、そのような話は聞いたことがない。何故だろうか。それは、病理形態学が臨床医学と同じように、経験主義的な面が非常に大きいためであろう。一枚の組織標本の診断には常に経験がつきまとう。そこには大家の意見が絶対的なものとして尊重されるべき十分な理由がある。そして、伝統の重みと、形態学という技術的単純さが若手をしばりつけている。
 これに対して細菌学は、その名が示すように技術によってではなく、対象によって生きる学問であり、そこには目的のためには手段を選ばない図太さがある。それが細菌の分離同定から始って抗生物質、Virus、更には遺伝情報へとたくましく成長した源泉であろう。 生化学は、病理学と同様、技術によって分れた学問である。しかし“現在の段階では”停滞の気配すら見られない。それは、形態学とは異なり物質レベルで対象にせまり得る技術であることによるものかも知れない。しかし、いつの日か、病理学と同じような立場になる可能性がないとは云えない。
 学問の発達を歴史的に眺め、自分のおかれている位置を発見することはむつかしいであろう。歴史は本来破壊的なものでなく建設的なものである。学問を、より本質的なものへと押し進めるためには、大局的に、歴史的に、自分の位置を見定める必要があろう。武谷三男氏らのいう認識の三段階論(現象論的段階→実態論的段階→本質論的段階)から云えば、我々は今どの段階にあるのか、癌研究について云えば、恐らく実態論的段階に入りかかっていると考えてよいであろう。このような重要な位置にあるとき、技術を主とする病理形態学から細菌学のように目的を主とした学問−細胞生物学あるいは腫瘍学への飛躍が必要であろう。目的のためには手段を選ばない図太さ。しかし手段−技術−はますます細分化している。それを埋めるものとしての共同研究。云うは易しい。しかし実行はむつかしい。
《土井田幸郎》
[染色体つれづれ I]
 今から染色体について日頃考えていることを書こうというのでも、又最近話題になっていることを網羅し解説しようというのでもない。月報も50号を算え、それを記念して何か一頁分だけ書くように勝田先生から連絡を戴いたので何か書くことはないかと思案の上、班会議出発の前夜(延期になったの本日まで知らなかったのだが)に至ってかくなる表題で書くことにしたのである。私自身はそうだと思っていないのだが、諸賢兄は私を少しばかり知っている人同様、私を染色体屋だと認めておられるのだろうから、この題は私にとって無縁ではなからう。しかし動機が動機なので、書くことに秩序もまとまりも充分な思想も入ってないし、又分責も持てない。とあっては勝田先生も心配で掲載する気持にもなれないかも知れません。その時は容赦なくカットして頂いて結構です。しかし筆此処に至って意外にいい題だし、今後のこと(即ち月報用のデータのない時のこと)もあるので、一つ続けてやろうかなど、いささかの色気も生じ、そのため表題のあとにIをつけることにした。 ☆1 染色体は遺伝子の担い手である。生きとし生けるすべての細胞、生物の生活活動につながる情報の根源は疑いもなく染色体から生じる。形態、機能の両面に究めども盡きぬ魅惑の宝庫を内蔵している。歩一歩その扉を開きたいものだ。
 ☆2 染色体の研究は荒漠たる原野にあるの想いを私に感じさせる。地平に日は昇り沈む。原野における楽しみ、それは珍奇なる動、植物の演ずる生活と行動を稀に掻間みる事か。 ☆3 人類の染色体の研究は目下臨床分野でブームを巻き起している。私も時折り、むしろしばしばか? 調査も依頼される。一枚の核型分枝の図を作るに、慣れたる人の約1日の労働を要することを知るか知らざるか。

《奥村秀夫》
 7月号で通算50号の月報を出す事を知り、これまでの並々ならぬ、勝田先生の努力と強靭なる信念に対し、心より敬意を表したいと存じます。

《勝田報告》
 §NAGISA作戦
 病理学会のころJARラッテが次々と出産したが、以后パタリと休止し、従って実験の方もパタリと進めなくなって困っている。しかしその后若干の実験は進めたので、中間報告ながら、下に記すことにする。
 Exp.No.#CN-1〜4:これについては既報下が、何れも株細胞で、CN-1からRLH-1、CN-4からRLH-2ができたが、他は1964-6-25;Frozen(著変がないため)
 #CN-5:1964-4-23;RLC-1、RLC-2を平型回転管(No coverslip)なぎさ。
1964-6-13:Subcultured→現在。
 #CN-6:1964-5-23;RLC-1・平型回転管2本(なぎさ)、TD-7 1ケ。RLC-2・平型回転管2本(なぎさ)、TD-7 1ケ。RLC-3・平型回転管2本(なぎさ)、TD-7 1ケ。RLC-4・平型回転管2本(なぎさ)RLC-5・平型回転管2本(なぎさ)、TD-7 1ケ。
964-6-13;RLH-1 cell homogenate(染色体suspensionのつもりだったが)を平型管1とTD-71とに少量添加。RLC-2とRLC-5は6-15、RLC-1とRLC-3は6-13、RLC-4は6-24に固定染色した。貪喰能の比較のためである。
 #CN-7:1964-5-25;Praimary culture of trypsinized liver from a 2-day JAR rat
(F21)。TD-40 2ケ。1964-6-9;Subcultured→平型回転管 10本。
6-18;Addition of H3-thymidine into 2 tubes(1時間処理と24時間処理の2種)。
6-25;Addition of H3-thymidine into 2 tubes(1時間処理と24時間処理の2種)。なぎさ部とシート部のDNA合成能の比較のための実験。
 #CN-8:1964-5-27;Primary culture of trypsiized liver from a 4-day JAR rat(F21)Roller tube 2本。6-18;Subculture→平型回転管3本。
6-23;Addtion of killed water vibrio。6-24;Stained。
Phagocytic activityをNagisa部とSheet部とで比較するために、この実験ではvibrioを使ってみたが、結果的にはこれは小さすぎて見にくかった。
 §RLH-2の培養経過
 Exp.#CN-4のRLC-2の1本からRLH-2が生まれたことについては既報したが、その経過を詳しく記すと次の通りである。
 1964-3-20;Initiation of NAGISA culture.RLC-2 cells in flattened roller tubes with coverslips. 4-3;Cinemicrography of a coverslip(なぎさの生態の観察のため).4-9;Cinemicrograph of a tube from which the coverslip had been discarded(同上).4-19;Formation of a colony of new cells was found. 5-20;Subcultured to a flat-tened roller tube and two roller tubes. 5-27;Addition of 10% rat serum into a roller tube containing 20% CS and LD. 6-3;Subcultured.6-18;Subcultured.
 RLH-2は位相差での形態はRLH-1によく似ているが、性質はかなり異なるらしい。特に栄養要求に於て異なるらしいことは、この(20%CS+0.4%Lh+D)という培地できわめて増殖のおそいことから推定できる。増殖がおそいので、いまだにRLC-2と混在して居りCloningか何かで分ける必要がありそうである。従ってまた染色体分析には非常に困難をきわめ、Mitosisが少い上、たとえあったとしても、それがRLC-2のではなくて、本当にRLH-2のである、と断定することもできない。現在までに10ケのCountingをおこなったが、41本・2、41〜42本・1、42本・5、70〜75本・1、約140本・1という成績である。41〜42本というのはおそらくRLC-2と考えると、70〜75本というのがRLH-2かも知れない。とにかく現在としては、何とかしてRLH-2の増殖率を向上させるような培地を探求する必要があると思われる。なお上記継代中でRat serum 10%を追加した群は細胞がやられてくるので、3本を2本にした。

《黒木報告》
 Hamster cheek pouch内移植法の基礎的検討 第14報:RLH-1細胞の移植(1)
 NAGISA OPERATIONにより生じた細胞RLH-1の腫瘍性検討の一つの“試み"として、Hamstercheek pouch内における増殖性をみてみました(Exp.226)。
 [細胞]
 1G:4月23日、抗研へ、直ちにフラン器へ。2G:4月24日、小角ビン2本へ植えかえ。培地(1)・(古い培地1.5ml)+(LE+20%BS 1.5ml)、(2)・(古い培地1.5ml)+(Eagle+1.0mM pyruvate+20%BS 1.5ml)。3G:4月28日、小角ビンへ植えかえ(培地量5.0ml)、
(1)・Eagle+10% BS、(2)・Eagle1+1.0mM pyruvate+20% BS)、どちらもgrowthよい。4G:5月1日、平角ビン(培地10ml)へ植えかえ、培地は10%BS+Eagle、5月3、4、5、6、7、学会のため増殖を検討出来なかった。5月9日、増殖悪いが培地交換。5月14日、依然として増殖悪い、培地を10%BS+Eagleから20%BS+1.0mM pyruvate+Eagleにかえて培地交換。5月20日、同様の培地で培地交換。5G:5月22日、Rouxビン(培地量50ml)に植えかえ。培地は20%BS+1.0mM pyr.+Eagle。25日、28日、培地交換。5月29日、Hamsterへ移植。
 10%BS.Eagleで増殖がよいので、それで植えかえたところ、次の代で細胞がへばったためと思はれます。培地は20%BS+1.0mM pyr.+Eagleの構成のものがよいようです。(血清量、pyruvateのどちらが効いているのかはわかりません)。なお、全てpipettingにより細胞を剥離し、EDTA、酵素は用いていません。
 [結果]
 実験ノート(腫瘍の大きさ:原寸大)をそのまま写します。御検討下さい(図を呈示)。
 Hamster cheek pouch内で“腫瘤"を作ることは明らかです。特にコーチゾン処置動物ではその“腫瘤"を長い間維持しています。これが今后どのように変化するか、興味をもって観察しているところです。問題はいくつかあります。(1)この腫瘤は移植された細胞によるものか、(2)1万個以下の細胞数で腫瘤を作り得るか(一応Foleyの基準に従うとして)、(3)Hamsterの腫瘤をRatに移植したらどうなるか、(4)RLH-1はHamsterの移植成績のみから考えて悪性といい得るか、等で、うち(1)(2)は現在実験の準備中です。2週間后の班会議のときはもう少しDataが出るかも知れません。

《佐藤報告》
 呑竜系ラット肝を細切し組織培養を行い、DABを投与すると増殖の誘導がおこる。然し残念な事に1μg/mlの投与では長期連続投与して、も発癌(呑竜系新生児脳内接種)はおこらない。1μg/mlで長期継代は可能であるが、No.6405に記載した様に1μg/mlの例では形態学的な変化は少ない。株化した肝細胞に更に高濃度でDABを投与(10μg/ml)すると核の異型性が現れて来る。核の異型性が出現することが組織培養上発見される事と、動物に移植して癌性を現わすこととparallelかどうかは明らかでないが、勝田班長の実験から察すると細胞質内RNAの増加現象と併せて少くとも組織培養上での発癌の大きな目安となると考えられる。勝田班長は“なぎさ作戦"が再現性があり、発癌の一つの過程を形態学的にとらえたと考え、その分析を実験的にすすめている。私は呑竜系ラット肝←DABの系において“なぎさ作戦"で現われる異型性のある細胞出現の類似現象をみつけようと試みている。即ち月報No.6403に記載した様にC.44(生后24時間以内の肝)で10μg/mlを交代投与すると増殖する新生児ラット肝細胞から1/5の割で増殖する細胞が出来る−現在4代継代中で性状の検索中−。このC.44の場合には10μg/ml連続投与では細胞がすべて比較的早く壊死してしまう。上記のC.44に比較してC.45(生后40日)で同様の実験を行うと肝細胞は10μg/mlの連続投与にも耐える様である。然し143日の投与においても増殖細胞は現われなかった。C.44、C.45の二つの実験からDAB→ラット肝でPrimary Cultureで細胞核変型を現わす可能性は比較的若い(生后10日以内)ラット肝を用いて5μg/ml程度のDAB量において起りさうだと思える。
 次に呑竜系ラット生后53日、同腹ラット6匹に実中研の固型飼料(DAB含有)を与え、44日后、57日后、79日后及び107日后に夫々肝臓をとり型の様に組織培養を行った。
 ◇C52、DAB飼料投与44日、DAB量898x0.0006=0.5388g。1964.3-26 屠殺日ラット生后97日。経日的にギムザ染色を行うと共に、2/15は第9日新生児ラット脳内接種(腫瘍-)、2/15は第11日 ラバークリーナーでガラス壁よりはづしメッシュで濾過して継代(増殖-)。
第6日観察で大小不同の肝細胞が認められ、一部ののもは増殖傾向があると考えられたが第44日観察で残存試験管5本中0/5であった。
 ◇C.53、DAB飼料投与57日、DAB量1228x0.0006=0.7368g。1964.4-8=0日、屠殺日ラット日齢110日。経日的にギムザ染色を行うと共に、2/15は第16日に継代し現在第78日増殖中。2/15は第17日に新生児ラット脳内2匹、腹腔内1匹(共に腫瘍-)。第18日より第78日の現在まで残り5本中3本は上皮様細胞が増殖中。
 ◇C.57、DAB飼料投与72日、DAB量1247x0.0006=0.7482g。1964.4-23=0日、屠殺日ラット日齢125日。第16日 1/14、第22日 4/14、第31日 5/14。
 ◇C.58、DAB飼料投与79日、DAN量1288x0.0006=0.7728g。1964.4-30=0日、屠殺日ラット日齢132日。第14日 4/14、第24日 5/14、第44日 5/14。
 ◇C.60、DAB飼料投与107日、DAB量1731x0.0006=1.0386g。1964.5-28=0日、屠殺日ラット日齢160日。第13日 3/14、第27日 4/14。
 以上DABを投与された呑竜ラット肝より組織培養を行うと明かに上皮様の細胞のコロニーが現われる。我々は正常呑竜系ラットからの組織培養では少くとも生后30日を経過した場合には上皮様細胞との増殖を見ていない。従ってDAB投与によってラット肝が培養における増殖能を獲得して来たと考えられる。上記増殖細胞の形態については次の班会議に報告の予定である。

《杉 報告》
 golden hamster kidney−stilbestrol:
 前回報告の続き(新しくstartしたものなし)
 stiblestrolの繰返し作用:
生后24days♂、第3代(初代より24日目に第3代にsubcultureしたもの)。10μg/mlを初代 3日間、第2代 3+3日間作用。更に第3代 34日間作用。以後増殖が落ちたので正常培地に換えたが、RTの数も少いのでsubcultureする程に至っていない。
 testosteroneを作用させることについては、動物実験でhamsterにstilbestrolを与えてkidney tumorを作る場合、それがmaleにしか出来ないということの関連において興味があるが、その前にHeLa細胞でtestosteroneとstilbestrolの拮抗作用をみた実験の追試をしてみる様に示唆されたので、我々のやり方で実際に用いている薬剤についてもそれがいえるかどうかをやってみるため現在細胞を増やして準備中。
 mouse skin−4NQO:
 まだ一回しか試みていないが、mouseのskinから実験に必要な程の大量のcellを取り出せなかった。そこで発癌実験にはならないが同じmouse originで既に株になっているLを使って4NQOを作用させてみた。
 濃度は一応10μg/mlから10x稀釋で0.001μg/mlまでで行ったが、保存用の株細胞を短期間で無理に増殖させて行ったせいかgrowth curveがうまく出ず、結局あわててdataを出そうとあせったのが失敗に終った。しかし、傾向としては1μg/ml、10μg/mlはcontrolに比べて障害がある様に思われた。従ってprimaryで細胞が少量しが出ない場合はこれを参考にして、比較的うすいところを重点的にやりたいと思っている。

《奥村報告》
 培養細胞のゲノム(GENOME)分析の研究
 はじめに−全べての生物体に生命現象を持続するための遺伝的基本単位としてgenomeがある。そして比較的高等な生物ではそのgenomeが顕微鏡(光学)下で観察できる明確な染色体の基本型として捉える事が可能である。もし、このgenomeが何かの原因で欠失したり、或種の異常を起すと、生物体は生命現象を維持出来なくなると考えられてきた。この多細胞生物に見られる現象を出発点にして培養株細胞の場合を様々に憶測してみると、やはりin vitroで正常分裂を続け同型の核型をもつ細胞を産み出し、長期間単細胞として生命現象を持続している株細胞にも、やはり“genome"又は“genome-like pattern"が存在し得るであろうという結論を出さざるを得ない。私が1958年5月中旬からそのgenome分析の第1回の試みとして、HeLa細胞の母集団から出来るだけ染色体の少ない少ない細胞を分離する実験を行った。その時は或程度(というのはcloneのpurityが非常に低かった)成功したかに思ったが、なかなか思う様に仕事が進まず断念し、其后機会ある毎に種々の細胞を用いて“minimum chromosome number"の細胞を分離しようと試みたが、研究する上の諸々の条件から持続できずに今年に至った。しかし、本年2月上旬に他の目的でJTC-4細胞の染色体標本を作っていた時に非常に染色体数の少ない細胞を見出し、再びこの種の仕事に着手した次第です。私は少くともずばりgenomeの検出が出来ずとも或る細胞集団の中にある基本的最少単位の染色体型を知り得るだけでも大きな意義があると信じています。その理由は多数あります。以下JTC-4細胞からの最少染色体数細胞の分離経過をお話しします。
 1. JTC-4細胞の培養方法
 培地:modified 199+calf serum 20%
 細胞分散:0.02%EDTAと0.05%trypsin(いづれもCa、Mgを含まないPBSで溶かしたもの)を1:1に混合した液を用いる
 継代時期:ガラス面(培養角瓶200ml容量)に80%のcell sheet作成の時
 植込み細胞数:約4〜6万個cells/mlの濃度
 2. Cloning
 現在まで3つのclone(仮名JTC-4/Y1、Y2、Y3)を分離、いづれもchromosome numberの少ないcloneであるが、現在まで分離率が悪く43cloneのうち3つという成績です。
 cloneY1:増殖率/週は3.7倍。分裂期38個の染色体数分布は24〜39(?)。
cloneY2:増殖率/週は4.2倍。分裂期67個の染色体数分布は26〜38、48〜53。
 cloneY3:増殖率/週は2.8倍。分裂期75個の染色体数分布は28〜42、53〜64。
 3. Parent stockの細胞のplating efficiecy
−7〜8%CO2 air(送り込み)条件下でのplating efficiency−
 500/dishで250〜300(約50〜60%)。400/dishで108〜45(約12〜26%)。
 200/dishで24〜8(約4〜12%)。 mediumは6mlを入れる。
以上の様な成績を得ていますが、現在もefficiencyを高めるためのmediumの条件、CO2ガス量など検討中です。なお、3w前からautoradiographyを用いて25本前后の染色体のDNA合成を分析しておりますので、7月には或程度まとまった話しを出来ると思います。
 追記:5月中旬より約2週間CO2フラン器を改造するために入院させましたので、実験もおくれてしまいました。現在略もとの調子を取り戻しつつありますので、今后一層奮闘する覚悟です。

《山田報告》
 InterphaseにおけるRNA合成度の推移:
 (図を呈示)HeLaS3細胞をばらばらにしてほとんど1個から増殖するように培養すると、48時間後には2〜8個のコロニーとなります。そこで2、4個のコロニーを選んでH3-ウリジンのRNAへの取込みをオートラジオグラフィーで調べ、これをRNA合成と考えますと、コロニー内の変動よりコロニー間の変動がずっと大きいことが判ります。このことは植込んだ細胞間にRNA合成度の変異があるためか、あるいはInterphase内でRNA合成度に一定の推移があるのか、どちらかです。そこで、まづInterphase内のRNA合成度の推移をケンビ鏡映画とオートラジオグラフィーを併用して観察してみました。現在までのところまだ予報の段階ですが、S期のはじまる前とG2期に2つの山があり、それ以外はほぼ一定(あるいは後半わづかに上昇)のようです。この結果はDNA合成がはじまると、RNA合成の抑制が起ることを示しており、何か理クツに合いすぎて、かえって慎重になっています。哺乳動物細胞のInterphase(Mitosisではなくて)のRNA合成に関する報告は調べた限り(とくにECR)、寺島君のしかありません。彼の同調培養による成績は、分裂後2〜4時間はほぼ一定で、その後徐々に合成度が増加してゆくことを示しています。しかしDNA合成が6時間培養から認められ、14時間後に最高となることから、G1-Sがいつも混在していて私たちが得たような短い期間の山は消えてしまうのかも知れないと思っております。その点、映画は細胞質の分裂(Cytokinesis)を0時間としており、5分程度の誤差ですから、このような観察には適した方法だと考えています。どなたか、この種の報告を他に御覧になったらお教え下さいませんか。

《土井田報告》
 別に力を抜いているわけではないのだが、月報に記すほど思わしいデータが出ていないので今月は困っている。
 RLH-1の染色体・・・5月中旬、医学放射線学会で盛岡に出向いている間にようやく増殖するようになったので、帰ってすぐ標本を作成したが、overpopulationであったため分裂像はみられなかった。早速一週間毎に培地の更新をしているが、遂に班会議までに間に合はなかった。増殖が急にしなくなった理由は全く不明である。
 腎臓細胞の培養・・・NH系マウスより腎皮質をとり出し例のごとく80%LH+20%仔牛又は牛血清の培地で培養している。Fibroblast状の細胞が増殖してきている。一部ではようやく培養瓶一面に増殖してきているので、一部を細胞学的調査に用い、残りに放射線照射を行ない、復元の方にもってゆくことを考えている。目下はin vitroで増殖する細胞系を作りつつある状態である。
 (顕微鏡写真を呈示)写真は生じてきた腎臓細胞である。特別掲載するほどのものでもないが、経過報告のつもりまでに示したものである(培地:80%LH+20%仔牛血清、牛血清)。 Syracuse大学のS.Gelfantは最近、耳の上皮細胞を用いて細胞分裂の機構の研究をしている(1963他)。彼はintactのままもしくはin vitroにとりだしたマウスの耳に切り傷を入れ、そのあと、簡単な塩類溶液に0.002Mのグルコースを投与した培養基中で4〜53、1/4時間培養したあと、かなり高頻度の分裂像が得られることを報告している。此の増殖は一過性のものであらうが(Gelfantは53、1/4時間以上追跡していない)、放射線の影響の尺度にもなると思はれ、また遺伝(体細胞の)的研究にも利用できそうで、目下追跡中である。
 マウスの皮膚癌発生に関する研究が文献上みられるならば、諸氏にお教え戴きたいが勿論此のあたりの事も考えて長期培養もしてみようと考えている。Gelfantは切片標本について観察しているが、私としてはなんとかおしつぶし法で観察したい。細胞を解離するうまい方法があればと考えている。

《St.Jude Hospital便り・高木良三郎》
 早いもので月報も数えて50号とか。班員の皆様も着々と成果をあげておられる様子でお慶びいたします。
 勝田先生から50号を記念して何か書く様に云われましたが、こちらに参りまして以来、発癌実験とは縁を切り、differentiated cellのfunctionをin vitroで維持する仕事の一部として、pancreasを対照として働いておりますので、果して皆様に興味ある事かどうか疑問に思いますが、兎も角一応これまでの仕事の経過を略記させて頂きます。
 PancreasのTCに関する仕事はきわめて少く、私がこちらに来て仕事を始めた当初は歴史的なものを加えて2〜3を数えるにすぎませんでした。ここにDr.Goldsteinのねらいもあったのだと思います。始めまずcell culture techniqueで何とかislet cellsをisolateしようとした訳です。1ケ月目に培養開始したadult rabbit pancreasからcell lineを得ましたが、蛍光抗体法(Dr.Hiramotoと一緒にやっています)で、anti insuline serum(AIS)、anti trypsin serum共に染める事が出来ず、また種々histochemical stainingでも本態をつかみ得ず・・・。という訳で3〜4ケ月は暗中模索の態でした。
 その中organ cultureを考えつきまして、これなら少くとも短期間はmaintain出来るのではないかと思い着手してみたのですが、殆ど参考文献もない(1954のclen以外)ため基礎条件をきめるのに暇どり、どうにかfoetal rabbit pancreas(just before birth)を7日位maintainする事が出来る様になりました。その頃(昨年4月のanatomy meeting)Minesota大の人がrat及びmouseのfoetal pancreasのorgan cultureによるdifferentiationについて発表した訳です。これは、12〜19day foetal pancreasの主にisletのdifferentiationを、aldehyde Fuchsin staining(A & F)により追求したものです。
 その后いろいろ条件を考慮しまして、どうにか10〜12日はanti insulin serumでislet cells(β)をidentifyする事が出来る様になり、更にfoetalからnew born、young rabbitと培養をこころみて行きました。そして現在の処生后15日のrabbit pancreasを用いて、少くとも15日間in vitroでβcellのinsulinをidentify出来る処まで漕ぎつけました。
 AISを用いた蛍光抗体法とA & F stainingの所見を比較するため、先ずfrozen sectionを用いてAISで染め、それを今度はA & F stainingで染めてみましたが、A & Fでどうしてもうまく染らず、逆にpraffine sectionを蛍光抗体法に利用しました処、抗血清の吸収、染色時間の調節により、きれいにβcells(insulin)をidentify出来、同一切片をA & Fでうまく再染色する事が出来ました。
 またAISを用いた蛍光抗体法による染色のspecificityは次の様にしてcheckしました。
1) normal serumは染めない(serial sectionで)。 2) stainingはAISによりinhibitされnormal serumではinhibitされない。・・・inhibition test(direct methodによる)。
 そこで両染色法の比較ですが、培養6日目までは少くともgood correlationです。しかし9日以后となりますと、βcell granuleはA & F stainingで認めがたくなり(従ってisletそのものも認めがたい)その代り時に多くのA & F positiveでPAS positiveのgranuleが現れて来ます。これに対しAISでははっきりβcellを確認出来ます。後者のA & F、PASpositiveのgranuleはAISでは染まりません。したがって或種のmucinと思われます。と云う訳でAISを用うれば少く共15日間はin vitroでβcells(insulin)を証明出来るのに対して、A & F stainingでは9日以後は追求きわめて困難になって来ます。従って、pancreasのprolonged cultureでは蛍光抗体法の方がA & Fよりsensitiveでよりspecificと云える訳です。15日間の培養期間中AISにより証明されるinsulinはおそらくin vitroでsynthesizeされたものと思われますが、これを確かめるためI125 labeled insulinを用いてimmuno percipitationを利用してmediumのinsulin assayをやる予定です。
 一方cell lineの方ですが、根気よくcolonyをpick upしてそのhistoryをrecordして行く内に分離后8ケ月を経てその中の一つのlineがviscous materialをmediumの中に分泌する事が確認されました。そして、始の中ははっきりしなかったのですが、この頃からcelllinesをはっきり4つのtypeに形態的にclassifyする事が出来る様になりました。
1)RP-L1・・・typical fibroblastic cells、long spindle shaped。
2)RP-L2・・・short fusiform cells、elaborate viscous material。
3)RP-L3・・・long cytoplasmic projection form network。
4)RP-L4・・・epithelium like in morphology、distinct granules in the cytoplasm。
と云う訳です。L2のviscosityは、testicular hyaluronidaseによってのみ減じ、RNase
Trypsinはaffectしませんので、おそらくpolysaccharideと、思われます。目下carboyal reactionでquantitatieに調べている処です。
 またL4のcytoplasm内のgranuleはlipidとは考えられない様で形態的にzymogen granuleの様ですが、目下の処何とも云えません。EMで検討を始めた処です。
 以上大体これまでに得られたdataらしきものを略記しましたが、differentiated cellのin vitroにおける維持またそのfateの追求と云う事は大切な問題と思います。
未だにcancer cellとnormal cell(?)とのqualitative differenceがはっきりしていない 今日、まず所謂differentiated “normal cell"についてのTCによる研究は“将を射んとせば先ず馬を"という事にもなると思います。
 またorgan cultureは、cell cultureより一段とin vivoに近い感で、私には興味深い
techniqueと思われます。
 あと残り5ケ月、広く浅くいろんな事にあたってみたいと考えています。
 11月上旬のCell Biology学会に出席の上、帰国したいと思っています。その節はまたよろしく御願いします。御健闘を祈ります。

《アメリカ便り・堀川正克》
先日の富士山に関する記事、続いて本日は研究連絡月報4、5月号をいただきました。いよいよ“なぎさ作戦"も本調子になって来ましたね。さすがに日本で初めてスキーで富士山からおりて来た人だけに大いに感動さされます。若き日の先生の姿、富士山からスキーでかけおりて行く姿をそっと想像したとき思わず“さすがだなあ”と一人でに笑いが出て来ました。そのFightと意気をいつ迄も維持していただいて今後T.C.界に出現する若き青年を叱咤激励されることを心より希望いたします。
 私の方もMammalian Cellとはまったく縁の遠い人間になりましたが、それでも論文によるこの面の業績にはたえず目を通し帰国後にたちおくれなきよう視野を広めております。 大学院時代に失敗した昆虫(ショウジョウバエ)のEmbryo cellのcultureに、やっと成功し、現在殆どのStrainから分離したCellで、Cell lineを作っております。もう殆ど2、3のStrainは株化出来たようです。これらのCellは御存知のようにChromosome 8本で、それぞれenzyme action、Immunological character、genetic backgroundが明確にされているだけにMolecular geneticsの立場にたってCellのgrowth、differentiationを追求するのに好材料です。とにかく今回の成功はMammalian cellで得た知識をそのままInsectに応用したと云う点にあります。やっと第1報をScienceに投稿すべく書きあげました。これからぼつぼつenzyme synthesisとm-RNAについてこれらのCellで追って行きたいと思っております。 6月18日に京都の菅原教授がこちらにみえられ、1週間滞在して行かれます。久し振りにお会いして日本の状況をおききするのを楽しみにしているような次第です。
 Dr.Szybalikiの部屋は調度センスイカンの様なもので、きっちりと生化学の器具でつまっているのもさすがT.C.界の第一人者を思わせます。8月にはアメリカの遺伝学会でColorado迄行ってきます。この機会にDenberのT.T.PuckのLab.も一見したいと思っております。ではお元気で研究の発展を心より祈っております。暮々も御自愛下さい。高岡さん始めLabo.の皆さんによろしく御伝え下さい。

編集後記


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